smile meaningfully

 久方ぶりの裂け谷への訪問は、その道程だけを見れば難儀なものであった。
 難儀な所の大半は彼、アラゴルンに依るものではなく、どこか危機感の薄いホビット達に依るものなのだが。フロドがナズグルの剣を肩に受けたのも、彼らの己らの立場がいかに危険と共に在るかという事を理解しえてなかったからだ。かといって責める気も起こらぬのは、彼らの性質が根本的に陽性で、それに当てられた所為もあるかもしれぬ。
 幸いにしてフロドはグロールフィンデルとエルロンドのおかげで生き延びた。昼に目覚め、明日は昼前から話し合いだとエルロンドが定めた。結果オーライともいかぬが、子犬の躾のように、過ぎ去った事をいつまでもあれこれ言っても始まらぬ。

 エルロンドの館に着いてから、既に数日が過ぎた。
 月の美しい夜、慣れた月光が何故かアラゴルンの眠りを妨げた。何度寝返りを打ってもまんじりともせず、十回目の寝返りを打った後で眠りを諦めた。或いは、柔らかな寝具に体がすぐには馴染めていないのかもしれないと思った。
 部屋で呆けるのも、かといっていつでも起きているエルフ達と話すのも億劫だったので、夕刻エルロンドに借りた書物を適当な場所で読もうと、館の奥へ足を運ぶ。
 書物は、かの大戦の事を記したエルロンドの手記。
 ならば似合いの場はあそこしか考えられぬ。アラゴルンの祖先が名を言うも思うもはばかるものから力を奪い去った剣を安置してある、あの場所。あの部屋ほど本を読むに格好の場所はなかった。

 ナルシルが見えるか見えぬかという位置にある柱にもたれ、欄干に腰を下ろし、厚い本を開いてページをめくる。既に何度か読んだ事はあったし、読み慣れてはいたが、それでも倦むということはなかった。
 達筆はエルロンドの人柄の一端を表しているようにどこか神経質のようだったが、読みやすかった。月明かりも、文字を読むに不足ない光量を供してくれた。
 数ページを読み進んだ所でふと、何者かの気配を感じた。館に住むエルフの誰かかと思ったが、彼らは滅多にここへは訪れぬ事を思い出し、訝しみの視線をそちらへ投げる。人影を見受けて、はたとエルロヒアが言った事を思い出した。
「ゴンドールからお客人がやってきたよ。なんでも執政の長男だとか」
 名前はボロミアだって。
 エルロヒアは悪戯小僧のように笑ったが、その時アラゴルンは「そうか」と返しただけで意味ありげな微笑は黙殺した。
 ボロミア。
 懐かしい響きの名であった。
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