わかりやすい。
レンは背後にトキヤの気配を感じながら、込み上げる笑いを必死に堪えていた。
(変なところ子供っぽいねえ、イッチーは)
意固地になっているのかもしれない。そんな風になる必要はないのに。
真斗が出かけていて良かった。いれば何と揶揄されたかわかったものではない。慣れている自分はともかく、トキヤのためには避けておきたかった。
そもそもの原因は数日前だ。
女性たちとの予定を早めに切り上げ、トキヤと音也の部屋に寄る。音也は翔の部屋に行っていたから必然として二人きりだったが、トキヤは読書に没頭していた。
机の前で椅子に座って分厚い文庫に没頭するトキヤの背後から、本を覗き込むようにして抱きしめた。これ以上何か手出しすると怒られるのは体験済みだが、髪やこめかみに口付けるくらいのことはしても許される。
真剣な横顔を見るのは嫌いではない。むしろ好きな方だ。トキヤの顔立ちが整っているから、余計に。
本当なら抱きしめて抱きしめられてベッドに転がっていたいくらいには接触欲求が高い。それを堪えているのだから、好きに触らせてくれるべきだ。そんなことを考えながらしばらくトキヤの髪を撫でたり梳いたりしていると、不意にトキヤがレンを振り返る。
「何をしているんですか、貴方は」
「本、読んでるんだろう? 読んでなよ。オレは好きにしてるから」
「……かえって気になるんですが」
「そう? じゃあ、止めておくよ」
名残惜しさを切り離し、ぱっと手を離し体も離す。ゴネても良いことはないと学習した結果だ。
それにあまりしつこくアプローチするのはスマートではない。トキヤがそれを良しとしてくれるのなら、別なのだけれど。
「…………」
じっとレンを見上げてくる。こちらの出方を窺っているのか。
(なんだかまるで猫のようだね)
思いながら視線を合わせた。
「どうかした?」
「いえ……、……突っ立ってないで、座ったらどうです?」
「そうだね……」
ちらりと時計に目をやる。二十二時。そろそろ音也が帰ってくるか。
トキヤからは少し距離を置いて彼のベッドに腰を下ろしたのとほとんど同時に、部屋のドアが開く。
「たっだいまー! あっ、レン! いらっしゃーい」
目敏い音也がすぐにレンに気付き、傍に寄ってくる。まるで犬のようで可愛い。彼は動物に例えるなら間違いなく犬だろう。
「やあ、お邪魔しているよ、イッキ」
「レンならいつでも歓迎だよ。どうしたの?」
「ちょっとイッチーやイッキの顔を見に寄っただけさ。そろそろ失礼するよ」
「えー。もっといればいいじゃない! ねえトキヤ」
頬を膨らませた音也がトキヤを振り返る。トキヤはわざとらしい溜息を吐いた。だいたい何を言うのかは想像がつく。先回りすることにした。
「そろそろ消灯時間ですよ。私は休みます。騒ぐなら貴方がレンと出て行きなさい、音也」
トキヤの口調を真似て言ってやれば、トキヤは目を見開いてレンを見る。驚かせることには成功したようだ。
レンの隣で、音也は目を丸くしていた。
「うわあ、レン、それすっごくトキヤが言いそう」
「だろう?」
「馬鹿なこと言ってないで、早く寝なさい」
トキヤはまた溜息を寄越すと立ち上がり、ベッドへ体を横たえてレンと音也に背を向けた。
やりとりとしては些細なものだったと思う。いつもとあまり変わり映えがない。
それなのに、何が引っかかっているのだろう。
(時々わからないんだよね、イッチーの考えてること)
いつもならたいていわかる。レディたちと長々と話しすぎていただとか、接触が多かっただとか。そういう感情が仲間たちに向けられることはほぼなかったから、音也とのやりとりに問題があったわけではないだろう。
外に向けてはいつも余裕ありげで、取り付く島を与えないクールっぷりなのに、レンに向けられる感情は熱い。決して嫌ではない。嬉しいとも思うのだけれど。
(……何が引き金になるかわからない時があるんだよねえ)
さて、最近のご機嫌斜めの理由は何なのか。
訊いてみるより他にない。
背後を振り返ると、意外と近くにいたトキヤがはっとした顔をした。手を不自然に背後に持っていったようにも見えた。
「? どうかしたのかい、イッチー」
「……別に、なんでもありません」
「なんでもない顔じゃないんだけど……」
「気のせいでしょう。それより、何ですか」
「いやそれはオレの台詞なんだけど」
苦笑し、手招いて傍に立つトキヤを仰ぐ。
(いつもと何が変わってるってわけでもないんだけどな)
それでも違和感があるということは、何かあるということだろう。レンの方には、まったく何もないのだから。
「最近、どうしたの」
「何がですか」
「機嫌。あんまり良くないだろう?」
「そんなことはありませんが」
「オレに嘘をついても無意味だって、前にも言ったよね」
「…………」
そこで顔を逸らして黙り込むのは嘘をついた自覚があるからか。本当に妙なところが素直なトキヤが可愛い。
(そういうところ、抱きしめたいって思うんだよね)
勿論、女性たちとは違った意味でだ。
「それで?」
促すと、ちらりとレンに視線をくれて屈み込み──背から腕を回し抱きしめて、軽い口付けを唇に落としてくる。
「先日、貴方が部屋に来てくれた時に……」
消灯少し前に立ち寄った時のことだろうか。
「こうして、抱きしめてくれて……、……本当は、あの時、キスしたかったんです」
「……すれば良かったのに」
トキヤからの口付けがまったくないわけではない。けれどやはりしてもらえれば嬉しいと思うし、したいとも思う。二人しかいない瞬間なら、尚更だ。
言うと、トキヤは表情に苦みを滲ませる。
「そうしたかったのは山々ですが、音也が帰ってくるかもしれなかった状況では、さすがに……」
たしかに公然とべたべたとしているところを見られるのは問題がある、かもしれない。音也がトキヤとレンの仲について知っているのかいないのかは、この際別の問題だ。
(まあ……勘付いてる奴もいると思うけど)
同室の男をちらりと思い浮かべると、内心で苦笑する。
そうして、ふと気付いた。
「…………ん? ということは、イチャイチャしたかったのにできなかったことが不満で、ここ数日の機嫌が悪かったってことかい?」
「そう……ですね」
不承不承ながらも認めたのは、トキヤの大いなる成長と言える。今までなら沈黙していたところだろう。人間的には多少なりと成長したのだなと思えば感慨深い──などと思わなければやっていけない。
(どうしてこう……イッチーはそうかな!)
湧き上がる笑いを、とうとう堪えきれなくなって噴き出す。トキヤは面白くなさそうにしていたが、構わずその頭を引き寄せて撫でた。おまけで耳と頬に口付けてやる。
「いつまで笑っているんですか」
「ごめんごめん。でも……そんなことで、って思うとさ……」
お詫び、と言って引き寄せた顔、柔らかな唇に吸い付いて舐める。口を離しただけで鼻が触れ合いそうな距離でにこりと笑ってやれば、トキヤは小さく息を吐いた。
「……詫びになってませんよ」
不機嫌な表情が何を求めているのか、おおよそわかる。その程度には付き合いは長く、深い。
(イッチーのそういう表情、好きなんだよね……)
欲の隠れきっていない顔。もう少し見せてくれればいい。他の誰も知らなくていいから、せめて自分にだけは。
「もっと欲しい?」
「……ええ。足りません」
きっぱりと言い切り、レンの顎を手で攫って吐息ごと唇を奪う口付けを寄越す。
時計に目を走らせて時刻を確認し、歯列を割る舌を歓迎した。