あれは、と視界に入った人物に、トキヤは足を止めた。
レンだ。
いつもならそれだけで済んで、声をかけることもなく通り過ぎたかもしれない。見つけただけで済ませて終わっていたかもしれない。
「……何をしているんですか、こんなところで」
かける言葉を選んだつもりが、素っ気ない言葉になった。けれど言葉通りのことを疑問に思ったのはたしかだ。
霧雨とはいえ、この雨の中、傘もささず外にいるなんて。
「風邪でも引きたいというのなら、話は別ですが」
「……引きたいわけじゃないけどね」
おや、とトキヤは改めてレンを見る。この男にしては珍しく──表情が抜け落ちている。愛想と言い換えても良い。
「今はそれも悪くないと思っているよ」
「濡れるのは嫌いだったのでは?」
「そうだね……嫌い、だけど。……今はどうでもいいかな」
ふっと表情を揺らす。けれどやはり印象は空虚だった。
何もない。
からっぽの心を、現しているかのような。
彼には似合わないはずの、儚いなんて言葉が脳裏を過ぎる。
何か、あったのだろう。
ここでなのかどこでなのか、場所なんかはどうでもいい。ただ、レンの心にダメージを与えるような何かがあった。
トキヤは傘の柄を握り直す。
「……馬鹿ですか、貴方」
この寒空、かろうじてコートを着ているとはいえ雨に濡れるだなんて。
「霧雨は気付かない間に濡れるんです。いつからここにいたのかは知りませんが、風邪でも引いたらどうするんですか」
「心配でもしてくれるのかい?」
「貴方が風邪を引いたら同室の聖川さんにも迷惑がかかるでしょう」
「…………」
すっぽり表情が抜け落ちていた、と思っていたのに双眸に炎が灯った。だが次の瞬間には炎は消え失せ、自嘲の笑みが浮かんでいる。
「……あいつがオレになんか構うもんか」
低い、獣が唸るような声に驚かされた。言葉の内容にもだ。
気を取られている間に、レンはトキヤの横を過ぎて行く。
「待ちなさい、傘を、」
「要らない」
「レン」
「関係ないだろう。……放っておいてくれ」
そう言われてしまうとたしかにその通りでしかない。けれど、どうしてもそのまま行かせてしまうには危うい。
だから咄嗟に手が出ていた。
レンの腕を掴み、それ以上行くことを阻んだ。
「放せよ」
「放しません。……こちらへ」
腕を掴んだまま、強引に歩き出す。レンはまだ何か喚いていたが、聞かないフリで寮へと向かった。