夜の隙間に

「ちょ……っと、待て、待てって……ぁ、アッ!」
 強く突き上げられ、呼ぼうと思った彼の名が消える。
 そうさせた本人はといえば、熱に浮かされたような顔、獣の目でレンの痴態を見つめていた。
「待てません」
 掠れた声音はひどく熱い。背後を振り返り、レンを見つめていた瞳と視線がまともにぶつかる。
(……この顔には、弱いんだよな……)
 そんな場合ではないのに鼓動を跳ねさせると、
「今日は……優しくできそうに、ありません。……せめて、力を抜いていてください」
「勝手な、こと……! ンッ、ぅ……」
 ずるずると後ろに突っ込まれているものが抜かれる感覚を、シーツを掴んでやりすごす。かと思えば貫かれ、腰が跳ねた。
 トキヤがこんな風にレンに構わず行為を進めるのは珍しい。なんのかんのと言いながら、いつも気遣ってくれているからだ。逆に言えば、レンを翻弄するような激しさは薄いといえる。
(だから、嬉しいと言えば嬉しいけど……)
 こんなに極端にならなくてもいいだろうに。
 レンの体を撫で、腰を掴んで引き寄せる手も、背に口付ける唇も。彼の本性を表しているようで――愛しい。体があげる悲鳴すら、悦びに変えられる気がした。



「それで? 何があった?」
 うつ伏せでぐったりと枕を抱きしめながら隣にいるトキヤを見る。気遣わしい表情をしていたのに、レンに見られるとすぐに目を逸らす。
「…………」
「黙秘は許さないよ」
 沈黙したトキヤを睨むと、トキヤは諦めたように溜息を吐いた。
「……言いたくありません」
「…………拒否も認めないけど? だいたい、何もなくてイッチーみたいなタイプが暴走するわけないだろう」
「……よく知ってるんですね」
「身をもってね」
 肩を竦めたかったが、腰に響くのでやめておく。鈍痛に顔をしかめると、トキヤがレンの前髪を掻き上げ、額に口付けた。親愛の意味のキスは、肌にも心にもこそばゆい。慣れていないせいだ。自分からするのなら、まだ良いのだけれど。
「……すみません。貴方に八つ当たりしたみたいになってしまいました」
「八つ当たりだったのか?」
「ええ……まあ」
 言いにくそうにしているから、実際そうなのだろう。
 さて、何か八つ当たられるようなことがあっただろうか。レンは一日を振り返る。
 レディのエスコート。これはいつものことで、特に何かあるわけではない。
 今日はたまたま食事はトキヤと一緒に食べた。それを邪魔するヤツはいなかった。
 真斗と他愛のない喧嘩をした。喧嘩とも言えないようなことだ。言い合いのレベルと言ってもいい。これもいつものこと。首を捻るしかない。
「……まさかと思うけど、レディや聖川のことかな」
「…………」
 沈黙は肯定か。
 歯の裏まで出かかった「嘘だろ」は、なんとか飲み込んだ。トキヤはこんな時に嘘は言わないからだ。わかっていても言いたくなる気持ちを理解して欲しいと思うのは贅沢か。
(……案外、余裕がないんじゃないか?)
 緩みそうになる頬を引き締める。
 トキヤは悔しそうに言う。
「わかってます、自分でも狭量だということくらい。……先に言っておきますが七海くんの件は違いますからね」
「……じゃあ、聖川か。何が引っかかった?」
「…………」
「…………」
 トキヤが口を開くまで辛抱強く待つ。かなり苦行だったが、きっと言ってくれるだろうという予感だけはあったから、待つしかなかった。
(まさかアイツとはね……)
 聖川の家と神宮寺の家とでは長い間、確執があった。今でもあるだろう。その意識はレンも受け継いでいるし学園にいた頃はよくいがみ合った──というよりはレンが突っかかって行ったことがよくあった。
(まあ……アイツも甘いだけのお坊ちゃんじゃないってことがわかったし)
 自分が思っているより相手が恵まれているかどうかはわからないのだと気付いて、真斗の方は相変わらず家同士のことなど気にも留めていない様子だから、段々こだわるのがバカらしくなってきた、というのが現状だ。
 それでも決定的に何かが合わないのだろう、今日のように些細なことで言い合ってしまうことはあった。
 トキヤはちらりとレンに視線を寄越す。
「……貴方と、……聖川さんが、その……仲が良い、と思って……」
「仲が良い?」
 レンの形の良い眉が跳ね上がる。聞き捨てならない言葉だ。
「オレとアイツの仲が良いなんて、冗談でも止めてくれ」
「ええ……すみません」
「…………」
 じっとトキヤの横顔を見つめる。何も理由なしにそんなことをいう男ではない、と思う。では何かしらの理由があって言ったというわけで――
「……もしかして、妬いた?」
「…………」
 この沈黙はイエスか。
(適当に言ったのに、合ってるとは──)
 レンは込み上がる笑いを堪え切れなかった。
「あっは! イッチー……ありえないことに嫉妬して、どうするんだ?」
「仕方ないでしょう。喧嘩するほど仲が良いとも言いますし」
「本気で止めてくれないかな」
「貴方や聖川さんの仲が実際どうあれ……傍目にはそう見えたということです」
 憤慨したのはこちらなのに、それ以上に憤慨して言うものだから、つい腰の痛みも忘れて腕を伸ばして肉の薄い頬を撫でてやる。
「イッチー……君は本当にオレのことが好きなんだね」
 感心するよと笑えば、伸ばした手を取ったトキヤがその手のひらに口付ける。少しくすぐったい。
「そうでなければこんなことしないでしょう」
「……そう、かな」
「では貴方は、」
 トキヤの目が釣り上がったことに気付くのが遅れたのは、レンにとっては敗因だ。
「誰にでも体を許すというのですか?」
 するりと太腿から腰を撫で上げる手のひらに、びくりと跳ねた。
「ここや、ここも触らせると?」
 意図を含んだ手のひらが、先ほどまでの行為でほぐれた後孔や性器に触れる。
 たまらず降参した。
「悪かった! 悪かったから……っ」
 それ以上触ってくれるなと身を捩り、トキヤの手から逃れる。だがトキヤはレンの腰を掬うと、背中からぎゅっと抱きしめてくる。
「……イッチー?」
「先に謝っておきます。すみません」
「は? 何が……、っ!」
 耳元で囁いた唇が、次には首筋や背中を辿る。手のひらは腹筋や太腿を撫でた。静まった熱を熾すように。
「イッチー、……トキヤ!」
「……今は逆効果ですよ」
 背中越しにそんな言葉を聞いた。
 結局、その後はまんまとトキヤの好きにさせてしまい、腰痛をより重いものにしただけだった。
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