I don't mind, If you forget me.

9

 シャンクスが目を覚ましたのは、昼前のことだ。
 少々ぼんやりしているのは腹が減っているからだろうと、用意していたシチューを食べさせた。しかし食事をとった後も、シャンクスはぼんやりしているようだった。
 一応ギーフォルディアが診察し、短い時間であれば質問しても大丈夫だろうと判断して、船医立会いの元で昨日のことを訊こうという運びになった。
 いきなり核心を突くような質問は避けたほうが良いだろうと、ベンは言葉を選ぶ。
「昨日、おまえと一緒に遊びに出かけた子供達が、おまえが眠ってる間に礼を言いに来たぞ」
 声は聞こえているのかいないのか。わからなかったが続ける。
「悪党から子供達を守ったんだってな。ケントが昨日は礼を言えなかったから、きちんと礼が言いたいって言ってたぞ」
「……そう」
 シャンクスの反応は鈍い。しかしベンはめげなかった。
「小さい子達は『怖いなんて言ってごめんなさい』だと。五人を相手に立ち回ったんだって?」
「…………って、ない」
「何?」
 ベンとギーフォルディアは身を乗り出した。シャンクスは緩く首を振る。
「……覚えて、ない。……違う、覚えてる……」
「シャンクス?」
 俯いたシャンクスは両手で顔を覆い、テーブルに肘をついた。
 様子がおかしい。
 ギーフォルディアに目配せし、シャンクスの両脇に椅子を移動させる。独り言のように続けている言葉を聞き逃すまいと、神経を耳に集中させた。
「どうすればいいのかなんて……オレには、わからなかった。でもフィリップもセーラムも泣いてて……オレが助けなきゃって思って……剣を抜いたら、頭で考えてたことなんか全部吹っ飛んじゃって……走り出した後は、どうすればいいか、わかってた。まるで刷り込まれてたみたいに……気が付いたら、あいつらが血を流して倒れてて……フィリップとセーラムは泣いてて……」
「自分がどうやって悪党どもを倒したのか、覚えてないのかい?」
「知って、る。オレは……オレは、それを見てたから……」
「見てた?」
 当事者であるシャンクスが見ていたとはどういうことか。訊きかけたベンを、ギーフォルディアが手で制する。
「あの時と、同じなんだ。全部、代わってくれて……あの時も……」
「あの時? いつの話だ?」
 言葉が止まった。かと思うと、ベンの言葉に怯えたとも思えないが体が急に震えだす。顔を覗き込むと、指の隙間から目が怯えたように見開かれているのが見えた。
 シャンクスの異変に気付き、ベンが手を外させようとしたが、船医は無言で止めた。
「あの時……あの時は……」
 声まで震え、指の先は白い。顔色は青白かった。貧血を起こそうとしているのか。あるいは泣くのではないかとも思えた。
「剣……剣を持ってたのは、オレ、だけ……違う、もう一人……銃は、他にも……」
「シャンクス?」
「レン……レンは、……違う、オレじゃない! オレはそんなこと、しない……!」
「シャンクス、しっかりしろ! 落ち着け!」
 ベンの声はシャンクスに届いていない。それどころか、この場を見ていない。顔からはがした掌を、恐ろしいものを見るように凝視している。
「ああ違う……でも、どうして剣が……血が……レン、レン……」
「シャンクス!」
 ベンと同時に、ギーフォルディアもシャンクスの肩を掴んだ。シャンクスの瞳は虚ろに見開かれたまま、ゆっくり室内を彷徨う。
「ここは……レンは、どこ? レン……?」
「シャンクス!」
 ベンは堪らずシャンクスの肩を掴んだまま自分のほうへ向けた。深海色の目と、徐々に焦点が合う。知らぬものを見るような怯えた表情。
「……誰、だ? 知らない……」
 苦しげに息を吐くと、シャンクスはかすかに頭を振った。
「違う、知ってる……おまえは、」
 ――ベン。
 ふっとシャンクスの体が弛緩した。椅子から倒れかかった体を慌てて支える。柄にもなく、確かにベンは狼狽した。
 最後にシャンクスが呼んだ名は、はっきり二人の耳へ届いた。
「ギィ!」
「落ち着け、ベンさん」
 シャンクスを抱えたベンを、ギーフォルディアは寝室へと誘導した。起きたばかりだというのに、再びベッドへ戻る羽目になるとは。しかしそのことを嘆いている暇はない。
 意識を手放したシャンクスを見下ろし、医師は脈を取った。腕時計を見ながら計る。
「……ちっと興奮状態だったな。お頭は……多分、自家中毒だ」
「ギィ。あんたは聞いたか」
「ああ、聞いたともさ」
 シャンクスが最後に呼んだのは、ベンの名。今のシャンクスが一度も呼んだことがない名。
 その事実をどう受け取ればいいのか。ベンは混乱していた。
「戻った、のか?」
「決め付けるのは性急だァな。が、戻りつつある。……んじゃねェか。さっきの様子を見てると」
 起きた時――いや、昨日帰ってきてからずっと、様子はおかしかった。
 医師は冷静に指摘する。
「話し振りから察するに、敵と対峙して剣を抜いたのが引き金だろうな。剣を抜いたら頭で考えてたことが吹っ飛んだって言ってたろ。ありゃあ頭より体が覚えてたってことだろうな」
「だがギィ、剣なら稽古の時に俺とだって使ってたぞ」
「ベンさんは敵じゃねェ。それにお頭だって、敵とやりあう時と稽古の時とは違ってたろ」
 ベンは医師の言葉を認め、頷いた。
 ギーフォルディアは完全に医者の顔で腕を組み、血の気が失せた白い寝顔を見下ろす。
「こいつは多分、記憶が混乱してるんだろ。初めてベンさんの名前をまともに言えてたし……色んな記憶を整頓するために、体が強制的に機能を遮断した。そんな所だろう。睡眠には、記憶を整理する役割もあるっていうし」
「記憶が、混乱」
「昨日の話してたのに、途中から話が摩り替っていただろう? 連鎖的に、どこか関連のある出来事まで脳が引っ張りあげちまったんだろう」
 それがシャンクスにとってどういう思い出なのかはわからない。あの反応を見れば、むしろ悪い過去だったのだろうと予想がつく。『レンブラント』が関わる、シャンクスにとっては思い出したくもない過去かもしれない。
(思い出したくない過去……)
「……?」
 ベンは頭の隅で何かが引っかかるのを感じた。レンブラント絡みの、悪い過去。それの何に自分が引っかかったのか。
 何だろう。
 自分はそれを知っている。ベックマンは確信していた。
 気にかかるのは、大切なことだからのはず。
 記憶はどこかに引っかかっていて、容易に出てきてくれそうもない。あともう少し、何かきっかけがあれば思い出せるのに――。
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