久方ぶりに逢ったレンは、いつもより機嫌が良さそうに見えた。
「やあイッチー。食事はどうする?」
「一応、うちで用意してあります」
「やったね。今日はなんだい?」
スタジオまでわざわざ迎えに来てくれた、彼の車に乗り込む。シートベルトを装着すれば、車は滑るように走り出した。トキヤの自宅まで一時間ほどのドライブだ。
「葉物のサラダと小松菜のおひたし、わかめと豆腐の味噌汁、大根と油揚げの炊いたものと……スペアリブです」
「いいね。楽しみだ」
メインに持ってくる肉料理をトキヤががっつり食べることはないが、食べているレンを眺めるのは好きだ。美味しそうに、そして気持ちよさそうに食べてくれる。平たく言えば作り甲斐がある。
料理の下ごしらえはほぼ済ませてあるから、あとは盛り付けたり温めたり焼いたりするだけ。そうは待たせないだろう。
「そういえば、映画を観たよ」
「何を観たんですか?」
「白々しいなあ。イッチーとイッキが主演の……ランちゃんたちが先に主演してた、No Moreのシリーズ最新作さ」
「もう観てくれたのですか? 封切りは昨日では……」
これは本当に驚いた。行動力のある男だとは知っていたが、昨日の今日だというのに。
「たまたま予定が空いてたからね。午前中に観てきちゃった」
今日の上機嫌の理由はそれだろうか。
夕食の支度をすっかり調えると、いつも通りダイニングテーブルに向かい合って座る。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
箸の他、スペアリブ用にナイフとフォークも用意したが、レンは器用に肉と骨を分けていく。ダンスか何かのようだ、と思いつつ、肉に舌鼓を打つレンに微笑む。
「……映画はどうでしたか?」
「ん……そうだね、前作までの登場人物たちも交えていたけれど、主役はイッチーとイッキだろう? ふたりの人物は、普段のふたりとは逆みたいなところもあったけれど……季夜は、イッキよりまだ純粋なところもあるね」
「なるほど?」
「子どもっぽい、と言い換えてもいいかな。負けず嫌いで奔放で、自由で無邪気。違いは、計算高いところかな……子ども特有の残酷さもあると思うけれど」
「……散々な言われようでは?」
「褒めてるんだよ。それだけ魅力的だってこと」
笑いを堪えるレンを見れば、どうにも褒めているだけのようには思えない。けれど、しっかり観てくれたのだということは、伝わってくる。
「それにね」
「……?」
「映画を観た後のレディたちが、イッチーの役、えっちで良かったって言ってたよ」
どう受け取っていいのか反応に悩む感想だ。
「………………褒めていますか?」
「これ以上ない褒め言葉じゃないかな」
「あなたにとってですよ」
「恋人が他人にとっても魅力的だってことは、わるいことじゃないと思っているよ」
釈然としないものはあるが、レンの気を害したわけではないのなら、それはそれで良い。
「だからね」
「?」
サラダを咀嚼しながらレンを見ると、ずいぶん楽しげにしている。
「後でプレゼントを渡すから、楽しみにしててね」
「すでに嫌な予感しかしませんが?」
この流れでそんなことを言われても、と胡散臭さを隠さない顔で言うと、レンは噴き出すように笑う。
「ふ、ふふっ……大丈夫、そんなに警戒しなくても、ふつうのものだよ」
「……普通の概念が、あなたと私で同じならいいんですけれどね……」
ひとまず食事を食べてしまおう? と言われ、おとなしく頷いておく。温かいものは温かいうちに食べるのが美味しい。それに、せっかくレンのために作ったのだから、美味しく食べてもらいたい。
などという殊勝な気持ちは、三十分後には残念な気持ちに取って代わられた。
「なんとなく予想はしていましたけれどね……」
トキヤの手にあるレンからの「プレゼント」は、長袍だった。映画で着ていたものはどちらかといえばチャイナドレスに近い、身体のラインが出るようなすっきりしたタイプだったが、これは香港映画などで見たような、拳法をやるような人間が着ている、ゆったりとしたタイプの長袍だ。
「扇もあるんだよ」
「……扇と言うよりは扇子ですね。女性が持つものよりは大きめですが……品の良い、いいものだとわかります」
広げれば、茄子紺地に銀糸で蝶と雲が刺繍されている。扇の縁も銀糸でレース編みが施され、瀟洒な一品だ。女性が持つほうがふさわしい気がする。
「気に入ってくれた? 良かった。作ってもらった甲斐があったよ」
「……は?」
作ってもらった?
思わず視線を手許とレンとを往復させた。
「買ったのではなく?」
「最終的には買ったけど」
「作ってもらった?」
「扇子とか扇とか、趣味が良いものを作る人がいるって聞いてね。見学させてもらったら、本当にきれいなものを作る人だったんだ。こんな感じのが欲しいってお願いしたら、想像以上のものが返ってきて……イッチーが気に入ってくれたら嬉しいよ」
「…………いろいろ……言いたいことはありますが。……ひとまず、ありがとうございます」
何かしてもらったら礼を言うのは当然の話だし、礼を先に言わなければ忘れてしまう可能性がある。
「ですが。……あなた、わざわざこのコスプレ一式を私に贈るためだけに作ってもらったんですか!?」
「そうだけど?」
「…………」
きょとんとした顔でこちらを見ないでほしい。トキヤはこめかみのあたりを指の腹でぐいぐいと押す。
彼の執事は金銭感覚までは教えてくれなかったらしい。
「こんなことに、高いお金を使わないでもらえませんか」
「長袍は中華街で買ったんだ。チャイナドレスのほうがそれっぽかったけど、肩幅があるから作ったほうが早いしね」
「作らなくて結構です! こんなことで無駄にお金を使うのは止めなさい!」
「イッチーに格好いい格好をしてもらいたいだけじゃないか!」
「…………」
百歩譲って、ほんとうにただ単にトキヤに格好いい格好をしてほしいがための行動だとして。財力のある男の実行力をどこまで止めることができるだろう。
無理では?
早速諦めがちになったトキヤは、いやここでたやすく折れるのは、と己を鼓舞する。けれど何が悪いのか、と顔にも不満げに書かれているレンとの睨めっこに、長く耐えられるはずもなかった。押しに弱いと言われるゆえんである。
「…………今回は、もう現物がここにあるので仕方ありません。ですが、次からは控えてくださいね……」
「! わかったよ」
にこにこと機嫌良く笑むレンは何にも喩えられないほどかわいらしく。トキヤは心底から自分に対して溜息を吐き、己のレンに対する弱さを痛感するのだった。
その日の夜、トキヤは長袍を着たままセックスに及んだのは言うまでもないし、レンはいつになく敏感だったと後に述懐する。