誕生日が特に良い日だという認識はトキヤにはない。昨日と変わらない今日、ただひとつ歳を重ねる日。祝われるべきは、もしかしたら父母ではないかとも思う。
唯一、年上の恋人と半年だけ同い年になれることだけは嬉しいと思っているが、言えばその恋人に揶揄されるのは明白なので言わないでいた。
その恋人も、今日会うというのに日付けが変わった直後にメールをくれた。素直に祝ってくれるのは面映いが、他ならぬ彼が祝いの文句をくれることに意義があると思うのでありがたく、嬉しく、浮かれたことを表に出さない程度に受け取っておいた。
そうして彼、神宮寺レンが一ノ瀬トキヤ宅にやってきたのは、まだ充分に午前中と言っていい時間帯だ。
「ほんとに午前中ですね」
「約束は守るって言っただろう? ストレス発散も含めて、今日はアクティビティを楽しもうよ」
イッチーが好きそうなのを選んできたよ、とにこにこと上機嫌そうにしている。控えめに言って可愛らしい。
彼は車でトキヤを助手席に乗せるのも好きなのだと言う。誰でもいいのでは、と思っていたし車を持っていない事務所のメンバーの足代わりをすることもしばしばあるから、誰にでも平等なのかと思っていたが、そうでもないようだ。多少は妬いていたところもあったことは内緒にしている。
そのレンの車で連れられていく場所を、トキヤはまだ知らされていなかった。
「今日はどこに?」
「アクティビティなんだけど、頭は使うよ。イッチー向きかなって思って」
「バラエティの収録みたいなことを言わないでください。……ヒントが少ないですね?」
「バラエティは近いかもしれないな。オレも気になってたところなんだけどね」
初めて行くんだ、と、誰かと行くカフェやレストランはだいたい下見をする彼にしては珍しいことを言う。
「初めてプレイする感動は格別だろう? イッチーと感動を一緒に味わいたかったんだよ」
「……何も言っていませんが」
「目が何か言いたそうだったからね」
くすくすと笑うレンは人が悪い、けれどなにかいつもと感じが違う。なんだか……そう、ただ機嫌が良いだけでなく浮かれているようにも見えたし、楽しげにも見えた。日頃グループ内の年長者ぶった振る舞いをする彼にしては珍しいし、歳上の恋人としても珍しい。
平易な言葉で言えば可愛らしい。いつもと違うレンを見られるのは、気を許してくれているのだとしみじみ感じる。
レンが可愛かったのは、この時だけではなかった。
そのたびにトキヤは頬の内側を噛み締めたし、最終的に口内炎ができそうになるほどだった。
せめて、ここが家だったら。
抱きしめるなり口付けをするなり押し倒すなり、なんなりとできたはずで。外で衆人環視がある以上、耐えねばならないのが拷問のようにすら感じられた。
「イッチー大丈夫?」
アクティビティの後にレンのオススメ喫茶店でも、ショッピングでも、ディナーの時も訊かれたが、今またホテルに向かっている間も訊かれてしまった。
「大丈夫ですよ。……あなたが相変わらずよく食べるので感心したのを思い出していただけですから」
「今日は楽しかったし……イッチーと一緒だったからかな。食事がいつもよりずっと美味しく感じられたよ」
だからだよ、と照れたように言うのも、あなた本当に年上ですかと言いたくなるくらいにはかわいいし、はやくホテルに着いてほしい、色々な意味で。こんなに切実に願うのは久々ではなかろうか。
どこのホテルとも聞いていなかったが、車の進む方向から何となく見当はついた。サービスの良さと行き届いた客室に定評のある、海外でも評価が高い一流ホテルだ。もしかしたら彼の実家の系列だっただろうか。馴染みはないし普通に暮らしていればまず泊まることはないが、彼がここを選んだ限りには何か理由があるのだろう。
「あなたがこのホテルを選んだ理由もですが、一流ホテルでバスルームがガラス張りで透けて外から見える理由も聞きたいですね……」
ロイヤルだろうがセミだろうが、スイートルームのバスルームがガラス張りであることの意味はなんなのだろう。これがラブホテルの類なら理解は早いのだが。
「それは、意味は変わらないんじゃないかな……。それこそ、こんな部屋にひとりで泊まる人なんて、そうそういないだろうし」
いいホテルに泊まって、何もオヤスミナサイだけが目的だけじゃないだろう、とレンは苦笑する。
「もちろんレディ同士で泊まる場合も、気にはなるだろうけれどね? 同性同士の恋人でも、気にするものかい?」
「入浴していていつ襲われてもいいのであれば気にすることもなくなるとは思いますが」
「おや、恋人と密室にふたりきりでいて、遠慮されるほうが淋しいけどな?」
「…………」
まじまじとレンを見つめる。
「襲われたい願望でもありましたか?」
「あるとしてもイッチー限定だね」
「なるほど? ……では、お風呂先にどうぞ」
「今の流れで?!」
「逆に他だとタイミングが難しいでしょう?」
「そうかもしれないけど……、……仕方ないな。じゃあ、入ってくるよ。途中で入ってきても構わないからね」
くすくすと笑い、トキヤの頬を指先で撫でてから件のバスルームへとレンは行ってしまう。
もちろん見ないという選択肢だって存在する。
存在する、が。
恋人の裸を見ないという選択肢は存在しないのだ。
レンもそれはわかっているのだろう、バスルームに入ってさっさと服を脱いだ後、こちらへ視線をくれるとにやりと笑い、それから背を向けてシャワーを浴び始める。
「……きれいですね……」
磨かれた大理石の彫像のような滑らかさ、内側から光が滲むような艶。およそ理想を詰め込んだ一級の芸術品が理想的な所作で目の前を動き回るのだ、目を離せるわけがなかったし、できれば腕の中に閉じ込めておきたいけれど、やはり動いているところを見たいのでできない。
いつの間にか体を洗い終えたらしいレンが、バスに浸かりこちらへ手を振ってくる。脚が端から伸びているのは、たんに長さの問題だろうが、やけにセクシーだ。自分の魅力を知っている人だから、きっとわかっている。
仕方がない、とは誰に対する言い訳だろう。思いつつ、トキヤは立ち上がった。人の誕生日に浮かれて可愛らしい表情を大安売りするレンが悪い。けれどふたりきりのホテルで何を遠慮することがあるだろう。こちらの理性の糸を焼いたのは彼だ。
思い直し、開き直る気持ちでバスルームのドアを開けた。