「レンがいるからには、多分海外だよなあ」
翔がぼやくように言い、溜息を吐く。隣の那月が頷いた。
「そうですねえ、日帰りってことはないでしょうし、お泊まりもしますよね、きっと」
「ヨーロッパかな? 俺、行ったことない!」
初ヨーロッパが結婚式って、なかなかだよね! 朗らかに音也が笑う。
「寒くない場所ならいいです」
「式は五月か六月くらいでしょう? ヨーロッパの緯度は高いから肌寒いかもしれないけど、雪は降らないんじゃないかな」
藍の言葉にセシルは「良かったです!」とホッとした顔をする。鼻で笑ったのはカミュ。
「フン、寒さ程度で弱音を吐くなど、王族が聞いて呆れる」
「そういうおまえは暑さでヘバッてたじゃねえか」
「ヘバッてなどおらぬ、愚民と一緒にするな、愚民が」
「あぁ?」
カミュと蘭丸との空気が剣呑になりかけ、間に割って入ったのは嶺二だった。
「はいはーい、おめでたい話の相談なんだから、喧嘩しなーい」
「そうだよ。たぶん絶対俺たちも参加できるんだし、だったら何かしてお祝いしようよ!」
たぶん絶対というやや曖昧な表現だが、音也のキラキラした眼差しに皆が誤魔化されたし、カミュと蘭丸は居心地悪そうに目を逸らした。
「だが一十木、式をヨーロッパで挙げるなら、日本のような披露宴にはならんと思うぞ」
「えぇ?! そうなの?!」
「親類縁者の類を呼ぶにせよ、そう多くはないだろう。そのための海外挙式なのだろうし……神宮寺も親しくない親戚は呼ばぬだろうから、ほぼ俺たちだけになる」
「でもさ、せっかくだから、俺たちからのお祝いの気持ちだって、見せたいよね……」
しんみりとした空気になってしまい、全員がなんとなく音也の言葉に同意した。
そのために、披露宴モドキがひどいことになったと後にトキヤは語った。
メンバーや先輩も交えた、本人たちのいない再現Vは演じてないメンバーによってダメ出しを交えながら発展し、プロポーズの現場はこうだったんじゃないかという想像V(これもダメ出しを含む)、ふたりのシーン別モノマネをそれぞれ九人が行い「誰がトキヤとレンになりきれるか対決」の模様を収めたV、最後に真面目なコメントでVは締められ、からのウェディングソングの生合唱で幕を閉じた。
最終的にレンは腹筋が攣るほど笑い、余韻を引きずりすぎてしばらく会が進行できず、トキヤはずっと苦虫を噛み潰した顔をした上でレンへのモノマネへのダメ出しをした。自分のモノマネは黙殺しようとしたらしいが、これはレンのほうが楽しげに乗っかって、会場は大いに盛り上がった。
この模様だけで円盤が作れただろうとメンバーたちが口を揃えて言うジャパニーズ披露宴モドキだったが、現在のところ流通する予定はない。カメラをまわしていなかったという建前だ。
「まったく……仕方ない人たちでしたね……」
「まさかボスやリューヤさんまで乗っかってくるとは思わなかったよね」
微妙にまだ余韻を引きずっているレンが、くくくと笑う。トキヤはレンを横目に深い溜息を吐いた。披露宴モドキからずっと、難しい顔をしたままだ。
「おチビちゃんたちは部屋に落ち着いたかな」
「と、思いたいですね。……お腹がすいたなんて言い出した時は空腹を感じる神経すら壊れたかと思いましたが」
「ルームサービスなんでも頼んでいいよって言ったら喜んでたのは、それだったんだね」
「あんまり甘やかしすぎるのはいけませんよ」
「いいじゃないか、今日は祝いの席だし、祝ってくれたんだし……、さすがに笑い疲れたけど。先にバス使うよ」
「一緒に、とは誘ってくれないんですね?」
「今日はね!」
あははと笑ってバスルームへとレンは姿を消す。彼の言わんとするところが何か、わからないほど愚かではない。
レンのバスタイムはトキヤに比較すればだいぶ短い。けれどそれが今日ばかりは少し長く感じるのは、ただ待っているだけのせいなのかどうか。
部屋は昨日と同じ、ロイヤルスイート。華美すぎることはないが、広いし調度類が高価なものだということは意匠を見ても明らかだ。ただの旅行なら絶対に泊まることはないが、今日がどんな日だったかを思えば、相応しいと言える。
部屋の中にはキッチンもバーカウンターのような一角もある。フロントに注文すれば、食事を作ることだって可能だろう。コーヒーを淹れるくらいはできるだろうか。水が違うから、いつも淹れている味と同じではないだろうけれど。
大きな窓の外は東京と違って凪のように静かだ。喧騒から切り取られ、遠く離れた世界。なんだかとても非現実的だ。
「…………」
昨日と今日、今までと今、そしてこれから。大きく変化したわけではない、だが確実な変化。どんな作用をもたらしてくれるだろう。いいことばかりではないとわかってはいるし、結婚してもアイドルなのだからカメラの前では控えるけれど。
そんなふうに考えてしまうくらいには感傷的になっているのだろうか。
「考えごとかい?」
後ろから声をかけられ、ビクッと振り向く。
「……上がったんですね」
「何か考えごとしてるみたいだったからさ。声をかけるタイミングに悩んじゃったよ」
「すみません。……後でコーヒーでも飲みますか?」
「いいね。お願いしても?」
「もちろんです」
「じゃ、イッチーが戻ってくるのをいい子で待ってるよ」
ウインクと投げキッスまで付けてくれたレンのキュートさに眩みつつ、手をひらりと振ってからバスルームに脚を踏み入れる。
今宵をなんと呼ぶのかわかっているからこそ、意識して緊張していた。
トキヤが思うに、レンに緊張が伝わっていた。だからきっとアルコールを勧めてくれたし、自分も応じて飲んだ。
「ほら、少し飲みすぎだよ。そのへんにしておいて」
「う……そう、ですね」
「そんな未練たっぷりになるくらい、お酒好きだったかい? ……オレより好きなら、妬けちゃうけど?」
「そんなことはありません」
「そう? 良かった。ひとまず、ベッドへ行こうか」
「ええ……行きましょう」
ふう、と息を吐き、グラスの水を呷る。氷をがきりを噛み砕いた。今はその冷たさが心地良い。
居室だけでなく、ベッドルームも相応に広い。ベッド自体も、当たり前の顔で大きかった。きっと五人くらいはラクに寝られるのではないか。
「怖気付いた?」
ベッドに腰かけたレンが、悪戯っぽく見上げてくる。こんな時まで揶揄ってくるつもりなのか。トキヤはふるりと首を振った。
「いえ。……多少、緊張はしていますが」
「緊張? イッチーが?」
「……いわゆる『初夜』だと思うと、なんとなくですが……」
「初夜、って」
一瞬ぽかんとしたレンが、次いでくすくすと笑い出す。
「そんなのとっくの昔じゃないか」
「それはそれでしょう」
いわゆる『結婚』して、初めての夜。それは今日この夜しかない。
「なので……あなた同様に大切にしたいなと……」
「大切にしてくれるのはいいけど、じゃあこのままオヤスミナサイしちゃう?」
バスローブの袷から長く伸びる健康的な色の脚が、トキヤの脚をつつく。暗に、そうではないだろうと含んだ笑みが物語る。
息をそろりと吐き、腰を折り、彫刻のように美しい貌、夏の昼間の空のように澄んだ色の瞳をじっと見つめる。
「……眠らせません」
レンが挑発的に笑うのを、くちびるを塞いで阻止をした。
「あ、……ッん……」
高く上がりそうになった声を低めに抑えられてしまう。素直に惜しいと思い、腰をゆっくりと押しつけながらレンのくちびるの端にキスをした。
「……相変わらず、隠したがりですね?」
「ンッ、……そのほうが『らしい』だろう?」
「ウブな花嫁を演出してくれていると?」
「花婿がさっきまでシャイだったからね」
合わせたのさ、と悪戯に笑うレンの額に口づける。
「むしろ、今まで以上に淫らになって構わないのに」
「……オレが、かまうだろ……」
こんな、記念の夜に。
目許を朱に染めるレンをじっと見下ろしたトキヤのくちびるが、笑みの混ざった吐息を漏らす。
「記念の夜だからこそ、です」
「あ……こら、」
腕を取られたレンは焦ったような声を上げるが、トキヤはわずかも表情を変えない。
「見られたくないなら、しがみついていて」
囁くと、小さく震えた体が愛しい。素直に回してくれる腕も。
抽挿は、はじめはゆっくりと余裕があるものでも、気付けば速くなっている。レンの甘い声、しがみついてくれていてもよがる肢体、ナカのびくつき、すべてに煽られてしまうからだ。
余裕が、剥ぎ取られる。
はじめはそれが苦手だったが、レンにばかり余裕をなくさせるのも不公平だし、なによりそんなことを考えていられないくらい余裕のないギリギリのところで感じる互いの熱が極まるのも、爆ぜるのも、他の何より、最上の悦楽だと知ってしまったら、止められない。
――止まらない。
「ぅ、あっ、ア……とき、や、ァ……もぉ……ッ」
「ッく、……ええ、わたし、も……」
互いに限界が間近だとわかれば、腰を掴んで容赦なく突き上げる。レンの、高く、短い、引き攣れたような嬌声。トキヤの熱を増幅させる。
ぐっとせり上がってくる熱。堪えることはしない。
「ぁあ、あッ……ア、ア……ッ!」
「は、……ッ、く……ッ」
熱をすっかり吐き出してしまえば、部屋に満ちるのは熱気の名残と荒いふたつの呼吸。
繋がりをほどいてしまうと、隣に寝転がり、ぎゅうとレンを抱きしめる。
「ン……、……」
呼吸が落ち着くまで言葉はない。だけどレンを抱きしめているこの腕は、彼を甘やかしたいと思っているものだ。何年も前、それこそハジメテくらいの時は居心地悪そうにしていたけれど。今はおとなしく甘やかされてくれている。
汗ばんだ背、額に張り付いた前髪を払ってやりキスをする。肩や腕を撫でる手は優しく。
そうしているうち、互いに呼吸が整って。レンからも身を寄せてくれて背を抱きしめてくれる。トキヤが幸せを噛み締める瞬間だ。甘やかしているようで、甘やかされているのだろうと思う。
「……何度もイッチーに抱かれてきたけど、さ」
か弱い声が聞こえて、レンの顔をのぞき込もうと抱きしめた腕を緩める。だがレンが抱きついてくれている腕を緩めてくれないので見えない。
「今日、……ヨかった、よ」
いろいろ、ね。
誤魔化すように付け足されたが、おそらくこれは照れているのだろう。素直に言ってくれればいいのに、と口端に笑みが浮かんでしまうのを抑えられない。
「……私も。ヨかったですよ、レン」
「…………ん。…………すきだよ」
耳許で、内緒話のように囁かれた言葉。
破顔して、
「あいしています、レン」
返した。
「…………あいしてるよ、トキヤ」
なぜだか不機嫌そうに聞こえたのはどうしてだろう。
強く抱きしめると、同じくらい強く抱きしめ返された。このまま眠ってしまおう。幸せな気持ちを、愛する相手を互いに抱きしめたまま。
「……おやすみなさい、レン」
「おやすみ、イッチー」
上掛けをかぶると、しばらくしてからふたつの寝息が寝室を満たしていった。
結局まだ喋り足りないとでもいうように、数名がは嶺二と蘭丸の部屋にいる。
夜更かしがしにくい真斗、那月、セシル、藍とカミュはすでにそれぞれの部屋で休んでいた。なお、真斗以外のメンバーはセミスイート一室をふたりで使っている。
「で、今まで考えてこなかった話題だけどさ」
「音也それ以上言わなくていい」
「あのふたりって、どっちがd」
「だから言わなくていいって言ってんだろ!」
音也の口を翔が強制的に塞ぎ、それ以上の発言をシャットアウトする。
「あんまりそういう下世話なこと言うなよな〜」
まったく、と翔が溜息を吐く。兄弟の兄という属性だけでなく、いつも彼は何かで苦労してしまう宿命のようなものを背負っているようですらある。
「そうだよ、音やん」
翔の肩をぽんと叩いたのは嶺二だ。翔の前に座る音也に笑顔を向ける。
「嶺二先輩」
「そういうことはね、本人たちが言うまで聞かないのが一番だし……なにより」
「なにより?」
音也が首を傾げると、嶺二は笑顔のまま言い切る。
「明日、歩き方がおかしいほうが花嫁だよ」
「嶺二ィ!!」
すぐに蘭丸の拳が落とされて黙らされたのだった。