言葉の意味について考えたい

 ふと時計を見て気付く。そろそろレンがやってくる時間だ。  夕食については彼の好みを考慮した上で用意してある。米は炊けたし蒸らしてある。あと何をすればいいだろう。 「……冷たい飲み物でも用意しますか」  近頃は暑くなってきたから、レモン水を作っている。たしか瀬戸内レモンだったか。普通に買うと高価だったように記憶しているが、番組でやけにたくさんいただいてしまった。ジャムにもしたし、はちみつレモンも作った。レンも食べるか、来てから聞いてみよう。  グラスを用意していると、玄関チャイムが鳴った。応答すれば、当の待ち人だ。すぐに玄関を開けた。 「やあこんばんは」 「お疲れ様です。上がってください」 「うん、お邪魔するよ」  勝手知ったるとばかり、ドアの鍵をかけてくれたレンは、爪先が上がった形の革靴を脱いで部屋へ上がる。そうしてつくづくとトキヤを見てきた。 「珍しい服を着ているね」 「ああ……」  自分の格好を見下ろす。言われてみればその通りだ。 「なんだか映画で見たことがある気がするね……中国、の……」 「長袍、チャンパオです。次のドラマで私の演じる人物が、日常的によく着ているという設定だそうなので……着慣れておきたくて」 「なるほど……真面目なイッチーらしい。じゃあもしかして、晩ご飯は中華?」 「当たりです」  やったね、と喜ぶレンはいそいそとダイニングテーブルに座る。料理はまだあたたかいままだったので、皿に盛りつけて運ぶ。  エビチリ、麻婆豆腐、青椒牛肉絲、酢豚、餃子に棒々鶏、レタスと卵と叉焼を使った炒飯、干し貝柱からしっかりダシを取った卵と豆苗のスープ。飲み物はアイスジャスミンティー。あまり手はかけていませんが、と謙遜はしたものの、レンは目を輝かせている。 「ずいぶんな謙遜じゃないか。これだけの量を用意するだけで充分手間暇かかっていると思うよ」 「そう言われると嬉しいですね。……どうぞ、召し上がれ」 「いただきます」  両手を合わせてから箸を取る。レンが真っ先に取ったのは酢豚だった。きっと次は麻婆豆腐だろう。彼好みに山椒を効かせておいた。気に入ってくれるといいが。 「そういえば、あなたにお願いがあるのですが」 「お願い? この夕食のお礼になるのなら、するよ」 「よかった。ひとまず食べてくださいね」  うん、と返してくれるレンは実にいい食べっぷりだ。炒め物関係はほぼレンのためのもので、トキヤ自身は餃子と棒々鶏と炒飯とスープで充分満足できる。  食後を楽しみにしつつ、今は料理を楽しんだ。 「…………は?」 「そんなすごい顔をしなくてもいいでしょう。きれいな顔が台無しですよ」 「いや、そんなすごい顔をさせてるのはイッチーなんだけど? おまえこそ、そんなきれいな顔で何を言ってるんだ」  引き気味で正気? とまで言われてしまう。  まさか正気を疑われるとは思わなかった。遺憾である。 「もちろん正気です。せっかくサイズも揃えて買ったんですよ。きっと似合いますから着てください。ね?」 「ね? じゃない! イッチーが何を思ってオレにそれが似合うと思って買ったのかはいいとして……いや、いいのか……? そもそもそこが良くないんじゃ……」  後半は何かぶつぶつと言っていたが、聞かなかったことにする。トキヤは小さく溜息を吐いた。 「夕食のお礼になるなら、と言ってくれたでしょう? 神宮寺レンは約束を反故にする男でしたか……?」  悲しいですね……と、ややわざとらしく嘆いてみせる。動物の耳としっぽがあれば、しょんぼりと垂れさせて見せた。  ぐ、と詰まった顔をしたレンは悔しそうに顔を歪める。 「……なかなか卑怯なことを言うじゃないか……」 「あなたが素直に応じてくれないからです」 「悪いの別にオレじゃないよね?」 「私は悪くありませんが?」  レンの腕を強引に取ると、「はい」と言って持っていた衣装を(かなり強引に)渡す。 「着てきてください」  ここで待ってますから。 「……こんな時ばっかりかわいい顔で笑って……」 「そんな憎らしそうに言わないでください。かわいいだけですよ?」 「おまえは本当にかわいくなくなったよね……」  早乙女学園に入学した当初は、と、酔っぱらいの繰り言のようなことを言われてもトキヤは涼しい顔だ。厚顔になったというのだろう。けれど多分、根本は変わっていない。目的達成のための手段は最善・最短ルートを選ぶところは。  なおも文句を言っているレンを寝室へと送り出すと、ひとまず機嫌を取るためにコーヒーを淹れておく。ただの着替えならもっと早いだろうが、あれだけ渋ったのだからそれなりに時間はかかるだろう。  レンが気に入っている豆を挽き、湯を注いで。マグカップに注いだ頃になって、レンがようやく姿を現した。 「イッチー……やっぱり、趣味を疑うんだけど?」  溜息混じりの台詞とともに戻ってきたレンへ視線を移す。  黒絹に、胸のあたりは金や銀の糸で象られた龍の刺繍。詰まった立て襟のパイピングは金。腰のあたりから裾にかけては牡丹や葉の刺繍。そして深いスリットは左側にだけ。 「素敵な旗袍でしょう?」 「オレの話を全然聞いてないね? 素敵だろうとなんだろうと、チャイナドレスはレディの着るものだろう?」 「そうですね。あちらで座ってください。コーヒーを持って行きますから」 「ほんとに聞いてないね……」  諦めた感のある口ぶりで肩を竦めると、それでもおとなしくリビングのほうへ行ってくれる。後を付けるようにトキヤもコーヒーとともにリビングへ向かった。 「……ご機嫌取りかい? って、座らないの?」  彼にマグを渡し、つくづくとその姿を見下ろし、眺める。  普段のレンより露出はだいぶ低い。少なくとも上半身に限っては、そうとう低い。  けれど腰から下になると、深いスリットのおかげで綺麗なラインの脚が晒されている。これは素晴らしい。この衣装を発明した人と、この衣装を彼に着せようと思って実行に移した自分に惜しみない賞賛を与えたい。 「……あんまり見てると脱ぐよ……?」 「脱いでくれるんですか?」 「誰が目の前でって言った!?」 「冗談です」 「冗談の目じゃなかっただろう……」  バレた、と思わないでもないが、冗談ですよと言って誤魔化しておく。そうしてようやくレンの隣に腰を落ち着けた。 「でももう目的は達成できただろう? 着替えてもいいんじゃないかな……」  落ち着かない、と言うレンに首を傾げる。 「コーヒーを飲んだら脱がしてあげますから、それまで待っていてください」 「は?」 「脱ぐなら脱がしてもいいでしょう?」 「そういう問題……?」 「実のところ、あなたのきれいな脚のラインがこんなにこの服に合うとは思わなかったので……」 「……変態かな……?」 「失礼ですね。好きな人の好きな部分のうちのひとつがきれいに強調されたら、嬉しいものでしょう?」 「そうかもしれないけど……って、誤魔化されないよ」 「久しぶりにあなたに会えることに、浮かれていたことは否めません。……楽しみにしていたんです、あなたに会うことを」 「……う……」  目を見て熱を込めて、囁くように言えば。レンが言葉に詰まったのがわかった。  レンがこの顔に弱いことはなんとなく把握しているので、確信しての犯行である。  頬に手を添えてこちらを向かせ、そろりと顔を近付けてくちびるに触れるだけのやさしい口付けをして。鼻柱をすりあわせるような距離で彼の空色の瞳をやや上目に覗き込み。 「……ダメ、ですか……?」  少し弱々しく問い、じっと待つ。  レンは視線をうろうろとさまよわせ、答えに迷っていた風だったが。 「…………ダメじゃ……ないけど……」  それでもこの格好は、ともごもごと言っているのをくちびるを塞いで言葉を奪う。 「嬉しい……ありがとうございます」 「……うん……」  複雑そうな表情をするレンを、彼が満足するまで抱こうと決め、まだ熱いコーヒーをぐびりと飲んだ。
>>> go back    >>> next