いつもなら「ふわり」と形容するところ、今は「ふにゃり」とでも言い表した方がいい笑い方をする。そんな笑い方をするなんて、ずるい。言いかけた言葉を飲み込んで素知らぬフリをしたかったのに、レンはさらに追い討ちをかけてくる。
「イッチーはホントに、可愛いよねえ」
「そんなことを言うのは貴方くらいですよ。……貴方の方がよほど可愛らしいと思いますが?」
「…………どこが?」
「そういう、自分が言われるとは思ってもみなかったという表情をするところでしょうか」
「…………」
黙ったレンの前でにこりと微笑んでやる。けれど、やられっぱなしでいるレンではなかった。
「……意外なところで素直だよね、イッチーも」
「意外なところで、は余計ですよ」
「純情と言い換えてもいいよ」
「……馬鹿にしていますか?」
「そんなことはないよ。寝てるオレにしか手出しできないんだろう?」
「…………」
今度はトキヤが黙る番だった。
どうしてそんなことを知っているのかは、考えるまでもない。その時に起きていたのだ。今このタイミングで言い出したのも、反撃のつもりなのだろう。
知られているなら否定するのも馬鹿馬鹿しい。どうせ水掛け論にしかならない。だからトキヤは行動に移すことにした。不言実行。日本語は美しい。
「? イッチー……」
「寝ている貴方にしかできないと思ったら、大間違いですよ」
引き寄せると、レンの長い髪をかきあげて項を露出させ――そこに吸い付いた。ほんの数秒の間なのに、ものすごく長い時間そうしているような錯覚に囚われた気がする。
レンは呆気に取られた顔をしていた。その後、ようやく感覚を思い出したように首を竦める。
「……くすぐったいよ」
「貴方が挑発するからです」
尊大な態度で言えば、苦笑された。
「そんなつもりはなかったけどね。イッチーはあまりスキンシップが得意じゃないと思ったけど」
「そうですね、得意とは言い難いですが……相手によります」
「じゃあオレが寝てる時にキスしてくれるのは、苦手克服のためかな?」
「いえそれは、」
言いかけて戸惑ったのは、わずかの間。レンが沈黙を疑問に思うより先に答えを口にした。
「単に、したかったので」
「…………」
レンはなくした言葉を探すように、うろうろと視線をさまよわせる。
「……したければ、誰にでもするのかい?」
「それではただのセクシャルハラスメントか色情狂でしょう。違います」
「オレに対してするのはセクハラじゃないって?」
「そうですね」
「……どういう意味かな」
「だってあなた、嫌じゃなかったでしょう?」
しゃあしゃあと答えてみせれば、レンは一瞬だけ動きを止めた後で、気を取り直したように「それじゃあまるで、」
「オレがイッチーにして欲しかったみたいに聞こえるけど?」
「あながち間違いではない、と思っていますよ」
「どうして」
「本当に嫌だったら、起きるなり避けるなりしたはずでしょう?」
それをしなかったから。
指摘すると、レンは小さく肩を竦める。まるでなんでもないことのように。
「……好奇心だよ。普段取り澄ましている男が、オレなんかに何をするのか、ってね」
そんな文句で誤魔化されるものか。
「貴方は、距離を詰めたがるくせに一定の範囲に他人を踏み入らせようとはしない。何をするにしても人を試すようなことを言って、他人を本当には信用していない。そんな人間が、ああいった接触を許す理由はそう多くないと思いますが」
「だからオレがされたかった、って? イッチーにしては短絡的じゃないかな」
「私の気のせいなら気のせいで構いませんよ」
「……構わない?」
「ええ。これからは堂々と起きている時にもできますし」
「っ!」
トキヤの言葉はレンの意表を突いたらしい。目に見えて狼狽するレンの傍に寄ると、顎を攫って上向かせ、素早く口付ける。間近で微笑んでやれば、レンは口端に苦味を刷いた。
「……大胆、だね?」
「こわいものはありませんから」
「あったんだ? こわいもの」
「ええ。……あなたに軽蔑や侮蔑の言葉を浴びせられたら、立ち直れたかはわかりません」
言った言葉に嘘はないが、レンは驚いたように目を瞠る。
嫌われたらどうしよう、だなんて、まるで子供のようだけれど。それでもこわいと思うことに違いはない。勿論レンは言葉を選ぶだろうけれど、言っている内容が大差なければ同じことだ。
ところがレンは、ふはっと噴き出して笑う。
「……何がおかしいんですか」
「ごめんごめん。ヘンな意味じゃなくてね」
それでもひとしきりくすくすと笑った後で言われても、説得力がない。
「だって……堂々と口付けしてくるような男が、対象に嫌われることを恐れてる、なんて……ホントに恐れているのかい?」
矛盾しているよと指摘されて、それはそうだろうと思う。自分でも自覚はあるのだ。
けれどそのふたつはトキヤの中では明確に違う。
セクハラは上手に誤魔化せばその場限りのことで済まされるが、告白はその後の人間関係にまで影響が出かねない。
同じグループのメンバーなのだから、続けていこうと思えば不和は避けたほうがいい。小さな皹が、崩壊に繋がりかねないのだから。
それを知っているから、躊躇した。でもレンは逃げなかったし嫌悪を向けてくることもない。
だったら遠慮する必要はないではないか。
「……なるほど。イッチーなりの考えはあったわけか」
「考えなしで行動していると思われるのは心外ですね」
「いや、オレが思っていたより考えていたんだなって思って。悪い意味じゃないよ?」
「バカだと思われるのは心外なので、それでいいですが」
苦笑すると、レンは笑った。
その笑顔を見て、やはりイヤではないのだなと思ったし、脈が全くないわけではなさそうだとも思った。