01ふたりの夏休み

 からん、と氷が涼しやかに鳴る。  レンは注いだ麦茶のボトルを盆に置くと、代わりに麦茶で満たしたグラスを手に取り、一口飲む。グラスが汗をかくように水滴が落ち、レンのハーフパンツに乾けば消える染みをぽつんと作った。  じー、みんみん、じわじわ、と鳴くこの季節だけ生きる虫たちの声を聞き、縁側で長い脚をぶらぶらさせながら眺めているのは、つばの広い麦わら帽子をかぶり、この暑いのにUVカットの長袖パーカーとチノパンを穿いているトキヤだ。彼は今、庭で育てている野菜たちへホースで水やりをしている。  日差しが強くなりすぎるから午前中に、と言った言葉通り、まだ六時過ぎだ。盆に載った皿の上にはくし切りされたスイカがあり、食べようか、どうしようかと悩ませてくる。 「良い天気だね……」  高い空を見上げてぽつりと呟く。よしずの影に隠れればまだ幾分か涼しかっただろうが、レンは夏の日差しが嫌いではない。  からん、と鳴ったのを合図にするように、もう一度グラスに口を付ける。濃いめの麦茶は溶けかかった氷で薄まるくらいがちょうどいいのだな、と思った。  事の発端がなんだったのかはイマイチ覚えていないが、原因のひとつがトキヤの誕生日だったことは覚えている。  誕生日に休みがもらえることなんて滅多にないことが起こっていると知った時、レンが取った行動は、ひとつに自分の休みを重ねること、ふたつに休みを一週間にすることだった。  かなり強引にスケジュールを組み、途中から結局トキヤを巻き込んで、なんとか一週間のオフをもぎ取ることに成功すると、一大事をやり遂げた気持ちでいっぱいだった。けれどそんなレンに次の問題が待ち構えていた。  オフをどこで過ごすか?  トキヤの誕生日は世間様でいうところの夏休み真っ最中、救いなのは最も混むお盆よりは前ということだけだ。  もちろんどこに行くにしても、どうにかすればどうにかなるくらいのことはできるのだが、それにしたってどうするか。悩む時は恋人に聞こうと相談を持ちかけると、彼は意外なことを言った。 「親戚がちょうど一週間ほど家を留守にするそうなんですが」 「うん?」 「ちょうどいいので一緒に過ごしませんか」  そうだった、そんな発端だったと思い出す。スイカの種を箸で丁寧に取り除くと、がぶりとかぶりつく。冷蔵庫で冷やしていた甲斐があり、冷えたスイカは甘くて美味しい。この季節ならではのスイーツだ。  気が付くと、麦わら帽子をかぶったトキヤが目の前にいた。腕を組んで仁王立ちだ。 「……起きたんですね」 「うん、暑くて目が覚めたよ。良い天気だね」 「あなたも手伝いなさい」 「なにを?」 「草むしりです。……涼しいうちにある程度はしておかないと、日中はとてもじゃないですができませんから」  ひとりよりふたりのほうがたくさんむしれるでしょう?  もちろんトキヤはちゃんと報酬も提示してくれて、その報酬に納得したのでレンも麦わら帽子と首許にタオルなど巻いて家庭菜園というには大がかりな、小さな畑にしゃがみ込む。2人とも、手には白い軍手をしていた。そればかりか、トキヤによって強引に長袖、ジャージのズボンも渡されて穿き替えた。 「さすがに暑いよイッチー」 「私だって涼しいわけじゃありませんよ。ここの区画を終わらせたら、朝ご飯にしましょう」 「メニューは?」 「あなたの頑張り次第で増えますよ」  元が何品を想像しているのかわからないが、食材は色々と昨日買い込んだことは覚えている。どれが朝食になるのか、どんな料理になるのか、楽しみだ。  小さな雑草まで逃さずむしり、根に絡んだ土も落としてからビニール袋に入れていく。  最初は苦労したが、トキヤにヘラを借り、要領を掴んでしまえばさくさくと進められるようになった。 「こういう些細なことでも、作物にきちんと栄養を行き渡らせるには大切なんだと言っていました」  俯いて雑草と格闘していたから、トキヤがその時どんな表情をしていたのかはわからない。ただ、少し淋しそうな声だとレンは感じた。  ちりんちりん。  風鈴の高い軽やかな音色は耳から涼しさを感じるためのもの。  昼食を食べ終わり、片付けも済んでしまうと、仕事らしい仕事はない。どこかへ出かけようか、とも思うが、縁側から先に見える庭の風景はのどかで心地良い。  これがいっそ学生であったなら、休み中に出された多くの課題を片付けるために取り組む必要があったのかもしれないが、あいにくトキヤもレンも大人で、かつ休暇で来ているため、しなければならないことがない。 「……本屋にでも行くかい?」  思い付きを口にする。  こんな暑い日は、暑さを感じつつものんびり夕方まで読書に勤しむのが似合いではなかろうか。トキヤに読書はそもそも似合いだし、趣味でもある。  繁華街に行くのは億劫だが、郊外の本屋はどうだろう。ドライブも楽しめる。  提案するとトキヤは少し考えた後で頷いてくれた。  簡単に戸締まりをすると、この家まで来た時と同じ、レンの車に乗り込んで目的地を目指す。 「縁側のあるリビング、サンルーフのある続き部屋、あとは個室がふたつか。こじんまりとした家だけど、なかなか住み心地は良さそうだね」 「ええ、日当たりもいいですし……ちょっと街まで遠いことを除けば、いいところだと思います。治安もいいそうですし」 「なるほど。……、……イッチーはどんな本を買うつもりだい? 読書感想文を書くような年頃でもなし、堅苦しい本ばかりってわけでもないだろう?」 「あなたは読書感想文を書くような年頃でも、書かなかったクチでしょう? ……そうですね、……推理小説を久しぶりに開拓してみようかと思います。あなたは?」 「オレは……そうだな、冒険ものがいいかな。SFか、ファンタジーか……」 「SFも良いですよ。かなり昔ですが、読んで面白かった話があります。たしか四巻か五巻出ていたような……」 「イッチーのオススメならそれにするよ。あるといいな」  微笑むレンの隣でトキヤも優しい表情をしている。レンはトキヤがそんな顔をしているのを見るのが好きだった。  夕食は獲れたての夏野菜を使ったトマトカレーで、比較的スパイシーに仕上げてくれたものだったから、レンの好みにハマり、二杯もおかわりをした。  片付けはレンの担当で、その間にトキヤが風呂の準備をする。朝食を食べる前にシャワーを浴びているから、シャワーでも別に構わなかったのだが、それでも自覚しているより疲れているだろうからとトキヤが湯を張ってくれた。  小さな家だがお風呂は余裕を持って取られていて、湯船もレンが脚を伸ばせるくらいには充分広い。  湯船の中でレンは深く息を吐く。リラックスするこの時間、物思いに耽る人は多いだろうが、レンも同じだった。 (……ここに住んでいる人は、どんな人なんだろう)  細かいことはトキヤには訊かなかった。必要があればトキヤが教えてくれるだろうと思ったし、最小限、タオルと下着と着替えの服くらいは用意してくれと言われただけだ。  家の中はいかにも日本家屋としているが、朽ちた様子は感じられず、穏やかで優しさを感じた。掃除も行き届き、陽の光もよく入り、明るくて居心地がいいと思えた。  風呂ひとつとっても、新品ではないだろうにカビも見当たらず、網が付いた小窓を開ければ外気も感じられて心地良い。  よほどこの家を大切に思って住んでいるのだろう。思い入れがある家なのだろうな、と家主のことを思えば、借りている身としては丁寧に扱わせてもらおうと思う。 「あっ、スイカ」  風呂から上がったレンを待っていたのは、大振りのスイカだ。今度は食べやすいように三角のように切ってある、が。 「…………多くないかい?」  皿に盛るのが面倒になったのかどうなのかはわからないが、ザルに目一杯、これでもかと盛り付けられている。 「多いかもしれませんが、こうでもしないと消費が追いつかないんですよ」 「そんなにあるのかい?」 「ええ、毎日一玉は食べないと、腐らせてしまいかねません」 「それはもったいないね……」 「ジュースやアイスにもしますが、実を食べるのが一番手っ取り早いですから」 「イッチーも食べるんだろう?」  まさかこの量をひとりで全部食べろとは言わないだろうね? と彼を見る目に脅しを掛ければ、トキヤはやむなく、といった風に肩を竦める。 「果糖も控えたいところですが、仕方ありません。……三つまでです」 「もう少し食べてもいいと思うけどね? ……いただきます」  食べ始めてすぐ、盛り付けられたスイカのすべて、少なくとも目に見える範囲では種が取られていることに気付く。きっとトキヤが取り除いてくれたのだろう。優しい男だ。思わず笑み零れる。この男のそういうところが好きだ。
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