寝室は昨晩と同じ和室、畳の上だ。
床に布団を敷いて寝るというのはあまり経験がなく、だからレンは少し浮ついていた。布団を並べて、手を伸ばせば届くところにトキヤも寝ている。それが少し面白いし、ベッドを並べてもこうはいかない。
真っ暗にせずに豆球を付けているのは、夜中にもし喉が渇いたりした時キッチンへ行くのに、互いを踏まないようにするためだった。
畳の上に布団、タオルケット、枕は蕎麦殻。なかなかない経験をしている。もう少し昔には、網戸にして夜風でも充分で、たまに扇風機を付けていただけだったと聞いて驚いた。窓を開けておくなんて、ずいぶんと無用心ではなかろうか。それが許される治安だったにせよ。
「ねぇイッチー」
「なんですか」
「そっち行ってもいい?」
「……何のために布団をふたつ敷いたと思ってるんですか」
「そうだけど。……一緒にいるのに……」
「…………」
トキヤの大きな溜息にいっそう悲しくなる。けれどトキヤはレンを悲しいままにはさせなかった。
「……仕方のない人ですね。ほら」
「え、」
トキヤのほうを見れば、腕を広げてくれている。現金にも顔を明るくし、レンはいそいそとトキヤの腕に収まった。
こうやってふたりで寝転んでいるのは、好きなことだ。トキヤはたまに身長差について気にしている時があるが、こうして横になっていれば身長差も構わず、トキヤの胸に収まることができる。
「……落ち着く」
ぽそりと呟けば、トキヤに拾われてしまった。
「私もです」
「イッチーも? 本当に?」
「こんなことで嘘をついてどうするんですか」
「そう……だね」
「私だって独り寝が淋しい夜だってありますからね?」
「えっ」
顔を上げてトキヤを見れば、こちらを見る秀麗な顔、眉間に皺が寄っている。
「……なんでそう意外そうに……あなた、私をなんだと思ってるんですか」
「いや、なんていうか……恋人だと思ってるけど……」
「あなたが淋しい夜があるなら、私にだってありますよ」
「あんまりそういうの出さないから……」
「出さないから淋しくないとでも?」
「……ごめん。でもちょっと安心した」
「?」
「おんなじなんだなって」
「……まったく。ばかなひとですね」
「うん。……ふふ」
ぎゅうと抱きしめられるのも好きだと思っている。一応必要かと思って持ってきたボディソープもシャンプーもコンディショナーも、同じものをふたりで使ったから、同じ匂いがする。
けれど、トキヤの匂いのほうが甘い気がするのだ。
「……今度はなんですか?」
「イッチーの匂いが甘いと思って……」
「あなただけに効くフェロモンでも出ているのかもしれませんね」
「えっ」
「……意図して出せるわけないでしょう」
「……イッチーだから出せるのかと思った」
どういう理屈ですか、と呆れたように笑われてしまった。
「笑いすぎじゃないか?」
「誰のせいですか、まったく。……ちゃんと寝ますよ」
そう言いながら頭を撫でてくる手は優しくて、子供扱いしないでくれと言いたくてもなかなか出来ない。けれど不満はそれ以外にもある。
「ねえイッチー、ほんとに寝るだけ?」
「昨日と同じですよ」
「変化を付けようよ」
「……間借りしてる家ですよ」
「今は誰もいないだろ?」
「…………声を我慢できるなら」
「する」
「早いですね。……まったく……」
この場合のまったく、というのは、たぶん自分自身に向けてのことだろう。トキヤは存外レンに甘い。わかっているからねだってしまうのだけれど。
伸び上がって口付けをねだれば、すぐに応じてくれた。甘く、やさしい。
そうしてレンは忘れていたが、トキヤは存外レンに意地悪なところもあったのだった。
翌朝、昨晩のことを思い出せば怒りたくもなるが、怒っていることを本人に言えばそもそも誰のせいだったかと返されるのは目に見えていた。だから本人に当たることも出来ず、ただ機嫌を悪くしているだけになる。
ベッドとは違う布団の上での行為に思いがけず腰を痛めかけたが、起き上がれないということもなく、空腹も手伝って九時には目が覚めたし九時半には縁側に座った。
その時トキヤが何をしていたかといえば、雑草取りをしているところだった。
本来ならレンも手伝っていたはずだが、今日はやむを得ないとしか言いようがない、半分はトキヤのせいだ。
「……真剣そのものだね……」
こちらからは背中しか見えない位置にしゃがみこんでいるが、どんな顔をしているのかはだいたい予想ができる。もしかしたら無心で雑草を抜いているのかもしれない。
じわじわと鳴くセミの声が、まるで時雨だ。
トキヤをしばらく眺めていたが、ふと自分の周りを見回し、あることに気付いて立ち上がる。ゆっくりになってしまうのは仕方がないが、立ち上がった次にはキッチンに向かっていた。
漆が塗られた盆に麦茶を作ったボトルと、マグカップふたつには氷も入れて。それから団扇も一緒に持つと縁側に戻る。
「イッチー、水分補給したらどうだい」
いくら日焼け防止の完全防御態勢でも、いやそれだからこそ余計に、汗をかいているだろうから水分補給くらいはちゃんとしないと倒れてしまう。
レンの声に気付いて振り返ったトキヤは驚いた様子だったが、すぐに手を止めて縁側へやってきた。
氷の入ったマグカップに麦茶を注ぎ、渡してやる。トキヤはゆっくりとそれを飲み干し、息をひとつ吐いた。
「起きたんですね」
「お腹空いたからね」
「お昼には少し早い時間ですね……」
「でもお腹空いたよ」
少し不機嫌に言えば、トキヤの視線が注がれる。これは多分、レンの様子を窺っている。
「……食パンを買ってありましたね。あれを焼きましょうか。バターもありましたし、ジャムはママレードがあったと思いますから……後はサラダで。ミルも豆も持ってきていますから、コーヒーも淹れましょう。昼食は昨日のカレーと、何か一品付け足しますよ。何か希望はありますか?」
「……サラダはカレーに付けて、パンには別のを付けてほしい」
「ではスープを付けましょう。ウィンナーも買ってありますから、それも入れることにしますね」
レンがこくりと頷けば、トキヤは微笑む。心なしか安堵したふうでもあるが、まだ怒ったことをなかったことにするつもりはない。
「ああ、パンのほうはデザートはスイカですが、昼食の後はトウモロコシをもぎって、塩ゆでして食べましょう。夜には醤油を付けて焼いてもいいですね。お祭りの屋台風のトウモロコシになりますが」
ほぼ許した。ほぼ、だけど許した。