01籠中鳥

 もうずっと前から、消えてしまいたかった。 「見栄えはいいのに……」  何度そう言われてきたのかはわからない。  その店を訪れた多くの者、見る人見る人すべてに言われてきた。 「これで歌が上手ければね」  一ノ瀬トキヤは歌が下手な籠中鳥(カナリア)だった。  見た目も整い、身だしなみにも気を配り、与えれば本も読むし、だから知識も多かった。籠中鳥でなければ引く手あまただったに違いない。けれど籠中鳥だったから歌が下手な籠中鳥をわざわざ大金叩いて買おうとする者はいなかった。  その日までは。  店は市場から伸びる通りを一本横手に入ったところにあった。風通しが良く、明るい。こういった店にしてはオープンな店だったと、後になってトキヤは思う。  魔法の道具――杖やカード、書物、瓶、外套、仮面、はたまた使い魔用の小獣、小獣の餌、不思議な生き物たちや剥製、鉱物、香油や何かの粉、魔法使いや魔女が日常で使うような様々なものに溢れた店だった。  店に近寄るのはたいてい魔女や魔法使いだが、中には好奇心旺盛だったり、虚栄心が溢れすぎて漏れた結果この店に来るような輩もいた。そういう連中はたいてい店主が煙に巻いて追い払ってしまうのが常だった。  そうしてこの店の客層であるところの魔女や魔法使いは、店に並べられていた籠中鳥の何匹かから選んで引き取ることもあったし、遠方からの要請で籠中鳥を送ることもあった。  そんな中でもトキヤは誰に引き取られることも、誰かの元へ送られることもなく、店にいた。気が付いた時からこの店にいたから、淋しいと感じることもあまりなかったと思う。籠中鳥は個別に管理されて互いに喋ることもなく、ヘタをすればどんな姿だったのかも知ることなく別れていく。  トキヤの籠は、高さ二十センチほどの四角錐で透明度の高い硝子瓶だ。硝子瓶とはいっても魔法がかかっているから、落としても壊れることはないし、中にいるトキヤが怪我をすることもない。食事は水分とともに少なくとも一日一回は必要で、トキヤの場合は本を与えておくと大人しくしている。  店主は天気が良い時には庭に出したテーブルでアフタヌーンティーをする時がある。そんな時にはトキヤをテーブルに置き、彼と午後の茶を楽しむことがあった。  どういうつもりだったのか、トキヤにはまったくわからない。ただ読んだ本の話や知らない話を聞いたりするのは楽しかったことは覚えているし、一度だけ店主の友人だという魔法使いも同席したことがあった。今日と同じ、抜けるような蒼空のような色の瞳の男だった。  その男が、今また目の前にいる。 「いいのか? 神宮寺。そやつは歌わんぞ」 「構わないよ、別に。そういうつもりで欲しいって言ってるわけじゃないからね」 「何か別の目的でもあるのか? 依代か?」 「そういうのでもないって。勝負には勝ったんだし、いいだろう?」 「……俺が負ければ店の中のものをなんでもひとつ持って行けと言ったのだ。二言はない」  気を取り直したように店主が言うと、神宮寺と呼ばれた男は嬉しそうにトキヤの入った瓶を取り上げる。そうして大事そうに外套の下の胸に抱えてくれた。世界が闇に包まれたようになる。けれど声が聞こえている間は大丈夫だと思えた。 「じゃあ、また来るよ」 「落として壊すなよ」 「壊れないって知ってるくせに」  落とすつもりもないよ、と笑って神宮寺という男が店を出て行く。  外套の下にいるトキヤには何をどうしてどうなったのかはまったくわからなかったが、気が付いた時には神宮寺という男がどこかの部屋の鍵を開けて「ただいま」と言っていた。外套はふわりとコート掛けに掛けられ、トキヤは小さなテーブルに優しく置かれる。 「ん……壊れていないみたいだね、よかった。いらっしゃい、そして今日からはおかえりなさいだね、イッチー」 「……?」  不可解な呼ばれ方をして怪訝に思って見上げる。彼はどうやらこちらの疑問に気付いてくれたらしい。 「イッチー。おまえの呼び名だよ。一ノ瀬トキヤなんだろう? だからイッチー」  ニックネームというやつだろうか。理解してトキヤは頷く。 「ああ、そうだ、オレの挨拶がまだだったね。オレは神宮寺レン。レンって呼んでくれればいい」 「……レン。よろしくお願いします」 「うん、よろしく」  握手は出来ないが、人懐こい笑みをレンが向けてくれて、やっとトキヤはどこかほっとしたような気持ちになった。  そうしてレンに迎えられた春は籠中鳥のトキヤにとって忘れられない日々の始まりとなった。
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