シャンクス、ベン、ギーフォルディアが隠遁している村から約二十キロメートルほど離れた港町に、赤髪海賊団の船は形を潜めていた。酒場では幹部が頭を付き合わせ、何事か密談している。お宝を奪う話か商戦を襲う話かと、善良な街人が見ればそんなことを思っただろうが、事実は大きく異なる。
「そろそろ町に散った連中が、海を恋しがる頃合かァ?」
「十日か。そうだなァ」
黄色いサングラスをかけたアディスンの言葉に、ヤソップが頷く。彼らにとってこの十日は、長くもあったし短くもあった。船医はともかく、トップ二人が海賊団から離れている事実を隠すために、さりげなくも様々な工作を施したのだ。その工作に二週間ほどかかり、さらに約一週間が過ぎていた。
「副船長は、とりあえず一ヶ月って言ってましたよね」
麦わら帽子を目深にかぶった男が、テーブルについている幹部を見回す。ヤソップが苦笑した。
「お頭を知らない連中は、そうやってリックが騙してくれるわけだから良いけどな」
ヤソップの隣でアディスンがテーブルに突っ伏した。肩が細かく震えているのは、笑っている証拠だ。アディスンの右隣に座る麦わら帽子に黒の外套をまとったリックがその後頭部を殴った。
リックの格好は勿論、シャンクスの姿を模したものである。麦わら帽子の下は、丁寧にも赤髪のかつらをつけている。左目の上の三本傷とともに、ルゥの傑作である。船内一手先の器用な男の技術は、こんな所にも生かされたわけだ。もっとも仲間内には通用しないが、これは仲間以外の連中に対するカモフラージュなので、一見『赤髪』らしく見えればそれで良いのだ。身長や体格が似ていたのが、リックの不運だったと言える。
彼らがまず行った工作のひとつが、リックをシャンクスに仕立て上げることだった。行動も外見も派手な男が突然姿を消せば、『赤髪海賊団』を知り敵意を持つ者たちには不審を抱かせる。あるいは『赤髪』を叩く好機と見るか。いずれにせよ、積極的に他船と刃を交える気にはならないので、連中の目をわずかの間だけ誤魔化せればよかったのだ。
「副船長の偽者も作っておくか?」
「そうだなぁ」
『赤髪』の影に長身の副船長ありとは、一部に知られた話だ。頭であるシャンクスの存在そのものが派手であるため見逃されがちなことではあるのだが。いずれ『赤髪海賊団』が四海に知られるような大きな海賊団に成長すれば、その首にかかる賞金額と共に嫌でも知られることになるだろう。
当座は必要ないが、用意するとすればタコという綽名の船員が適任か、などとひとしきり話をした後、本題に戻る。ヤソップが咳払いをした。
「それで、元気が有り余ってるおれたちのことなんだが」
「前に副船長と話したコースの、どれかを適当に選べばいいんじゃねェかな?」
「それをどれにするかってことでしょう」
リックの言葉に頷くと、ヤソップが懐から出した紙を広げる。几帳面な筆致は、ベンのものだ。併せて近海の海図も広げる。
「ティルって街の武器商人の羽振りが良い、か。自警団もそこそこのレベルみたいだな。主が武器商人なだけあって、連中の装備は充実しているらしい」
「北のほうの内陸が騒がしいらしいですもんね。武器商人にとっては稼ぎ時ってことなんでしょう」
「先月はどこだかの海賊団を自力で追っ払ったらしいし、ウチとやるには丁度いい元気の良さじゃないっすか」
「そうだな。ここらで新しい武器を仕入れるのも、悪くはねェな」
自警団の強さがどの程度かはわからないが、形を潜めていた間にも怠ってしまったかもしれない戦いの勘を取り戻し、戦闘力の底上げを計るには充分だろう。以前の戦闘で負傷した者たちも充分に快復しているはずだった。
「じゃあ、ティル近くまで移動して、交易ルートを割り出して、ってことにしますか」
「おう。あとはルゥに仕入れ状況を聞いて、それからでいいだろう。出港は明後日あたりかな」
「伝令飛ばしておきますよ」
予定が決定した所で、アディスンが「問題がひとつある」と言い出した。何だ、とヤソップとリックがアディスンに注目する。四つの目に見つめられたアディスンは、威厳を取り繕うようにもっともらしい咳をひとつすると、真面目な顔を作って二人を交互に見た。
「リックの喋り方! もっとお頭っぽくしてくれねェと……」
調子が狂う。
これには二人とも苦笑させられた。ヤソップとしては身代わりのリックにそこまで求めるのはどうかと思うが、確かに『赤髪』の姿をしていてリックのまま喋られるのは、違和感が強くある。
シャンクス本人ではない。しかし本人でなくとも、例え張りぼての『赤髪』であろうともそこまで求めたくなってしまうほどリックが似すぎてしまっており、かつ、あの船長の影が濃すぎるのかもしれない。
ヤソップは腕を組んで難しい顔をした。
「……アディスンの言うこともわかる。幹部だけの時までお頭になりきれとは言わねェが、皆の前、特に戦いが始まった時なんかは、お頭の真似したほうがいいかもしれねェ。って言っても、あの人みたいなべらぼうな戦い方しろ、って意味じゃあねェぜ? 今すぐとは言わねェし、完璧も求めねェ。実際、そうするのが正しいのかどうかは、わかんねェけどよ……」
もしかしたら張りぼてのシャンクスが本物のシャンクスに近付くことで皆が安心するかもしれないし、かえってひどい喪失感に悩まされるかもしれない。どう転ぶかはまだ誰にも知れないのだ。だからこそ、試す価値はある。
ヤソップの言葉にリックは頷いた。「やってみますよ」
「お頭が帰ってきたら、ボーナス請求しようかな」
呟くと、ヤソップとアディスンの笑いを誘った。
この時までは確かに、笑い話で済むことだったのだ。