05無自覚にこぼれた涙

「そういえばトキヤ、噂聞いた?」  昼食を学食のいつもの場所でとりながら口を開いたのは、音也だった。 「噂とは無縁ですから」 「おまえの噂なんだけど。ほんとなの?」 「何の話ですか」  脈絡もない同室からの質問に、トキヤは溜息を吐いた。 「誕生日に、女の子からプレゼント受け取ったって」  その噂は聞いているし知っている。レンはちらりと斜め向かいに座っている翔を見た。翔もレンをちらりと見た。それからトキヤの反応を窺う。  トキヤは大袈裟なほど大きな溜息を吐いた。 「……受け取っていません。誰からも」 「そうなの? クラスの女の子がショック受けてたから、後で教えてあげよっと」  トキヤは温野菜のサラダを平らげると、手提げのバッグとトレイを持って席を立つ。この後に図書室へ行くつもりだろう。  行ってしまった背中を見送ると、翔が溜息を吐いた。 「いやあ、音也おまえほんとよく訊いたわ」 「え? 何の話?」 「さっきの、噂の話。……Aクラスでも話題になってるんだね」  世間話を装い、レンも話に混ざる。話題が話題だからか、全員なんとなく声をひそめながらになる。 「実際はね、訊いてきてほしいって頼まれてたんだよね」  トキヤのこと気になる女の子、けっこういるからさ、と何でもないように音也は言う。レンの胸は少しざわついた。  ざわりと心が漣立つ。  頭では理解できる。アイドルを目指すだけあって容姿は整っているし、理性的で落ち着いていて(そこを崩すとかわいいのだが)、本人は何故か隠そうとするが、運動神経も良い。才色兼備とはああいう人物を指すと言われれば、誰だって納得するだろう。兄がトップアイドルというだけではなく、一ノ瀬トキヤ個人にも魅力があるから女の子は騒ぐ。  そう、理解しているのに。心は落ち着かない。  どうしてだろう。噂を聞いた時と同じくらい、焦燥感のような、悲しみのような、行き詰まった時のような、ぐちゃぐちゃとして考えがまとまらない。 「……ちょっと行くところあるから、また後でね」  翔と音也をその場に残し、食器類を片付けるとトキヤの後を追った。どこと言わなくてもわかっている。図書室だ。  図書室はいつも落ち着いた空気で穏やかだ。  静かな場所であるため、レン自身が積極的に訪れることはあまりないが、まったく利用しないわけではない。だから、トキヤがどのあたりにいるのかは予想が付いた。 「……いた」  小さく呟くと、見知った後ろ姿に近付く。 「曲の解釈の課題について、教えて欲しいんだけど?」 「っ」  耳許で囁くと、トキヤの肩がひくりと震える。油断を突けたらしい。 「……何をしに来たんですか」 「だから、言ったじゃないか。課題について、教えて?」 「それくらい自分でやりなさい。どうせあなたは何でもできるんですから」  突き放す言い方をする。  テーブルには何かのテキストが開かれていたが、ページをめくられる気配はない。読むことが目的ではないからだろう。 「……オレは、イッチーに教わりたいんだよ」 「教える義理はありませんね」 「そう言わないで」  どうにもトキヤの心は頑なだ。噂のせいかな、と思うと噂が憎らしい。 「……どうしても、ダメかい?」 「くどいです、……」  こちらを見上げたトキヤの動きが、ぎくりと強張る。目は驚きに見開かれていた。 「ちょっと……私が虐めたみたいじゃないですか」 「? 何の話?」 「泣くほど私に教えて欲しかったんですか?」 「え」  教えて欲しい、は口実で、実のところは一緒にいられれば良かったのだが。泣くとはなんだ、と思いつつ目許に触れれば、たしかに濡れている。 「……ほんとだ。泣いてるね」 「無自覚ですか……? 他の人に見られたら面倒なので、早く拭ってください」  ほら、とハンカチを差し出される。清潔そうなそれをありがたく借りて目許を拭いた。どうして泣いたのだろう。よくわからない。本当にトキヤに教わりたかっただけかもしれない。  らしくなく、しょんぼりと項垂れると、トキヤが手を伸ばして頭を撫でてくれた。 「…………イッチー」 「はい」 「それ、余計に泣けそうだからやめて……」 「おや。神宮寺レンを泣かせられるなんて、私もたいした男だったというわけですか」 「そうなんじゃない」  トキヤの、彼らしくない軽口に小さく笑う。もしかしたら慰めてくれようとしているのか、泣き止ませようとしているのか。  不器用なものだ。お互いに。
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