05籠中鳥

 原材料。  トキヤは小さく口の中で単語を繰り返す。  まるで何かの料理を作るみたいだと思った。  いや、料理ではない。店主は最初に言っていたではないか。 「籠中鳥は自然現象や狼や雀や龍のように自然に存在するものでも、魔法使いのような突然変異でもない。……分類で言えば、今飲んでいるティーカップ、座っているソファ、それと同じだ」  つまり、加工品だ。  ――なんの? 「…………、……」  店主は溜息を吐く。  一度視線を落とし、それからまっすぐにレンを見つめた。 「人間だ」 「…………」 「…………」  静かに走る衝撃。  予想した答えとはいえ、肯定されれば重さが違う。 「なんで……それで二級なんだ? 一級でもおかしくないじゃないか」 「魔法を掛けた相手が死ぬわけではないから、……というのが二級禁呪に指定された理由だ。俺を睨むな。俺が指定したわけではない。……古くから指定がほぼ変わっておらんからな。見直しが必要だとは思うが」  制定を変えるのも大仕事で、旧式を重んじ面倒を嫌う魔法院はあまり乗り気ではないらしい。 「何十年程度に一度あるかないか。その程度のことだから余計にだろう」 「でも、今はここ数年で五件も出てるんだろう? おかしいじゃないか」 「おかしいとも。……俺のほうでも独自に調査中だ。誰が俺の店の前に籠中鳥を置いていくのか。何を狙っているのか。目的。……わからんことには気味が悪い」 「じゃあ」 「ああ。わかり次第、連絡を入れる。大人しく待っていろ」 「ありがとう、バロン」 「貴様のためではない。……魔法院のメンツもある。それだけだ」  そうして紅茶を飲みきったところで追い出されると、レンはトキヤと目を合わせた。 「素直じゃないよね?」  同意見だ。こくりと頷いた。  その日の夕食はねぐらからはだいぶ離れた港町で、魚料理を食べた。  鯛飯、というのをトキヤは気に入り、珍しくおかわりをしたほどだった。他にも冬が旬だという白子、あん肝なども食べて幸せに浸る。  レンはそんなトキヤの様子に嬉しそうにしていて。帰りはうたを歌い、星を眺め、星にまつわる神話の話などをした。  そうしてレンは空を絨毯で走る時に呟く。 「……ずっといられたらいいのに……」  自分のことを考えると気軽に「います」とも言えず、トキヤは口を開けなかった。  翌日以降、レンは必要以外の外出をしなくなった。  書庫になっている部屋に引きこもりで、様々な文献を漁っているらしい。食事に関しては彼の使い魔にお金を渡し、二人分の三食を買ってきてもらって、そのままで食べたり温めたりしながら首っ引きだ。  定期的な仕事以外ではほんとうに外食をしなくなった。いや、正確にはデリバリーしてもらっているのである意味では家で外食しているのだが。  あまり根を詰めるのも良くない。けれど本をあちらこちらと読んでいるレンに声を掛けるのは憚られ、トキヤも黙って本を読むか、たまに鼻歌のようにうたを口ずさむかだ。  だからトキヤはレンに話しそびれていた。  昨日、夢を見たということを。  籠中鳥は夢を見ないのが普通らしい。何かの文献にそう書いてあった、とレンが言って、トキヤに問いかけてきたことがある。たしかにそれまで夢を見たことがないと思ったので頷いた。  けれど、昨晩は夢を見たのだ。内容もおぼろげに覚えている。  トキヤは浜辺を歩いていた。素足で、レンも一緒だった。  夕暮れ時、空も海も朱に染まり、吹いてくる風は心地良かった。  何か話していたと思う。けれど何を話していたかまでは思い出せない。  それより、レンが甘く優しく微笑んでくれていたことのほうが大切だ。夕陽に照らされたレンの美しかったこと!  そうして、トキヤは空の一角を指す。レンもそちらを見上げてくれた。  ふたりで見上げたのは宵の明星だった。明るく綺麗な星。まるでレンのようだとも思った。  寄り添い、その星を見上げて。砂浜を転がるようにじゃれるようなキスをしたことまでは報告はできないが、星空を見上げたところまでは言ってもいいはず。  どきどきした、ということは秘密にしておこう。  ちょっとした事件が起こった。  ある街で仕事を済ませた帰り道、夕食は何にしようかとふたりで話していると、前から大きな犬を散歩させている少女がやってきた。  動物は嫌いではない。けれど、トキヤよりずっとずっと身体が大きいから少しは警戒してしまう。レンの魔法でトキヤの姿は見えなくなっているから近頃ではそんな警戒も稀だったが、その時は何故か緊張した。予感、というやつだったのかもしれない。  毛並みの良い犬。可愛がられているのだろう、幸せなら良いことだ。??ふと、その犬と目が合った気がした。  いや、気のせいではない。犬はトキヤを見るや目を輝かせ、太くて長い尻尾をぶんぶんと振り出したからだ。 「……レン、見えているみたいですよ」 「ん? ……ああ、犬か。たまに見える子がいるみたいなんだよね……、っわ?」  勢いよく走り出してきた犬はどか、とレンの胸にアタックしてきて、バランスを崩したレンはそのまま倒れてしまった。  咄嗟の勢いにリードを離してしまった飼い主の少女も驚いたのだろう、オロオロしながら「大丈夫ですか」と「ごめんなさい」を気の毒なくらい繰り返していた。身体を起こしたレンは「大丈夫だよ」と言って身体を起こす。 「やあ、元気なわんちゃんだね。……あれっ?」 「レン!」  トキヤをいつも胸許に留めている魔法のチェーンが切れてしまった。そうしてトキヤはといえば、籠の瓶ごと犬に銜えられてどこかに連れ去られようとしていた。 「あ、こら! それは持ってっちゃダメだよ!」  こんなに焦ったレンの声を聞いたことがない。飼い主の少女も慌てた声で犬の名を呼び、ふたりで追いかけて来るのがわかる。  けれど犬は追いかけられれば楽しいのか、トキヤを放す気配もなくどこかへと駆けていく。 「あの、私をレンに返してくれませんか」  言葉が通じるかわからないが、とりあえず話しかけてみる。少しなら動物の言葉がわかるので、動物の言葉で話しかけた。けれど応答はない。  しばらく無言だった犬が、あるところまで来るとトキヤを地面に下ろした。いや、正確には落とした。そして前脚でおもむろに挟み、瓶をがぶがぶと噛み出した。どうやらおもちゃとして認識されているらしい。 「あの! 私は! おもちゃではありません!」  前脚でつつくように転がしてはがぶりとかぶりつく。  犬の口って大きいな、などと現実逃避に入ってしばらく。犬が飽きるのを待つか、と諦めの体勢に入った。どうせ瓶の中なら平行を保っているし、割れることもない。  犬のほうは、どうやらひとり遊びがヒートアップして興奮しているらしい。前脚でトキヤを転がす動きが激しくなり、いざ飛びかかろうとした時だ。犬の力が思ったより強く、少し遠くへ飛ばされたかと思った。それと少女が飼い犬の名前を呼んだのはほぼ同時で、犬の気がそれた。  飛ばされたトキヤは木の根に弾かれ??。 「っ、トキヤ!」  名前を呼ばれたほうを振り仰ぐ。レンだ。反射的に手を伸ばした。瓶の中から、届くわけなんてないのに。  けれどレンはしっかりと掴んでくれた。トキヤの瓶、籠を。 「あ、せったぁ…………」  レンは滑り込みのような体勢でトキヤを掴んでくれたようだ。そろりと自分の背後を見てトキヤはゾッとした。黒い穴が広がっていたのだ。 「レン、ありがとうございます」 「無事でよかった……ああレディ、泣かないで。オレの大切なものなら無事だったから大丈夫だよ。……うん、キミのせいじゃない。キミの相棒が元気良すぎたんだね。さあ帰ろう」  起き上がると、街まで送るよ、とフェミニストを発揮して、街まで戻る。戻った頃には少女の涙はすっかり乾いていて、レンはすごいなあとトキヤは改めて思う。  夜になりかかった頃に街に到着すると、少女の両親が気を揉んだ顔で待ち受けていた。どうやらレンが報せを送っていたらしい。かなり恐縮していた様子だが、少女と犬が無事な様子にホッとした顔でレンに礼を言い、食事をするならと、彼らの親戚が経営しているレストランに招待してくれた。 「いい雰囲気だね」  オープン席の他に個室が数室あり、たまたまキャンセルが出たからと個室に通された。  ご迷惑をおかけしたからと、夕食は彼らの奢りだ。 「ありがたく頂こう」  かといって食べ過ぎるのも良くない。  香草のサラダや卵を落としたガーリックポパイ、分厚いベーコンを挟んだ揚げパン、ひよこ豆や大豆が入った豆のポタージュ、柔らかな子羊のステーキ。ひと通り人気メニューを頂いてから爽やかに礼を言って辞す。 「……食べ足りないよね?」 「あなたはそうでしょうね」 「イッチーだって美味しいデザートなら食べたいだろ。隣町に行こう」  道すがら、レンが「イッチー、ごめんね」と謝ってくる。 「夕方の。……まさかあの犬が見えてるとは思わなかった」 「不慮の事故ですよ。あなたのせいではありません」 「そうは言っても……責任と、自分の魔力の低下を疑うよ」 「低下してるんですか?」 「いいや、そんなことはないけど」 「それなら、たまたま私が見えた犬が好奇心旺盛なヤンチャな子だったというだけですよ」  たしかに瓶を銜えられてどことも知れない場所に連れて行かれるのも、何をされるのかも、不安だった。  けれど。 「……あなたが来てくれると、信じていましたから」  だから気を保っていられたのだ。 「イッチー……」 「私の好きなレンは、いつまでもそんなショボくれた顔をしていませんよ。……それに、最近ずっとこもりっぱなしだったでしょう?」 「ああ……」 「いい運動になったとでも思ってください」 「……手厳しいね?」 「たまには、外に出ましょう? 私は、あなたの傍にいますから」  蒼の瞳をじっと見つめ返す。手のひらを、ガラスの壁についた。この壁の外、レンを抱きしめられるならそうしたかった。  彼の憂いをすっかり取り払い、抱きしめて安心させられるようになりたい。  レンに引き取られてから今までの時間で、初めてそう思った。
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