ここのところ姉ちゃんが大騒ぎしていて微妙に巻き込まれた事件(っていうほど大変なものじゃないけど)について書き留めておくことにする。
ことの起こりは……何月だったかな……忘れたけど、たぶん夏〜秋あたりのことだったと思う。
私はオタクの夏のビッグイベントも終わり、今年の夏も終わったんだなあ……という気持ちでクソ暑い日々をダラダラと過ごしていた。父さんと母さんは紅葉狩りはどこに行くか計画を練っていたし、姉ちゃんはドルオタで推しのテレビ番組やラジオ、舞台や映画を追いかけるのに忙しそうだった。
姉ちゃんはもともと『箱推し』で、ハマってるグループの全員が平等に好きだったらしい。だけど、何かのライブで私が神席を引き当てた時に『レン様』の投げキスとウインクが直撃したらしく(本人の言による)、以来『レン様』の虜になっているらしい。
ちなみに「私が神席を引き当てた」というのは、私名義のスタリFCアカウントがFC先行抽選でその席をもぎ取ったから。年会費は姉ちゃんが払ってるし、結局姉ちゃんが当てたものだと思うけど「私の名前じゃ当たらなかったもん……!!」ということでめちゃくちゃ感謝されたし、ライブ後に焼肉も奢ってくれた。
さらにちなみに、私は姉ちゃんがファンサを受けた時にその現場は見なかった。というのも、私は私で別のアイドル、タイミングと立ち位置的に『なっちゃん』を観ていたからだ。これは後で円盤を観させられた時に確認した。
『なっちゃん』は歌ってる時とそれ以外の時のギャップがすごすぎてつい観てしまう。
背が高いのも、思いがけず逞しいのもとても良い。私の二次元の推しにちょっと似たところある。平たく言えば好き。
いや、私のことはどうでもいいんだけども。
それ以来、姉ちゃんは『レン様』の出演する番組はどんなに小さなものでも全部観るし、地方局でしか放映されない番組はSNSで繋がってる、地方の友人に依頼してBlu-rayに焼いてもらっているし、ラジオや雑誌もくまなくチェックするようになったし、部屋や持っているアイテム、小物類はもちろん服までが徐々にオレンジに染まっていた。
沼に落ちたか。
わかる、わかるよ……!
妹がオタクで良かったよね。推しが尊いのも推しの言動で一喜一憂するのも推しグッズやイメージカラーで身を固めるのもわかるよ……!
もちろん姉ちゃんは『レン様』が所属している他のメンバーに対して冷めたわけではなく、全体に中火だったのが『レン様』に対してだけ強火になったようなものだった。
私としては姉ちゃんが同担拒否過激派にならなかったのは良かったと思ってる。どこで悪い噂を聞くかわからないし、身内が悪く言われるのを聞くのはイヤだったから。
もともと姉ちゃんの友人にも同担がいたらしく、毎日楽しそうにしていた。萌え語りは誰かとすると盛り上がるもんね!
『レン様』が所属しているグループを『ST☆RISH』、事務所は『シャイニング事務所』という。
三次元のアイドルに疎い私でも、それくらいは知っていた。
さて冒頭に戻るけれど。
去年の夏〜秋、『ST☆RISH』から重大発表がある、記者会見の模様が生中継で放映される、というニュースが飛び込んできた。
狼狽えたのは姉だ。
「ねえちょっとどうしようまさか解散とかないよね……」
「いやもう落ち着いて、無理だとわかってるけど深呼吸して」
ニュースを聞いてから姉は家の中をまるで冬眠前のクマのように落ち着きなく歩き回っていた。
わりと邪魔だしこちらも落ち着かないので落ち着いてほしい。あとST☆RISHは別に不仲説もなかったじゃん。落ち着いて。
姉は生中継の日、気になりすぎて仕事が手につかないからと会社を休んだ。万一のことを考えて、翌日まで休みを入れたと言う。
おまけに2kg痩せた。食事が喉を通らなかったせいだ。なんかもうそこまでいくと、新作ゲームに没頭するためにゲーム休暇とるオタクとか、週刊の漫画雑誌で次週の推しが気になりすぎてしんどくなってるオタクみたいだな。すごいわ。
私も姉ほどではないけど、ライブ以来かなり気になるメンバーがいたので、一緒に生中継を観ることにした。私の場合はたまたま大学の講義がない日だったので、サボらずに済んだのが幸い。
会見が始まる直前、ふと姉ちゃんの手を見ると真っ白でハンドタオルを握りしめていた。死なないで生き抜いて欲しい。ほんとに。切実に。
会見が始まると、姉ちゃんは食い入るように前のめりで画面に見入っていた。
ST☆RISH全員と、学生時代の彼らの先生だったという日向龍也、月宮林檎も一緒だ。全員がスーツ。彼らも少し緊張して見えた。
「本日お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」
切り出したのは日向龍也だった。
「今日ここにお集まりいただき、中継という形を取らせていただいたのは、全国のST☆RISHファンの皆様にお知らせしなければならないことがあったからです」
喋っている間もカメラのフラッシュは止まない。眩しいだろうなあ、なんて思う余裕があった。
日向龍也の目配せを受けて立ち上がったのは、『レン様』と、一ノ瀬トキヤだった。口を開いたのは『レン様』が先だった。
「このたびは、わざわざお集まりいただきありがとうございます。先に言っておきますが、悪い知らせではありません」
チラリと横を見ると、姉ちゃんの肩の力が少し抜けたようだった。
『レン様』が珍しく堅めの口調で話しているのが不思議な感じ。改まった場だからかな?
続いて発言したのは、一ノ瀬トキヤだ。
「皆さんの貴重な時間をあまり取りすぎるのもよくありませんから、結論から申し上げます」
ハンドタオルを握りしめた姉ちゃんの手に、また力が入る。どこにそんな力があるのよ。ハンドタオルを手で引き裂かないでよね。普段非力アピールするくせに。
それはさておき、一ノ瀬トキヤの次の発言の後、この会見を見ている人は皆同じ反応をしたのではないだろうか。
「私、一ノ瀬トキヤと、神宮寺レンは、このたび結婚をすることになりました」
「…………えええええええええええ?!」
めちゃくちゃファン、というわけではない私も、さすがに声が出た。姉ちゃんとほぼ同時に。
「えっ、……相手誰……?!」
動揺しながらも姉ちゃんは気になるところは気になるようだ。それは画面の向こうの記者たちも同様で(たぶんこういう会見ではおきまりの質問)「お相手はどなたですか?」という質問がさっそく飛びだした。
答えはいかに。
固唾を呑んで見守ると、ふたりともフッと表情が緩んだ。なんだかやさしい顔だな、と思っていると、さらに爆弾発言が飛び出す。
「ですから、私たちふたりです」
その直後、カメラのフラッシュさえ止まった。
私も理解するのに少し時間がかかって動きが止まった。
素直に解釈すると、『レン様』と一ノ瀬トキヤが? このふたりが? 結婚? する?
このふたりが夫婦……いや婦じゃないな、夫夫になるってこと?
いや普通にパートナーって言えばいいのか。
「えええええええええええええええええ!?」
姉ちゃんうるさい。控えめに言って近所迷惑。
冷静になったのは、自分より動揺している人(姉ちゃん)が隣にいるおかげだろうか。
同性婚もそろそろ一般的になってきたとはいえ、芸能界ではまだちょっと少ない。それ以前に、シャイニング事務所の売れ筋アイドルが結婚するのはこれが初めてな気がする……私が知らないだけかもだけど、たしかST☆RISHの先輩ユニットのQUARTET NIGHTもまだ誰も結婚してなかったような。日向龍也と月宮林檎もまだだし。逆にこのふたりはそれぞれ早く結婚すればいいのに感ある。
今日四月一日じゃないよね、と呆然と姉が呟いた。夏も終わるからとうに過ぎてるよ。
「オレたちのファンのみんなに公平でありたいから、公表させてもらうことにしたよ」
「もちろん、社長にも先に報告済みで、会見に関しても許可をいただいています」
集まった記者たちの反応は予想済みだったのか、ふたりの結婚に関する報告はスムーズだ。
なれそめやら付き合い始めた時期なんかは巧い具合にはぐらかされちゃってたけど、最終的に結婚式はふたりの仕事の都合から来年になるということ、参列者は身内以外は事務所の人間くらいのものになるだろうということ、おそらく海外での挙式になるだろうということだった。
「そうだよね……国内だったら撮られる可能性あるもんね……」
「撮られるって何」
「望遠とか……ドローンとか……」
「……一瞬でそこまで考えられる姉ちゃんが怖いよ……」
海外でもあるかもしれないけど「海外」の幅が広すぎてわからない。でもたぶんヨーロッパとか欧米系かな……などと姉ちゃんは予想していた。
この分では海外のファンと結託して場所を予測と割り出しをしかねない。よくわかんないけど『レン様』と一ノ瀬トキヤ、逃げて……。
と思っていたら、ふたりはさらに情報を出してくれた。
「私たちの式の様子が気になる方もいらっしゃるということは理解しています」
「だから、オレたちのほうでも色々考えていることはあるんだ。調整に時間がかかっちゃうと思うから、そっちの発表はもう少し待っていてくれると嬉しいな」
もちろん、喜んでもらえるようにするつもりだよ、と『レン様』はいつも女性を虜にする笑顔で言ってくれる。
「なんだろう……何をしてくれるんだろう……」
「……待てばいいと思うよ」
そのうち教えてくれるんだし。
とはいえこんな伏線張られたら気になるのはオタクとしても理解できる。与えられた材料から推理合戦始まっちゃうよね!
それはさておき、ふたりによる報告の後は、他のメンバーを交えた雑談のような流れになった。ただ、誰も『レン様』と一ノ瀬トキヤが発言しなかった、回答しなかったこと(たとえばなれそめとか)に関しては回答を控えていた。さっすがー。プライバシーに配慮してるぅ!
もちろんこれからふたりによって明かされていくこともあるかもしれないけれど、ふたりが内緒にしたいって思ってるなら、それは別に内緒のままでもいいんじゃないかなって思うんだよね。隣にいる姉ちゃんはめちゃくちゃ気になってるけど。
「最後にひとつ、おふたりに質問よろしいですか」
ひとりの記者が挙手した。どうぞ、と促されるまま立ち上がる。
「おふたりは、お互いのどこに惹かれたのか、差し障りのない範囲で教えてください」
そりゃそうだ。
『レン様』も一ノ瀬トキヤも女性人気がすごい。いや男性アイドルって大半は女性ファンだと思うけど。『レン様』は姉ちゃん情報によると数年前から男性ファンも(何故か)増えているというし、一ノ瀬トキヤはどちらかといえば年上の男性ファンが多いと聞いたことがあるようなないような。
けどまあ圧倒的に女性人気が高いわけで、芸能界でも彼らを好きな女性芸能人もいたはずで。つまるところ「なんで?」とはなる。メンバーの仲の良さは前からエピソードいっぱいあるのも(姉ちゃん情報で)知ってるけど、いわば社内恋愛。
どうなんだろう、と思って回答を待っていると、ふたりはちらりと顔を見合わせた。なんだか含み笑いをしているようにも見える。
レンちゃんからどうぞ、と月宮林檎に促され、『レン様』が頷く。
「顔です」
……いや、迷いがなかったな!?
どよめく記者たちが、促されたトキヤが発言する時には一斉に静かになる。なんかこの記者たちお行儀いいな。ファンか?
「そうですね、顔です」
ふたたび記者たちがどよめく。もちろん顔だけじゃないですよ、とふたりは笑っているが、発言が聞こえていない人がいた。姉ちゃんだ。
「……わかるぅ……」
わかるんだ……。
「レン様めちゃくちゃ顔いいもん……人類で一番顔いいもん……わかるぅ……一ノ瀬トキヤわかってるじゃん……」
そのレン様も一ノ瀬トキヤの顔が好きって言ってたけどな……?
ふたりとも一般的に顔が整っているのはアイドルだから当然として(他のメンバーだってタイプの違う整い方をしてる)、お互いにその顔が好きっていうのは……なんかこう……倒錯的というか……言葉が巧くまとめられないけど、オタクそういうの嫌いじゃないよ……。
この発言、一ノ瀬トキヤファンとしてはどうなんだろうって思って後で検索してみたら、あっちもあっちで「わかるぅ……」ってなってて笑っちゃった……。顔だけじゃなく、一ノ瀬トキヤの頑張り屋さんなところをよくわかってくれてる、と『レン様』への好感度も高くなったらしい。
もともとファン同士も仲良かった部分もあって、全体的に好印象で迎えられたようだ。
いや平和かよ。
こっちの業界だとヘタしたら血で血を争う抗争になりかねんが???? まあ次元が違うけど。
そうして年が明けてシャイニング事務所から驚きの情報公開がなされた。すでに公開されている情報もあわせ、まとめられたという印象だ。
ひとつは式が五月になるということ。
ふたつ、海外挙式だが場所は明かさないこと。
みっつ、式は中継されるということ。
よっつ、中継は全国の映画館、あるいはインターネット上で観られるということ(スマートフォン・タブレットにも対応)。
いつつ、映画館ではドレスコードが指定されるということ。ただしこれは強制ではないということ。
むっつ、映画館で式に『参列』する人には『引き出物』が配られること。この引き出物は、現地で参列する人に配られるもののうちのひとつと同じである。
ななつ、式は現地時間に合わされるため、中継は場合と場所によっては夜中から明け方になるかもしれないこと。
やっつ、式の様子はアーカイブ化され、千円程度で一ヶ月自由に観られること。
ここのつ、アーカイブはシャイニング事務所のホームページ上になること。
いや、そんなに式の中継観る人いる???? って思ったけどいたわ、身内に。
考えてみれば私も推しが出てる映画を何十回も観に行ったしなぁ。血は争えない。
映画館でのライブビューイングも、最初信じなかったけど「全映画館」で行われるらしい。系列とか単館とか関係なく、「全映画館」。
うっそでしょ。って思ったけど『レン様』のご実家を考えると、ありえなくもない話だったし、実際にチケットを売り出す段にいたり、ほんとうに日本にあるすべての映画館で行われると発覚した。そんな金の使い方ある? ライブビューイングの機材とかが整ってない映画館には無償で設置したとかいう話も聞いた。財閥ってすごいな……。
映画館がないような地方にはわざわざプレハブで臨時に造ってくれるとも聞いたけど……やりそうだな……って思えるところが怖いよね……。
これに関しては若干、聖川真斗担も沸いた。『レン様』は財閥の三男だが、聖川真斗は長男だ。財閥の規模は神宮寺財閥と同等、と考えると、聖川真斗のウエディングも同様になる可能性がなくもない。ご実家次第だけど。
さてここで『レン様』と姉に倣ったままなのも疲れてきたので、素直にフルネームでの記載に変更する。別にここのブログ、誰も見てないしね。
式が近付くにつれ、ファンの関心事は「引き出物とは何か」に変わっていっていたような気がする。しまいには大喜利みたいになってたけど。
あと神宮寺レン担も一ノ瀬トキヤ担も、もっとなんか……こう……夢女子とか「この私を差し置いて」みたいなのがあるのかと思ってたけど、案外平和だったのが意外だった。
けれどどこかのSNSで『相手が女だったらもっと荒れた可能性があるが、お相手が彼なら仕方ない。顔がいい。性格もいい。スタイルもいい。私たちとジャンルも性別も違うから戦う前から負けている』とかいう感じのことを書いてる人がいて、失礼ながら爆笑した。そうだね……ジャンルも性別も違うね……。今でも思い出すとちょっとフフッてなる。
映画館のチケットは、各映画館で抽選先行が行われ、その後に一般発売された。大変そうだったのは、都心の繁華街の映画館と地方の映画館。ネットでも見られるけど、大画面で推しを浴びたいよね、わかる。
さてうちの姉ちゃんはといえば。
「ほんとにありがとう……!!!!!!!!!!!!!!!!」
死ぬほど感謝された。自ジャンルの映画を観に行く時に作ったアカウントが、最寄りの映画館の抽選に当たったらしい。なお姉ちゃんのアカウントは討ち死にした模様。
申し込んだ私はめちゃくちゃ感謝をされ、姉ちゃんと一緒に観に行くことになった。
ここで問題になるのは『ドレスコード』だ。
私は今まで友人の式にさえ出たことがない。まだ誰も結婚してないからだ、学生だからかもしれないけど。
でもその問題は速やかに解決した。
「それくらい買うから!!」
ドレスが姉ちゃんの奢りである。そんなことある??
友達と行きなよって言えば、仲の良い友人は地方だからと哀しげな顔をされる。そんな顔されたら行くしかないじゃん? そもそも2枚買ってたしな……。
ともあれ、姉ちゃんもドレスを新調したいというし、チケットが取れた早い段階で結婚式や披露宴で着るようなドレスを買いに行った。
これは大正解だった。
気が早すぎでは? と思ったけど、後になればなるほど、この世からドレスが消えて選べなくなっていったからだ。この世は言い過ぎか。日本から。
もちろん服飾業界も察していたのだろうけれど、買う気でいる女の財布の緩さの前に敗北したわけだ。
たぶん今期の業績はドレスを扱っているブランドの会社ならどこも上がっていただろう、と、その前に服飾業界のとある会社の株を買っていた姉ちゃんが売り飛ばしながら言っていた。だいぶ儲けたらしく、めっちゃ美味しいパンケーキと高級な焼肉を奢ってくれた。
そうして私と姉ちゃんは、選びに選んだドレスを身にまとい、映画館へいそいそと向かったのである。
もちろん姉ちゃんのドレスはオレンジがアクセントカラーになっている。私はST☆RISHだと推しはなっちゃんになるかな……と思って黄色系を縁取りに取り入れたドレスにした。
バッグはたまたま紫がアクセントになっているものを持っていたので、それにした。これはこれで好評の色合わせだったが、後で聞いたらこのふたりのデュエットソングがあったらしい。なるほどね!
「うっわ……」
予想していたが、映画館はドレスの女、あるいはスーツの男であふれかえっていた。たまに、ホストか? って感じの男が混ざっていたのはご愛敬だろう。こんな華やかな映画館、結婚式場でも見ないのではなかろうか。
姉ちゃんと行った映画館だけでなく、この日はなんと全館ライブビューイング体制だった。スタッフ……生きろ……ちゃんと残業手当もらえよ……。
参列者の列(?)はとても行儀良く並んでいたし(どんな物販の購入列より整然と、かつお行儀よかったように思う)、席についてもべらべら喋るような人は少なかった。たぶんみんな緊張してた。姉ちゃんと反対側の私の隣席に座った男の人も、やけに緊張した顔をしていた。
冷静に考えると「なんだこの状況」と思いもする。推しの結婚式を、全国至る所で中継される形で参列し、推しには届かないけれど勝手に祝う。祝いの席を設けてくれたのは推し側だけど。でもたぶん、ここで冷静になるよりバカになったほうが絶対楽しめる。だってもう姉ちゃん推しのハンカチタオル握りしめてる手がハンカチタオル引き裂きそうになってる。緊張しすぎ。わからんでもないけど。
ハンカチタオルってドレスには合わなさすぎるけど「ハンカチで足りるわけないじゃん」と真顔で言われたら「お、おう……」しか返せないよね?
す、と劇場内のライトが落ちる。わずかなざわめきが、それで完全に止まった。
変な音楽がかかるわけでもない、映画の始まりにあるCMがあるわけでもない。注意点だけは流れていたけれど、まぁそれはたしかになって思った。
式自体は一時間もかからない。はずだ。これはGGL先生に聞いた。その一時間程度の時間のために、皆ドレスを着て、髪を結い上げ、化粧もネイルもばっちり整えて、休みの調整までしてここにいる。噂によると女子社員の休みの申請が多すぎて会社自体を臨時休業にした会社もあるとか聞いた。ホワイトかよ。どこか調べてリストに入れておこう。
暗くなってから二秒でここまで考えたわけだけれど、スクリーンにまず映ったのは、青い空だった。
それからカメラの視点がゆっくり下りてきて、白くてこぢんまりした教会が映る。そっちのほうへ少しずつ、視点が近付いていく。
力強い、けれど繊細な彫刻が施されたドアがゆっくりと開かれる。左右の長椅子には、私たちには見慣れたアイドルたちの後ろ頭が見えた。後方にちらっと映ったのは、月宮林檎と日向龍也、同じ事務所で同期の仲が良いって話だった渋谷さんかな。もうひとりいた気がするけどよくわからなかった。他にも男性が何人かいたみたいだけど、それはきっと新郎たちの身内だろう。
カメラが椅子に座る。左右や正面には色鮮やかなステンドグラス。磔刑のキリスト像が、教会の写真でいつも浮いているように感じられるけど、考えてみれば教会は本来祈りを捧げる場所だったから間違いじゃなかった。
と、ここで視点が変わった。一番後ろ、斜めからの視点。一台じゃなかったのかよカメラ。
音楽は聞こえないけれど、なんだか鳥の鳴き声が聞こえる気がする。スクリーンの向こうの彼らも、なんだか少し緊張している雰囲気。背中だけど、そういうのわかることってあるよね。
そうして少し経ってから、牧師さんが現れた。神父だっけ? 牧師で良かったと思うけれど。何語かわからない言葉で何かを言うと、扉が再び開かれた。またカメラの視点が切り替わる。今度は前方から、ドアのほうを映している。少しズーム。逆光になっていて始めよくわからなかったけれど、室内に入ってようやく彼らが並んで歩いていることに気付いた。
たぶんほぼ同時に皆気付いたんだろう、息を呑んだ空気と、泣き出したような空気を感じた。なお隣の姉はもう泣いた。なるほどタオルハンカチ。
光は、天井と壁から差し込むやわらかい日差し、祈祷台の蝋燭だけ。それでも充分に彼らの姿はわかる。よほど高感度のカメラをつかっているのだろうか。
白のタキシード。白は白でも、神宮寺レンは生成がかったオフホワイト、一ノ瀬トキヤは真っ白に見えた。控えめに表現してもふたりともめちゃくちゃ顔がいい。ちがう、タキシードが似合っててかっこいい。
式は厳かに進む。
牧師が手に持った本をぱらりとめくり、何か言ってる。仏教でも坊さんがお盆で説法するような感じかな……いや結婚式と一緒にしたらいけないけど。
ふたりは牧師が何か言っているのを理解しているのか、同じような言語で返事をして頷いていた。
そして、あ、と気付く。
誓いの…………誓いの……キス……!
えっこれは中継してダメなやつじゃない? 担当の子たち死ぬでしょ? っていうか姉が横で死ぬのとか勘弁願いたいけどねえちょっと待って待って担当じゃないけど心の準備が追いつかない(0.1秒)。
待ってくれるわけもなく。
これはどうするのかなって思ってたら、普通にされましたね……キッスを……。
なんかもう見てるこっちがはわわになって照れて恥ずかしいかんじで……見てよかったの……? お空映してくれてもよかったんだよ……? お空青いって思うだけだから……。
隣の姉ちゃんをこっそり見たら目許にタオル当ててめっちゃ見てたのは笑った。あと隣の男の人は、わりとはわわな感じでかわいかった。どっちの担当ですかって訊きたくなったくらい。
私はといえば、顔が良い男のキスシーンは絵になってすげえな〜〜〜〜! って思っていました。
キスした後にちらっと視線交わしてニコッてしてたのはめちゃめちゃかわいくてちょっとどうにかなってしまうと思った。
この後の記憶がちょっと飛びがちなんだけど、たしかライスシャワーされて外に出た時は、ふたりともブーケ持ってた。小分けにされていた小さなブーケたちを、彼らは参列者にひとりずつ手渡していた。何か会話して、小突かれて笑い合ったりおめでとうを言っていたり。
そういえば聖川真斗と神宮寺レンってそんなに仲が良くない外面してたなって思ってたけど、聖川真斗めっちゃいい笑顔でふたりにおめでとうって言ってた。気付いたけどこの人も顔がいいな? いや全員いいのはわかってるけど……タイプがね……たぶん美形って言われるタイプだなって……思って……。
それからふたりとも予想外だったのか参列者側のサプライズだったのか、ST☆RISHとQUARTET NIGHTがそれぞれお祝いの歌を歌い、神宮寺レンと一ノ瀬トキヤがここで初めてカメラ目線、それから投げキッスをくれて、互いの頬にキスまでするところを見せてくれるサービスまで加えて、結婚式は幕を閉じた。
何を……私は、何を……見させられた……?
客席の灯りがついても、しばらく誰も動けなかったのは、これは仕方がないことだと思う。皆放心していたのだ。何を見させられたのか、咀嚼して脳が理解するまでに時間がかかっているのだ。
数分して、スタッフに声をかけられ、ようやく誰かが立ち上がる。それを合図にしたように、少しずつ立ち上がっていく。私と姉ちゃんも立ち上がり、半分よろよろしている姉ちゃんの手を引きながら、まず真っ先にトイレに行った。メイクが涙で流れた姉ちゃんの化粧直しだ。
トイレの外で待ちながら、自分が先ほどまで見ていたものについて思いを馳せる。
顔がいい男ふたりの結婚式が、こんな風に衝撃をもたらすものだとは思わなかった。そうして、キスした後の視線合わせからの照れ顔(後から思えば照れた顔だと思う)があんなに萌えるものとは思わなかった。主義に反してあやうくナマモノに目覚めるところだった。あぶない。それくらいの力が、あの結婚式には凝縮されていた。
互いに腕を組んでウエディングロードをゆっくり歩くところ。牧師の話を聞く真摯な表情。仲間たちと楽しそうに、気恥ずかしそうにしているところ。最後のファンサ。
全力で幸せになってほしい。千代に八千代に幸せでいてくれ。
それから姉ちゃんとカラオケ屋に移動し、結婚式についての話と長い時間をかけてふたりのソロ曲とグループ曲を歌い、肉を食べ、帰路についた。