恋人に、花を贈る理由はなんだろう。
トキヤはタクシーの窓から見た花屋に想いを馳せる。本番の合間、休憩時間のことだ。
誕生日や記念日であれば、それが理由になる。けれど今日はそんな日とは縁がなく、いわゆる「なんでもない日」。まして贈りたいと思った相手は神宮寺レン、姿形はうつくしくても、れっきとした男だ。
とはいえレンは花が似合う男でもある。華やかな花が、特に似合う。薔薇はその最たるものだろう。
けれどトキヤが車窓から見た花、贈りたいと思った花は、どちらかというと地味な花だった。薔薇も入っていたように見えたが、派手な色ではない。立っているだけ、座っているだけでも華やかな男に、はたしてあの花たちが似合うかどうか。
似合うか似合わないかを抜きにして考えると、レンが贈り物を喜ばないという選択肢はありえない。育ちの良さゆえか、彼が何かを、誰かを悪し様に言うのはほとんど聞いたことはない。例外は真斗かもしれないが、あれは幼い頃からの付き合いを拗らせているから、本当に特例だ。
喜んでくれる。それはわかっている。
似合うかどうかを気にするのは、単にトキヤ自身の問題。レンに似合わないものを、自分が贈りたくない、贈るわけにはいかないと思ってしまう。要はプライドだ。
けれどやはり気になる。
仕事が終わっても気になるなら、あの花屋に寄ってみようか。買うとは一言も言っていない、見るだけだ。間近で見たら印象が違うかもしれないし、他に似合いの花があるかもしれない。あるいは自宅の窓辺や食卓に似合いの花が。
そんな言い訳を自分にして、今日最後の撮影が始まった。
待ち合わせに先に来たのはレンだった。
たまたま前の仕事が順調に進んで、早めの解散になったお陰だ。
「たまにはいいね」
好きな相手を待つという行為が嫌いではないと気付いたのは、トキヤと付き合い始めてしばらく経ってからのことだ。待っている間、彼のことを考える。今日の予定、何をするか、どこに行くか、食事をどうするのかを考える。もともと尽くすのは好きなほうだし、苦にはならない。
とはいえいつもいつもレンが主導権を握って仕切っているわけでもない。あれでトキヤも案外尽くすのが好きなほうだし、ライブのパフォーマンス同様、強気で強引なところもある。もちろんそんなところも好ましい。
レンとトキヤに共通しているのは「相手を喜ばせるのが好き」だということだろうか。
さて、今日のスケジュールはどうなるだろう。夕食に程よい時間だからレストランにでも行って、食後だと映画のレイトショーには間に合う。
あとは少し遅い夏休みを合わせることに成功したから、どこに行くか打ち合わせをしても良い。この場合は遅くまで開いているカフェを知っているし、どちらかの家に行っても良い。
「お待たせしました」
色々なことに思いを馳せていたら、待ち人はすぐにやってきた。名前を呼ばないのは、一応人目を慮ってのこと。
「オレのほうが思いがけず早く終わったからね。そう長いことは待ってないから大丈夫だよ」
「あなたはいつもそうやって私を甘やかしますね……」
「それくらいはね? じゃあ、先に食事にしようか。食べるところでもその後でも、どこか行きたいところはある?」
「そうですね……食事の後はあなたの部屋でも?」
おや、とトキヤを見る。特に何か企んでいる風でもないし、強いて言えば少し緊張しているように見える。
「かまわないよ。食事はタイ料理でも大丈夫かい?」
「はい。美味しいところを見つけたのですか?」
「この前のラジオの収録がおチビと一緒でね。帰りに食事をどうしようかって話してた時にたまたま見つけた店が、美味しかったんだ」
春雨のサラダもグリーンカレーもガパオライスも美味しかったから、他のものもきっと美味しいよ、と言えば、トキヤもなるほどと頷く。
「では、そこで。案内をお願いします」
「OK。近くの駐車場に車を停めてるんだ。ちょっと距離があるし、乗っていこう」
「ええ」
頷いたトキヤを促し、駐車場へ向かう。恋人を隣に乗せて車を走らせている時間がとても好きな時間だと、この男は気付いているだろうか。
楽しい夕食時間を過ごした後は、また車で少しドライブをしてから当初の予定通り、レンの家へと落ち着いた。
「紅茶でいいかい? 今、豆も粉もちょうど切らしていてね」
次の休みに買いに行こうと思ってた、と肩を竦めるレンに、くすりと笑む。
「私のほうも、ちょうど豆が切れる頃でしたから……明日、一緒に買いに行きましょうか」
「いいのかい? イッチーのオススメは美味しいから、助かるよ」
「ええ、構いません」
和やかな会話の後、話題は自然と夏休みの予定へと移行していく。
ふたりでやりたいこと、行きたいと思っていた場所、時期を外してもできそうなこと。メモやタブレットに書いていき、合間に紅茶やレンが買っていた低糖質のクッキーをつまむ。
いつ、アレを渡そうか。
見計らいすぎて見失っていたタイミングを与えてくれたのは、レンだった。
「イッチー、何か気になることがあるんじゃない?」
「え」
「心ここにあらずって顔、してるよ」
「…………」
そうだ、レンは人よりずっと聡いのだ。集中していなければバレるのは当然だった。機嫌を損ねた風はないが、これは素直に白状したほうが良い。
「実は……あなたに贈りたいものがあるのですが」
「オレに?」
ソファの傍らに置いていたトートバッグから、12cm四方、高さは10cmほどの小さな包みを取り出す。黄色やオレンジ、ピンクといったかわいらしげな色でラッピングされたそれを、レンへと差し出した。
不思議そうな顔で受け取られたが、イヤな顔をされなかったのは幸いだ。
「開けてもいいかい?」
「もちろんです」
なんだろう、と楽しげにリボンをほどいてラッピングを開けたレンは、包みの中身を見て目を丸くする。
「……ずいぶんと、きれいだね? プリザーブドフラワー、だっけ」
「はい」
白やくすんだ薄青、くすんだピンク、いわゆるアンティークカラーの色をベースに、鮮やかなのはスミレとガーベラ。紫と、オレンジ。
「……ふふ。きれいだね」
「花言葉は知りませんが。……きれいだったので」
特に何もない日ですけれど、と言い訳を並べる。そんなトキヤに対し、レンはくすくすと機嫌良さそうに笑う。
「いいじゃないか。オレに花を贈りたかった日ってことだろう? そう思わせてくれたこの花には感謝しないとね」
「…………」
そんな愛しそうにボックスを撫でられるとは思わなかった。地味かと思っていた花たちは、レンのお陰で特別な花束へと変わる。
喜んでくれた、喜ばせることができたことに安堵した。
「……あ、これは開くとフォトスタンドになってるんだね」
箱をいじっていたレンがふと気付き、ボックスを開く。その仕掛けが贈る決め手になったと言っても過言ではない。
「そうなんです。……夏休みに出かけられた時の写真など、飾るのもいいかと思ったので」
「その時はカメラを持っていくよ。フィルムカメラのほうがいいかな……両方持っていけばいいか……」
簡単に印刷しただけでは褪せてしまうから、と少し淋しそうに言う。データは色鮮やかに残るだろうが、そういう問題でもないらしい。
旅のプランを増やすべく思案していたレンが、トキヤを見てにこりと笑む。
「素敵なプレゼントをしてくれた恋人に欲情しちゃったんだけど、どうすれば良いと思う?」
「……恋人も欲情させればいいと思いますよ」
「どうすればいいかなぁ……」
色んな方法を知っているくせに、わざとらしく思案する様子を見せる。プリザーブドフラワーは脚の低いテーブルのほうへ避けられた。安全圏というやつだ。
猫のような笑みを見せる恋人の腰を引き寄せ、耳許にそっと囁く。恋人ははにかんだ笑みを浮かべると、トキヤの首へ腕を回し、しなだれかかりながらキスをした。