あたためたい

 一度、冬に彼の手に触れて驚いたことがある。  あまりの冷たさに、思わず手を引っ込めてしまった。今となってはそのことを後悔している。  あの手を包んで、温めれば良かった。  抱きしめてでも温もりを分け与えれば良かった。  どうしてそんなことを思いついたのかわからなかったけれど、今ならわかる。あの頃と関係が変わった、今なら。  季節が一巡してもそのことを覚えていた、というよりトキヤが手袋をしていてそのことを思い出したものだから、レンは反射的にその手を取っていた。 「何ですか、急に」  もっともな言葉。振り払われそうになったが、なんとか阻止した。レンは吐息で笑うと、トキヤの手を握る。 「レン?」 「イッチーの手。冷たいのかなって思って」 「……手袋をしていますから、心配には及びません」 「手袋していても温まらないんだろう? 冷たいよ」 「手袋をしているのに、わかるはずないでしょう」 「じゃあ取ってみる?」 「遠慮しておきます」  にべもない言葉だが、最初ほど振り払われる気配はない。  いっそ指も絡めてしまおうか。けれどそれはさすがに嫌がられそうだ。じゃあこのままでいよう。  男二人が手を繋いで歩いている様はおかしかったに違いないが、少々異なる感想を持った男がいた。音也だ。後ろからやってきて大きな声を上げる。 「あー、いいなあレン、トキヤと手繋いでる」 「やあイッキ」  肩越しに振り返れば、言葉ほど不満は出していない音也が太陽のように笑っている。 「イッチーの手が冷たいからね。温めていたところだよ」 「レンの手、あったかいもんね」  何故音也がそんなことを知っているのかというと、この前寒い寒いと言っていた時に急に握られたからだ。その割に音也の手は冷たくはなかった。 「イッキの手も充分温かいだろう?」 「うん、あったかいよ。でもトキヤには逃げられるんだ」  ほら、とトキヤの手を握ろうとした音也の手を、トキヤは回避する。何度やっても逃げるから、レンはこみ上がる笑いを抑えることが難しくなっていった。 「……レン、笑いすぎです」 「笑うとこあった?」 「だってさ……」  音也はもしかしたら気付いているかもしれない。悪戯っ子のように笑っているから。トキヤはわかっていないのだろう、半ば本気で憤慨している。  ──手を放せばラクだろうに。  レンの手を放せば、もっと楽に音也と攻防を繰り広げられるはずだ。  それができないのか、しないのか。いずれの理由でもレンには都合が良いし、そう受け取りたい。  音也がくすくすと笑う。 「トキヤって鋭いのに鈍いよね」 「イッキ、それ言っちゃダメだよ」 「本人を前に悪口とはいい度胸ですね」 「悪口じゃないさ。可愛いなあって話だよ。ねえイッキ」 「そうそう!」  二人で顔を見合わせ、にこりと笑う。トキヤの機嫌はますます下降を辿ったようで、眉間の皺が深くなっている。これ以上不機嫌になられると、後が面倒になりそうだ。話を切り上げるに限る。 「まあとりあえず、行こうか。みんな待ってるんだろう?」 「俺、先に行ってるね!」  翔に漫画返さなきゃ、と慌しく走って行ってしまう。これは気を遣わせたことになるのだろうか。今度カレーを奢る必要があるかもしれない。  もう一度ぎゅっと手を繋ぎ直すと、そのままトキヤの手を引っ張って歩き出す。 「ちょっと……!」 「今更、いいだろう? これくらい」 「……誰に見られるかわかりませんよ」  先程の音也のように。  トキヤが言うと、レンは目を細めて笑う。 「堂々としていれば問題ないさ。何か言われたら、寒いからねって返せばいい」  そういう問題だろうか。なんて自分でも思うけれど、そういうことにしてしまえばいい。トキヤが丸め込まれてくれればいいのだけれど。  周囲に伏せているとはいえ、こんなことくらいできる関係になっているのだから。少しくらいは表でも繋いでいたって構わないだろう。  上手い言葉が出てこないらしいトキヤの表情。レンは今度は苦笑した。 「……なにしろ『完全無欠のクールビューティー』様だからね。隙を窺うのに苦労しているのさ」 「は?」 「いつも隙がないから。見つけるのに苦労してるよ」 「…………」  まったく予想外、というようにきょとんとしている。そんな意外な顔をされることのほうが意外だ。自分で気付いていない、はずはないのに。 「どうしてそんな顔するの」 「……貴方のほうこそ、隙を見せないでしょう」 「そんなことはないと思うけど?」 「貴方が隙だらけなら、私がこんなに苦労は……」  言い掛けて止めたと思ったら、今度はトキヤがレンの手をぐっと握って歩き始める。慌ててついて行った。半歩後ろ。今はその距離がちょうどいい気がする。  口許に笑みが浮かぶのを自覚してはいたが、隠すのは難しかった。 「ね……、何を言い掛けたんだい?」  口付けの合間に問うと、トキヤにがぶりと顎を噛まれた。これは多分理解している。なのに問うのだ。 「……何の話ですか」 「昼間のさ。何を苦労しているの」  真上から見下ろしてくるトキヤの頬を撫でれば、視線を明らかに逸らされた。何かある。わかりやすい反応だ。 「ほら。言ってくれなきゃわからないよ」  オレも協力できることならするよ。  言って、しばらく待つ。お互いに素直じゃないことは百も承知で、だから話を聞くためには時間がかかる。それでも言ってくれるのだから素直なほうなのだろう。  待っていると、不意にトキヤが腰を動かした。半ばまで入れられていたものが、一気に奥まで突き入れられる。 「ッ、ちょ、っと……!」  逃げるにしてもこれは卑怯ではないか。何とか止めさせようとして中を締め付けても、止まるのは一瞬だけで、背中に爪を立てても肌を撫でられれば緩む。 「イッ、チー……ちゃんと、言えって……!」  性器にトキヤの骨っぽい指が絡み、突き上げる動きに合わせるように扱かれる。後ろはオイルのお陰か動きは滑らかで、ずるずると引き抜かれては強く突き上げられた。  しがみついても声を上げてもトキヤが止める様子はない。それもだが、トキヤの動き方が普段と違うようで気になる。  いつもはどうだったか。思い出そうとしても動きに翻弄されて思い出せない。 「ッア、アッ……!?」  びくりとレンの腰が跳ねる。しがみつく力を強くした。 「や、め……っ、やだッ……!」 「好きでしょう?」  囁かれて背筋が震える。  決してそこを突かれるのが好きなわけではない。ただ弱いだけだ。反論できるだけの余裕もなく、ばらばらと長い髪を散らして首を振る。  性器に絡む指が動きを増す。その分、何度も突かれた。どろどろに溶けているから手の動きも滑らかで、いやらしい。ただ快楽を与えてはくれても、なかなか決定的な刺激はくれない。それがもどかしい。  そのために自分から動こうと思っても巧く動けないし動かせてくれない。  こういうされ方は今までなかったから、戸惑う。  何が目的なのか。  わからないまま、ただ翻弄された。 「まったく……」  隣で、珍しく先に寝落ちたトキヤの頬を指の背で軽く撫ぜた。  結局は何がどうしてああいうことに至ったのか、トキヤは言ってくれなかった。  誰かに何かを言われたのか。何か考えすぎていたのか。いずれにせよ、言ってくれないままだからわかりようがない。 「……察するにも限界があるんだけどね」  目を閉じているから、トキヤにレンの苦笑は見えない。長い睫毛のあたりをそろっと撫でてから、レンはトキヤの体に腕を回してシーツをかぶる。  腕の中の体が冷えないように。 「……オヤスミ」  ほとんど吐息の声は聞こえなかっただろうが、体温だけは伝わるといい。目を閉じて、トキヤの体温を感じた。
>>> go back    >>> next