RTのやつ

「悪いね、大事なこと言い忘れてたよ」
 自失しているトキヤを振り返ると、つかつかと傍に寄り、顔を覗き込んでくる。
「オレの本気を疑ってるかもしれないけれど、疑う必要なんてないからね。さっきの言葉は事実さ。じゃあ……また」
 唇に掠めるだけの口付けを与えると、素早く身を翻して部屋を出ていく。その勢いのまま歩き続け、ふた駅も先の自宅まで徒歩で帰宅してしまった。
 腰が痛いのは長距離を歩いたせいではないし、頭が痛いのは昨晩や先程のことを思い出したせいでもない。
 昨晩は、今日がオフのせいもあってひどい深酒をしてしまった。トキヤと性的な意味で同衾してしまったのはそのせいが半分──あとはレンの思惑が半分。
「……はぁ……」
 マンションの下で息を吐いて立ち止まる。
 酔いの勢いを借りて友人(と思っていてくれていたであろう相手)を押し倒して跨がるとは、なかなか自分らしくて卑怯だった。酒精を言い訳に使ってしまう程度には友人との仲に発展性を見出せず、発展するにしろ破滅するにせよどうにかしたいと思った行動は自棄になった。
 何しろ友人は男だったし、同じアイドルグループのメンバーの中でもお堅い部類に入る、一ノ瀬トキヤだったので。
 正攻法はとても考えられず、自分もトキヤもべろべろの、前後不覚に近い状態まで持って行って事に及んだ。
「卑怯だね……」
 自分にも相手にも言い訳を与えられる状況。逃げ道を用意して、傷付かない道を用意した。なのに。
(…………素面であんなこと言ったら台無しじゃないか……)
 次にどんな顔をして会えばいいんだろう。
 それでも言ってしまったものは仕方がない。覆水盆に返らずだ。
 まだ重い頭を抱えながら、エレベーターで居室のあるフロアまで上がる。静かに開いた扉から出ようとして、扉の先、エレベーターを待っていたらしき人物とぶつかりかける。
「っと、すみませ……」
「……レン」
「え」
 思いがけず名を呼ばれ、顔を上げる。ぎくりと身を強張らせたのは、先程別れてきたばかりの相手だったからだ。
「……イッチー、なんで」
「すぐに追いかけたんですけどね……どこへ寄り道してきたんですか」
 肩を竦めるトキヤはいつもの顔で、平然とレンを見つめる。答えないというより言葉を無くしたレンの腕を取ると、
「こんなところで立ち話し続けるわけにもいかないでしょう。……貴方の部屋に入れてください」
 などと言う。たしかにこんなところでは人目に付くだろうし、どこで誰が聞いているかわからない。
「……わかった」
 部屋まで先導し、部屋へ通す。
 トキヤが部屋に来るのは初めてでもないのに、どうしてこんなに緊張するのか。この先の展開を考えると頭が重い。けれど半分以上は自分のせいだ。
(参ったなぁ……)
 友人をなくすことになるんだろうか。
 トキヤの無表情をちらりと見た後で視線を足許へ落とす。なんとかこの場から逃れられないかと思案するが、腕を掴まれたままでは難しそうだ。諦めてリビングに向かい、トキヤを座らせる。
「わざわざオレを追いかけてきてまで、何かあったのかい?」
「自分の発言を忘れたとは言わせませんよ」
 真っ直ぐに射抜く紫紺。
 どうにも苦手だ。居心地が悪い。
 レンの逃げ腰を察知したのか、トキヤがレンの腕を引く。バランスを崩したが、倒れ込むことはなかった。とはいえ、体はトキヤの腕の中だ。
 いよいよもって進退窮まった。
 動けずにいるレンに、トキヤが口を開く。耳を塞いでしまいたいのにできない自分の意気地のなさに、せめてもとかたく目を閉ざした。
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