続・雨に降られれば

 どこへ行くアテがあったわけではなかったが、濡れたレンをそのままにはしておけず、寮の部屋に連れ帰った。幸いと言っていいのかどうかはわからないが、同室の音也はいなかったので余計な詮索はされないで済むのがありがたい。 「シャワー、使ってください。体冷え切っているでしょう。服は乾かしておきますから」 「…………」  強引にバスルームに押し込むと、レンは諦めたように(けれど頷きもせず)大人しくシャツを脱ぎ始める。見守るわけにもいかなくて、トキヤはドアを閉めるとキッチンへ行った。  ケトルに水を注ぐと、火にかける。  ひとまず何かあたたかいものを摂るべきだ。レンも、自分も。心がざわついたのを落ち着かせるにもちょうどいいだろう。  湯が沸くのを待つ間に、濡れた制服の代わりになるものを用意する。彼はトキヤより背が高い。だからどうしたって裾が足りないだろうが、こればかりは仕方ないと諦めてもらおう。  肌触りの良いパジャマを用意すると、台所に取って返した。  ケトルがけたたましく鳴り出したのを少しだけ放置してから火を止める。コーヒーよりスープのほうが良いかもしれない。  インスタントのスープを飲む機会はあまりないが、買い置きがまったくないわけではない。味の安っぽさは目を瞑ってもらうとして、体を温める目的が達成できれば良い。  かちゃりとドアが開く音。マグカップをテーブルに置いた。振り返ると、レンは頭からタオルをかぶってはいるものの、髪の先からは雫を滴らせている。 「せっかく温まったというのに、それでは意味がないでしょう」  溜息を吐くとタオルの上から、撫でるように優しく髪を乾かす。ドライヤーを持ってくるとタオルを肩にかけさせ、本格的に乾かし始めた。  他人のことだからどうでもいいと言えばその通りだが、せっかく綺麗な髪をしているのにそれが損なわれるのは惜しい。まして目の前で損なおうというのなら、それは許し難い事態だ。  一方のレンはといえば、大人しくされるがままになっている。借りてきた猫のようで、これはよく喋る男にしては珍しい。  何があったのかと、問うのは容易い。けれどそうしないほうが良いだろうという予想だけはあったから、放っておくことにした。 「それ、スープです。少しぬるくなったかもしれませんが」  促すと、レンは躊躇いがちにマグカップへ手をのばした。一口啜る。何も言わないところを見ると、口に合わなかったわけではないようだ。ひとまずほっとした。 「お腹、空いてませんか。何か用意しますよ」 「……ん」  曖昧な返事は食べるということか。勝手に判断するとして、席を立ちキッチンへ行く。幸い、昨夜はシチューを作っていた。トマトシチューだが、シチューというよりトマト煮込みだとは同室の男の言。まだ残っているから温める。スープにシチューと続くが、煮込みに近いものなら構わないだろう。  野菜を主体にしたシチューは、彼のお気に召すかはわからない。申し訳程度に鶏肉は入っている。けれど空腹でいれば良くない考えにばかり囚われる。そちらのほうがよほど体に悪いはずだ。  皿に、キャベツ、レタス、玉ねぎ、人参、キノコ類が何種類かとセロリ、ブロッコリーをたっぷりとコンソメとトマトで味付けたシチューを注ぐ。味は悪くないはずだが、レンの少々特殊な味覚を思い出し、多めに胡椒をかけた。 「熱いので、気を付けてください」 「ん」  存外素直に頷いたレンは、皿とスプーンを受け取ると、かすかにくちびるが動いた。何か言ったのかもしれないが、トキヤにまで声は届かない。軽くかき混ぜてからゆっくりとした動作でシチューを掬う。口許に運び、傾けて――口の中へ。  三回ほど同じ動作を繰り返すと、視線だけをトキヤに寄越す。 「……おいしいよ。ありがとう」 「ああ、いえ……当たり前です」  私が作ったのですから。言うと、レンはふとようやく肩の力が抜けたような表情で息を吐いた。 「イッチーらしいね」  鼓動が跳ねた理由を、その時のトキヤはわからないでいた。いや、いっそずうっとわからなくても良かった。そうすれば、想いに蓋をして見ないフリができたかもしれないのに。  けれどそれも必然だったのだ。  理由がわからない動悸を抱いたトキヤは、そのままレンが皿を空にするまで、彼がシチューを食べるのを眺めていた。
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