電車でデート

 ごとん、ごとん。  車体が揺れる。せかせかしない、のんびりした速度。窓の外を流れる景色も、ゆっくりとしたものだ。のんびりと言い換えたほうがいいか。 「……あなたが小さい子供だったなら」  隣のトキヤが何かを堪えている顔で言う。 「きっと靴を脱いで座席の後ろの窓に張り付いて、目を離さないのでしょうね」 「イッチー、言っておかなくてもわかってると思うけど、オレはオトナだよ?」 「知っていますよ。だから『小さい子供だったなら』と仮定形にしたでしょう?」 「…………」  不満は表情に現れたらしい。当然だ。 「……もしオレが子供だったらどうするの」 「そうですね、今ならそれこそ靴を脱がせて窓の景色に集中できるようにします。人が多くなるようでしたら私の膝に座らせて」 「ずいぶん甘やかしてくれるんだね?」 「お利口さんで天使のようにかわいいとくれば、甘やかす以外にできることを知りませんね」  トキヤは大丈夫なのだろうか。いろいろな意味で。一瞬、真顔になりかかったが、窓の外、線路に並行して伸びた道路を散歩している犬を見たら忘れた。  大型犬と小型犬が、並んで歩いている。小型犬の歩く速度に合わせているのか、大型犬は悠然とした足取りだ。傍らを気にしているのは、飼い主より小型犬のことのようだ。 「……ふ、……かわいいなぁ……」  反対側の車窓は、窓からほんの少し手を伸ばせば、民家の壁や軒に触れてしまうのではないか。庭先などプライバシーはまったくないに等しい。 それでも他人の家の庭など見る機会はそうそうあるものではない。ついつい興味深く眺めてしまう。  ごとん、ごとん。  くたびれたような車内アナウンス。次の停車駅。聞いたこともない駅。どんなところなのか。 「…………、……」 「……ん? イッチーごめん、何か言った?」 「いいえ、別に」 「……オレの恋人は、いつからそんな見え透いた嘘をつくような男になったんだろうねえ……」 「心外ですね」 「どの口が言うんだか」  で、なんだって?  今度は窓からちゃんとトキヤへ視線を移してから問いかける。見つめたトキヤは居心地が悪そうに、少しだけ視線を逸らした。  こういうところのほうがよほど子供っぽいのではないか。思っても言わずにおくけれど。かわいいところだから直してほしくはない。 「よかった、と呟いただけです」 「……なにがだい?」 「そこまで言わなければいけませんか?」  逆にどうしてそこで渋るのか問い返したい。そんな疚しいことを考えていたわけでもないだろうに。 「どうせこの電車の中、聞いてる人は他にいないよ、イッチー」  さぁお兄さんに教えてごらん?  にこりと綺麗な笑みを作って言えば、トキヤは諦めたような溜息を大きく吐き出した。 「電車。……乗りに来て良かった、と言ったんです。こんなに喜んでもらえると思わなかったので」 「……子ども扱いしてない?」 「してません」  即座にキッパリ言い切られるとかえって怪しく思ってしまう。トキヤは涼しい顔だ。 「JRや地下鉄は渋ったよね」 「どちらも利用客が多いですから。あなたは人目を惹きますし」 「だいたい皆スマホ見てるからかえって大丈夫だと思うけど……」 「少しでもバレないほうがいいでしょう? ゆっくり電車を楽しめますよ」 「……そうだけど」  トキヤがいろいろ考えてくれた結果、ローカルな路線の一番人がいない時間帯を選んでくれたのだとは、今の車内を見ればわかる。おかげで車窓の景色は独り占めだ。だからその意味で不満はない。  隣に大人しく座るトキヤは、手許の文庫本に視線を落としている。ーーすこし、気に食わない。 「……あっ」  本を痛めないように取り上げてやると、咎める視線と目が合う。 「レン、」 「オレだけが見てても仕方ないだろう?」 「……?」 「同じ景色を、一緒に、見たい。……イッチーと」  言葉を区切り、強調しながらじっとトキヤの深い色の瞳を見つめる。これでわからなければどうしてやろう。  トキヤはぽかんとレンを見たが、それから徐々に表情を和らげた。 「……私の失敗ですね。デートの最中に、すみませんでした」 「理解が早くて何よりだよ。ほら、次の駅だ。……なんだかすこし賑やかだね」 「商店街でしょうか。そういえばここの駅から少し歩いたところにある神社は、パワースポットだと聞いたことがありますね」 「本当かい? じゃあ、一度降りてみようよ」 「電車を楽しみたかったのでは?」 「楽しんでるよ。こうやって思いつきで行動するのも、電車旅の醍醐味だろう?」  場合によっては時刻表に泣かされることもあるが、それはそれ、と笑ってトキヤの手を引っ張って降りる。入れ替わりで何人かの人が乗り込んで行くのを横目に、改札へ向かった。どのみちふたりきりの貸し切り電車は終わるところだったのだ。  改札を出て文庫本を返し、トキヤの案内で商店街を突っ切り、神社へ向かう。そろそろ昼時だから、どこかのお店でお昼を食べるのも良いだろう。時代を感じさせるような喫茶店も、食堂も好ましい。 「……喫茶店なら、あなたの好きなものがあるかもしれませんよ」 「え?」 「ナポリタン。……好物でしょう」 「……いつから人の心を読む特技を身につけたんだい?」 「なんとなくです。喫茶店の看板が見えたので」  あとでゆっくり散策しましょう、と言われて頷く。  ふたりの時間がこんなに愛おしくなるなんて、以前は想像もしていなかった。 「……レン? どうかしましたか?」 「ん? いや、なんでもない」 「ほら、行きますよ」 「……えっ」  手を取られ、そのまま少し足早に連れて行かれる。手を、繋いで、いる、のだろうか。  こんなことよりずっと、もっと恋人らしい接触や触れ合いだってしているのに。  気恥ずかしいのは外だからだと言い訳したい。  人目を気にするトキヤが、何故、どうして。そんなことばかり気になって、手を取って繋いでくれたトキヤの手のひらが、ほんの少し汗ばんでいることには気付かなかった。
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