かわいいあなた

 まったくこの人は厄介な――いや難儀な性格をしている。  自分を全面的に棚上げしてトキヤは溜息を吐いた。 「レン、そんなに嫌ですか」 「…………」  先程からレンは明後日のほうを向いて少しもトキヤを見ようとしてくれない。  そんなに気に食わないことを言ってしまったのだろうか。ただ、ほんの少し認めてくれていれば良いと思っただけなのに。  時間は少し遡る。  久方ぶりにふたりでゆっくり過ごしている午後、穏やかな時間。  トキヤはかねてから考えていたことを聞くのは今日が良いかと思案していた。たいそうなことを聞きたいわけではない。レンからは一度も聞いたことがない言葉だから、訊いてみたいのだ。 「レン」 「なんだい?……どうしたの、表情が硬いよ?」  指摘され、反射的に頬をさする。そこまで緊張するようなことではないはず。  リラックス、リラックスと頭の中で繰り返すと、ソファに座りコーヒーを飲んで寛いでいるレンの隣に腰を下ろした。自然、距離も目線も近くなる。 「訊きたいこと……いえ、確かめたいことがあるのですが」 「? 何かな?」 「その……」 「?」  不自然に口ごもってしまったトキヤを、レンの青空色の目がじっと見つめる。今日の空と同じ色。  ――そうではなく。  せっかく決心したのだからと、改めて口を開いた。 「……あなたと私の関係は、恋人と表現して構わないものでしょうか?」 「……えっ」  そう言ったきり、レンは固まってしまった。  それが先程までのやりとりで、今はこの通り――向こうを向いてだんまりだ。何度呼びかけても、ちっともこちらを向いてくれようともしない。  やはり自分だけがそうと思い込んでいただけなのだろうか。  こうやってふたりで過ごすようになって、それだけでなくアレやコレやと一通りのコトは済んでいて。とはいえまだ日が浅いと言えば浅い。  そもそも学園時代はクラスメイト、今は同じアイドルグループのメンバーとして活躍しているふたりがどうしてこういう関係になったのかといえば、経過は長いから割愛するが、酒の力、酔った勢いだ。  アルコールは理性の箍を緩めるというが、それは一部で理性の塊のように思われているトキヤも例外ではなかったと、身をもって証明してしまった。知っているのがレンだけなのは幸いだ。これから先も他人に知ってもらおうとは思わないけれど。 「レン、せめてこちらを向いてはくれませんか」  せっかくふたりきりでいるのに、好きな顔さえ見られないなんて。それでもレンは頑なにトキヤを顧みてくれようともせず、トキヤは段々と悲しい気持ちになる。 「……すみません。思い上がりでしたね」  考えてみれば、レンの女性遍歴は学生時代から華々しかった。学園内でも色恋沙汰はウワサの形でいくつも聞いたが、それでも学園側からのお咎めがなかったのは、レンがあくまで「誰のものにもならない」「みんなの神宮寺レン」というスタンスを崩さなかったからだ。 「…………」  そうか、と胸の中で気付く。  そう、そうだった。  レンは「誰のものにもならない」と公言している男だった。それは当然、女性たちに限った話であるはずがなかった。どうしてそのことを忘れていたのか。自分で思ったよりずっと浮かれていたのかもしれない。  一度や二度の関係を持ったところで、思い上がるな。そういうことか。  今のトキヤの上体は、レンに甘い夢を見せてもらった女性たちと変わらない。認めるのはつらいが、それをはっきり言わないのはレンの優しさなのかもしれない。そういえば、レンから求められたことはなかったような……思い出すとさらにつらくなるので思考を打ち切ることにする。 「……すみません。忘れてください」  できればいっそ関係を持ったことすら忘れてくれないだろうか。  友人としてなら、あの時以前同様の距離を保っていられる。沈黙に耐えられずに立ち上がった。マグカップのコーヒーはもう冷めてしまっている。こんな目を向けられる前に帰るのが得策だ。 「……?」  キッチンへ行こうとした足が止まる。シャツを引っ張られた気がした。  ソファに挟んでしまったかと振り向くと、それが間違った認識だとすぐにわかった。  相変わらずレンはこちらを向いてはくれないが、指が。トキヤのシャツを掴んでいた。 「……レン?」  無言のまま、さらにシャツを引かれる。これではキッチンへ行くこともままならない。引かれるまま、またソファに腰を落ち着けた。  どういう意図があるのか、さっぱりわからない。 「……どうしたのですか? 何が言いたいのか、教えてくれなければわかりませんよ」  なるべくと優しい声音で問いかける。  超能力者ではないし、読心術の心得もない。言葉を使って伝えてくれなければ何もわからない。 「……本当にわからない?」  ようやく話してくれた、と思ったのに、謎かけのような言葉。 「一体、何の……」  言いかけて、はたと気付く。  向こうを向いているレンが唯一こちらに向けてくれている左耳。艶やかなオレンジの髪に隠れがちだが、全部が隠れているわけではない。 「……素直ではありませんね」  そういえばこの男は昔からヒネくれていた。最近ではそうでもなかったから忘れていた。  くすくすと笑いながら、朱に染まった耳に触れる。肩が跳ねたのには気付かないフリをした。  まったく、素直ではないところもかわいらしくて愛おしい。  けれど、いずれはきちんと言葉で聞きたい。  その想いを伝えるように、こちらへと向かせたレンのくちびるにキスをした。
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