「お邪魔します……」
誰もいないとわかっている部屋でも、そんなふうに言ってから上がるのは、自分の部屋ではなく恋人の住むマンションの一室だからだろうか。
思わずそろりと室内に入り、音を立てないようにしてしまう。
リビングに入ると、持ってきた巨大な花束と巨大なバッグをなるべく丁寧に下ろす。正直歩いて来ていたらめちゃくちゃ目立ったはずだ。車が運転できて良かったとしみじみ思う。
「イッチーが帰ってくるのは夕方だから……」
六時間くらいの猶予だろうか。時間はあって困るものでもない。
段取りは、一応考えてきているのだ。
料理は必須で、室内も花やライト、飾りで装飾する。花は飾りやすいようにそれぞれを束にしてもらったりしたから、すぐに飾ってしまおう。雰囲気を揃えた花瓶も、いくつか持って来ている。
この花はどこに飾るのがいいだろう。玄関はこちらの清潔で清楚な雰囲気があるものを。こちらの小ぶりな小さな花束は食卓に。少し大きめの花たちは、寝室がいいだろうか。トキヤの洗面所はきれいに整頓されているから、このかわいいサイズはそこに紛れ込ませよう。こちらのごく小さなプリザーブドフラワーは、いつかのお返しだ。
こちらの花の色はこちらにも、とあれこれと弄り、ようやく満足がいくように飾り終わると、今度は壁だ。
バッグに入れていた大振りのケースからガーランドを取り出すと、壁と家具のバランスを見ながら飾り付けていく。Happy Birthday Tokiyaの文字ももちろんあるが、旗に紛れさせるようにさまざまな写真を印刷してある。ふたりきりのものもあれば、仲間たちや先輩も一緒のもの、トキヤだけのもの、自分だけのもの、様々だ。
バルーンは膨らませて持ってくると嵩張るから、膨らませるのはいくつかと、ヘリウムで膨らませておきたいものはさらにあと。
作業はイメトレしていたが、思ったより時間がかかる。なんとかひと通り満足いく程度に飾り付けると、今度は作業より慣れていない食事の準備をしなければ、とレシピと食材を慌ててキッチンへ持っていった。髪は簡単にくくる。
トキヤのための料理だから、もちろん野菜が中心になる。肉類はなるべく良いもの、脂身の少ない部位を選んだつもりだ。牛や豚よりジビエ的な肉のほうが良かったかもしれないが、扱いに慣れていないから鴨までに留めた。
他人の台所を使うというのは、慣れていても慣れていなくても大変なのだな、としみじみ感じる。その意味では、いつも自分の部屋で料理を振る舞ってくれるトキヤにいっそう感謝しよう、とレンは心に決めた。
「〜〜♪ 〜〜♪♪」
料理は一度、練習のために作った。その時に手順から何から確認してある。メインはオーブンでじっくり焼くとして、サラダのドレッシングもノンオイルの自作だ。トキヤはだいたいレモンのドレッシングを使っているようだから、少し変えてスダチにしてみた。気に入ってくれると良いのだけれど。
鴨のソテーもソースは柚子、シャンパンも用意してあるがカクテルもある。こちらはオレンジを使っている。
シャンパングラスやカクテルグラスまで用意したと言ったら、彼はどんな顔をするだろう?
(そもそも、料理のお皿も半分くらいは持ってきたものだけど……)
白い皿だと味気ないから、焼き物の皿だ。これはたまたま陶芸家の作品を見て気に入ったものを購入した。これもプレゼントのひとつ。
本命のプレゼントは、別に用意してある。
「……あ」
おおよそすべての支度ができたところで、トキヤからの連絡が入る。あと三十分ほどで帰ってくるようだ。急いでカラフルな風船たちにヘリウムや空気を入れて空間を飾る仕上げにした。
ちょっとしたオモチャ箱のような空間に満足するが、満足感に浸っている場合ではない。
「着替えないと……」
ふたりきりだけれど、パーティにふさわしい服を。トキヤにはトキヤに似合いの服を用意してある。もちろんこれもプレゼントのひとつ。きっと似合う、と確信はある。なにしろ神宮寺レンの見立てだ、大きく外れることはあるまい。
早着替えに慣れた勢いで着替え、着てきたシャツやボトムは簡単に畳んでバッグへ。この大きなバッグだけがやや不格好だけれど、ソファの影にでも置いて誤魔化しておこう。
髪はルーズなハーフアップにした。正装をあえて崩す、決めすぎないあたりが恋人を祝うのに相応しいのではないか。
鏡の前でチェックを簡単に終えると、玄関チャイムが鳴る。慌ただしさを微塵も見せない微笑を浮かべ、愛しい人を迎えに出た。
本当は。
外で豪華な食事や素敵な眺めのホテルだとか気に入っている宿に泊まりに行くだとか、いくらでも考えついたけれど。
なんとなく、トキヤの部屋で、トキヤが生まれてきたことを喜んで祝って。そちらのほうがトキヤには良いような気がしたのだ。
(イッチーはあれで、お返しにこだわってくるからね……)
遊園地を貸し切りにして一日中遊び倒すのも、案としては良かったなと思うが、今日でなくてもいいかと思える。それは、トキヤが実に美味しそうに手料理を食べてくれるからだ。
「……なんですか、人の顔をジロジロ見て」
「んー? ……イッチーが幸せそうだなあってね」
「……なんなんですか……」
はぁ、とワザとらしい溜息を吐かれるが、ちっとも呆れたふうにも見えない。
「あなたは?」
「え?」
「幸せですか?」
そんな問いを、まるでプロポーズでもしているかのような顔で言ってくるのは卑怯だとレンは内心で唸る。送ったタキシードもハイブランドのモデルででも通用しそうなほど似合っているし、格好いい。
「……とっても!」
せいぜい笑顔で返してやった。