待っていた男は夜とともに訪れた。
いでたちは相変わらず頭から爪先、サングラスまで黒ある。夜だからかける必要はないだろうに、ポリシーなのだろうか。
「お取り込み中かい?」
事情を知っているわけでもないだろうに、そう言って寄越す。ベンは頭を振った。
「いや……だが、半分は当たっているか」
昼にシャンクスが倒れた経緯を簡単に話すと、ロイは軽く頷いた。シャンクスの様子を見に行こうとしていたギーフォルディアがダイニングから部屋へ移ろうとしていたので、ベンはロイを紹介した。
互いに名乗りあったところで、ギーフォルディアはシャンクスの部屋へと引っ込んだ。脱水症状を起こさぬように水をやったりシーツを換えるらしい。あるいは彼らしい気遣いだったのかもしれない。
テーブルに向かい合わせに座る。決して話は短くはないだろうと、ベンはラムを開けた。レッドラムがグラスに注がれるのを見つめながら、ロイは口を開いた。
「最初からすべてを話すのは、とても難しい。私は調べられる限りのことはすべて調べてきたつもりだよ」
「初からおまえの調査能力を疑ってなんかいないさ。話し易い所から話してくれ」
「そうだね」
ロイは数秒口を閉ざし何かを思案しているようだったが、言うべき話を決めた後は澱みなく喋りだしてくれた。
「順を追って放そう。長い話になるよ。まるで物語りのようにね。
――昔、ここから少し離れた国にシャーナという綺麗な赤毛の娘が生まれた。彼女は生まれた時に不幸を決定付けられていた。というのも、彼女の生家は変わっていて、ある性癖を持っていたからだった」
以前に同じような言葉を聞いたことがある。ベンは眉間に皺を刻んだ。まさか。ちいさな呟きを聞き取ったロイが頷く。
「赤毛の人間に性的興奮を覚える。――相手の老若男女を問わずね。当時の当主、シャーナの父親の名はジェイドという。数年後に生まれたシャーナの母違いの弟の名は……ラグルス」
「ラグルス?」
ぴくりと反応したベンに頷いてから、ロイはラムを含んだ。
「君が知っているラグルスと同一人物さ。その話は今は置くとして、シャーナの話に戻ろう。
彼女は幼少時代にはもう父親に監禁されて暮らしていた。そのことからもわかるように、彼女はそりゃもう見事な赤毛で、太陽を浴びると紅玉のように煌いていたそうだよ。実の娘とはいえ、赤毛狂いがそれを見逃すはずもない。あの家の歴史を見ると、そういうことも過去には何度かあったみたいだしね。そんなわけで、シャーナは物心つくかつかないかの年から十六くらいまで、監禁され続けていたらしい」
「十六以降は?」
「レンブラントがシャーナを連れ出して駆け落ちした。レンブラントとシャーナは、母方の従兄妹だったそうだよ」
「待て。シャーナは物心つく前から監禁されていたんだろう。二人はどこで出会ったんだ?」
「レンブラントは行儀見習か何かで、ジェイドの屋敷に十歳の頃から住み込んでいたそうだよ。シャーナが産まれたのも知っていた。監禁されていたのもね。何度か離れをこっそりと訪れていたようだ。最初は子供らしい冒険のつもりだったんだろうけど――入ってはいけないという所に入りたがるのが子供だものね!――いつしか囚われのお姫様に恋心を抱くようになったというわけさ。シャーナが十六になった頃、レンブラントは二十歳になって自立した生活を送れるようになったから連れ出したんだろうな」
彼女はシャンクスが六つの時に病死した、とロイは付け加えた。
「ロイ、ひとつ訊いていいか」
「何かな?」
「シャンクスは、レンブラントと血の繋がりはないと言っていた」
ロイはベンの質問の意図に気付いたのか、数秒黙るとラムを一口飲んで口の中を湿らせた。
「シャーナはレンブラント以外の男は一人しか知らない。これが答えになっているかな?」
ベンは重々しく頷くと、今度はレンブラントの死亡当時の状況を尋ねた。
「レンブラントは、友人と二人で赤髪を奪い返しに行ったんだ。というのも、ジェイドは執念深い男でね。シャーナがレンブラントと駆け落ちした後も行方を探させていたんだ。しかしシャーナはとっくに死んでいた。一方、追手はシャーナに良く似た少年を街で見かける。赤毛がとても綺麗な少年だ。ジェイドは今度はその少年が何者か知らぬままに固執し、結局一番手軽な暴力的方法をもって連れ去った。赤髪が十四になってすぐのことさ」
それから一年、ジェイドに囚われていたのだ。虜囚となっている間のことは良くわかっていないが、シャンクスの母が受けた扱いを思えば想像はつく。間違いなく、同じ扱いを受けていただろう。
ベンは拳を握り締め、衝動に耐えた。歯を食いしばらなければ、口からは呪詛や罵倒の言葉が吐かれただろう。それとも、机を叩き壊していたかもしれない。
ロイの言葉にも苦味が含まれる。
「シャンクスが連れ去られた屋敷はどこだったと思う? ベン、私はこの話を聞いた時、背筋がぞっとしたよ。この私がだよ!」
唾棄せんばかりの口調で、ロイはその場所を教えてくれた。
――ワーレイ島の、黒屋敷。
それはまさしく、シャンクスがラグルスに囚われていた場所だ。
ベンは頭の芯が鈍く痛むのに耐えねばならなかった。
知っていると、誰かが頭の中で五月蝿くわめき散らしている。
何を?
何を知っていると叫ぶのだ。叫んでいるのは誰だ。
唇が動いたが、自分で喋っている気が全然しなかった。
「シャンクスが十六になる前に、レンブラントがシャンクスを奪い返しにあの黒屋敷へ行ったんだな?」
「そう、彼の友人と一緒に」
ベンは続いての問いを発しかける口を閉ざそうとした。
(何を――訊こうとしている)
しかし己の意志とは無関係に、言葉は紡がれた。頭は割れるように痛む。何かを思い出したのだと、ベンは気付いた。
「……レンブラントはシャンクスに斬られたんじゃなかったか?」
そう――そうだ。
確か以前にシャンクスから聞いた。
あれは、仲間になりたての頃だったか。したたかに酔っ払ったシャンクスから聞いたのだ。
「一番大好きだった人を、この手で殺めたことがある」と。
告白をしたシャンクスの苦しげな自嘲、震える指や肩、髪で陰になった目元――すべてを思い出せる。いや、思い出せた。完全に思い出した。
「レンは、オレの腕の中で冷たくなっていったんだ。血をいっぱい流して……その後のことはよく覚えてねェ。気が付いたら、生きてる奴は誰もいなかった。皆レンと同じように血を流して倒れてた。そのまま屋敷を出て、村で小船を盗んで、島を出たよ。オレが海賊になったのは、たまたまオレを拾ってくれたのが海賊船だったのと、海賊の気風が合ったからさ」
本当はそんなこともすっかり忘れていたのだと、シャンクスは疲れたように微笑した。そうしてベンを引き寄せ、息のかかる距離で瞳の奥まで見つめられた。
「おまえのおかげで思い出しちまった」
敵と相対した時と同じ眼光。殺気を間近で浴びせられ、ベンは身動きもできず深海色に見入っていた。
「よくも、オレを苦しませてくれたな……」
おまえと出遭わなければ決して思い出すことはなかった。罪に苛まれることもなかった。出遭ったがために思い出してしまったのだ。愛しい人の死を。己の罪を。
「俺を、殺すか? シャンクス」
シャンクスの告白を聞いても、ベンは動じなかった。あるいはシャンクスはそうするのではないかと思っていたのだ。しかしシャンクスは吐息で笑う。
「殺す? そんな勿体ねェこと、誰がするかよ」
せっかく海軍から誑かした上玉だ。せいぜい働いてもらうさ。
薄く笑ったシャンクスは、まるで血に酔った魔物のような物騒さでベンを捉えた。
それからだ。
シャンクスと寝るようになったのは。
「俺は、シャンクス本人からそう聞いた。そう、シャンクスは『生きてる奴は誰もいなかった』と俺に言ったんだ。それならどうして、おまえがその時のことを知ってるんだ?」
「生きてる奴はいなかったとは言っても、倒れた者すべての脈を計ったわけではないだろう。私が話を聞いたのは、そのとき唯一の生き残り、レンブラントの無二の友さ。赤髪とも会ったことがあると言っていた。彼は、死んだ振りをしていたそうだよ。気配を消せるだけ消してね。赤髪が屋敷を出て行ったのも見送ったそうだ。そうしてレンブラントの遺体だけ運び出して、別の地で埋葬したそうだ。あの時のことは良く覚えていると、彼は言っていた」
シャンクスを抱きしめようとして、背後から斬られたレンブラント。彼は銃を使ったのがジェイドだったとも証言したらしい。
「じゃあ、シャンクスはどうして自分が剣で殺したと言ったんだ……」
「助けに来てくれたのにレンブラントは殺されてしまった。自分の腕の中で息を引き取った。自分がいなければレンブラントは死ななかった。――なんて罪の意識に苛まれているうちに記憶が摩り替っていったのかもしれない。この辺はまあ、医者の領分だろう」
知りたかったことはこれで全部かい。
問われ、ベンは頷いた。
「おかげで俺も色々思い出すことができた。礼はたっぷり弾ませてもらう」