赤い髪の少年が泣いているのを、シャンクスはじっと見下ろしていた。
この少年のことならば知っている。己がいつも傍におり、大切にしている少年だ。
泣いている理由もわかっている。この少年の記憶は、シャンクスの領分だから当たり前だ。
「……おい。いつまで泣いてやがる」
「だって」
「だって、じゃねェよ。おまえがずっとそんなだと、目が覚めない」
「目、覚ますの……嫌だ……!」
レンがいない。
訴える少年の声は悲痛であり、シャンクスの胸を打った。しかし本当にいつまでもこうしている場合ではないのだ。外の様子を、シャンクスは知っている。
少年が知らずにいたことを告げるべき時期なのだろう。彼はもう気付いてしまっているのだ。目を覚ましてから今まで、彼の傍にいたのはレンブラントではなく――ベン・ベックマンだということに。
「……レンはもう、十年以上前に死んじまってる」
「死んだ? レンが? 嘘だ! なんで! なんでレンが死ぬんだ?」
「本当はおまえも知ってるんだ。レンの死を認めたくなくてずっと引き篭もってたのはおまえなんだからな。見たはずだ。レンの死を」
思い出せと静かに告げる。少年は激しく頭を振った。
「見てない! オレは知らない……!」
「知ってる。オレが知ってるんだから、おまえも知ってるんだ。オレはおまえで、おまえはオレだからな」
「レン……」
「血塗れになって倒れただろう」
「…………」
「斬ったのはオレだ」
最後の絶望的な告白を、シャンクスはあえて淡々と行った。どのように告げようとも衝撃を受けるのはわかっている。ならば余計な情を差し挟まず完結に告げるべきなのだ。
刃は血に塗れていた。抱きとめた体は、まだ温かかった。けれどもう、息をしていない。名を呼ぶことも、濃紫紺の瞳が見つめてくれることもない。腕の中で、大きな体はどんどん冷たくなっていった。――ただ恐ろしかった。
「海賊になってからも多くの人間を斬ってきた。一番最初に斬ったのは、レンだ」
少年――小さなシャンクスは目をいっぱいに見開くと、細い首がもげんばかりに振った。
「違うっ――違う! レンを殺してない!」
「違わない。レンを殺したのはオレだ」
「違う! オレ――知ってる。知ってるんだ。殺したのは本当に、オレじゃない」
「何?」
シャンクスは動揺を隠せず、少年の姿の自分の前に膝を折り顔を覗き込んだ。あの時の記憶は自分の領分だったはずだ。
「どういうことだ?」
「あの時、レンが来てくれた時。レンはオレの姿を見ると、すぐに階段を駆け上がって傍に来てくれようとした。オレは、屋敷が騒がしかったから部屋の外に出てて、二階の壁に掛けてあった剣を取った。レンが来てくれたのはその時だ。そしたら――レンは撃たれて斬られたんだ」
高い銃声。弾けたレンブラントの左胸。――撃ったのは、ジェイドだった。
「続けざまに屋敷の連中に撃たれて――オレは剣を取り落として、レンを抱きしめた。その時にはもう、レンは……死んでた」
呆然とレンブラントの体を抱きしめ続けた。ジェイドがレンブラントを引き剥がそうとして、レンブラントを殺したのはこの男なのだとシャンクスが気付いた時――黒い衝撃が湧き上がって爆発した。レンブラントの血溜まり浸った剣を取ると、それをジェイドの脳天に叩き込んだ――。
後のことは、記憶している通りだ。
シャンクスは背の低い自分の前で呆然と立ち尽くす。俄かに信じられる話ではなかった。
「そんな……」
ではあの剣の血は――レンブラントのものであっても、自分が彼を斬ったから流されたものではないのか。レンブラントを殺したのは自分ではなかったのか。今まで自分を苛んだ辛い記憶は何だったというのか。
己に向かって問いかけた時、『罪悪感』という言葉が浮かんだ。
「レンを死なせた罪悪感で――オレは自分が殺したと思い込んでいたっていうのか……?」
シャンクスの呟きに、少年はこくりと頷いた。自分のことだ。嘘ではないとすぐにわかるが、やはり信じがたい。だがシャンクスは思い出していた。少年の言う通り、レンブラントを殺したのはシャンクス自身ではない。
「……ずっと、オレが殺したと思ってた」
「オレはレンが死んだこと、知らなかった」
「おまえを守ってるつもりで……守られてたのはオレのほうだったのか」
「違うよ。レンが死んだ時、助けてくれた。オレは逃げたのに」
だからオレが助けられたんだ。
シャンクスの手を取る。
「レンがレンじゃないって教えてくれたのも、そうだろ? オレの居場所があそこじゃないって……夢で教えてくれたし」
最初は意味がわからなくて混乱もしたけれど。微笑する頭を撫でてやる。
「余計なことをしたか?」
「ううん。あのままだったら、多分ずっとオレがレンだと思い込んでた人のことも、ギィも、他の皆も困らせたままだった。それにフィリップたちも助けてくれたし――」
ありがとう。
呟いて微笑すると、小さなシャンクスは大きなシャンクスに抱きつき――空気に溶けるように消えてしまった。
彼がいた空間に向かって微笑む。
礼を言うのはこちらだろう。
「……ありがとうな」
他にも礼を言わねばならない連中がいるのを知っている。
彼らが帰りを待っていることも。
「すぐに行く――!」
すぐに、だ。
これ以上待たせて小言を長々と聞くのは御免だ。