Winter Waltz

3

 ぱっと見た時計は、21時を差していた。
 丁度、シャンクスがあがる時間。だが、切りの悪い所だった。まだ片付けが済んでいない。
 注文を厨房へ伝えた所で、どうしようかと逡巡していると、気付いた店長がシャンクスに声をかけた。
「シャンクス、今日はもう上がっていいぞ」
「ほんと?」
 ぱっと顔を輝かせたシャンクスに、レストランのオーナー・ゼフは苦笑した。
「ああ。用事があるんだろう、今日は。相手を待たせてるなら、さっさと行ってやれ」
「ありがとう、ゼフ! お疲れさまでした〜〜」
 上機嫌の笑顔全開で手を振り、皆に「お疲れ様でしたーお先に〜」と声をかけてからスタッフルームへと消える。
 レストランの制服から、学校の制服へと着替えなおし、逸る心を押さえながら大きな紙袋と学校の鞄を手に取った。紙袋の中身を思い出し、ひとり微笑む。
 これを見たら、彼はなんと言うだろう。
 意気揚揚と店を出た所で、空を見上げる。夜空には星がひとつも見えない。どんより重い雲が覆っていた。
 こんな日に、雨なんて降らなくてもいいだろうに。
「……濡れるかなあ……」
 自分が濡れるのはともかく、紙袋が濡れるのは避けたかった。
 結論として、とりあえず走ることにした。走って辿り着けない距離ではないだろう。
 しかし誤算が生じた。シャンクスの誤算は、レストランから彼の家までの距離を、正確に把握していないことだった。



 アルビダが生徒会室に押しかけてきてから二日が経過していた。それでもベンはシャンクスの姿をマトモに見ていなかった。
 校舎が違うせいもあるが、どうしても会いたければ会いに行けばいいのだ。わかっていても、どうしてもできなかった。
 面と向かって避けられたら、どうすればいいんだ?
 それがとても怖かったし、その時自分がどんな反応をするかわからなかったのも怖かった。
 けれどシャンクスに会えないことで精神状態の方は確実に追い詰められていて。ベンが発するピリピリした空気にクラスメイト達も気圧されて、今では少し遠巻きになっていた。もともとさして友達が多いほうではないから、その辺は気にしないでいるのだが。

 新年が明けてから一番冷え込んだその日、昼からの小雨は夜になって突然激しくなった。
 ベランダを越えて窓を叩き付ける雨音は、ヘタなCDを聞くよりまだ癒される気がする。もう少し音が小さければ、の話だが。
 シャワーを浴びた後の頭はタオルを乗せたまま放置して、ジャージの下だけ穿いて煙草に手を伸ばす。
 外はおそらく寒い。髪を乾かさずに出ればきっと風邪を引く。だがドライヤーを使って髪を乾かすのも、雨の降る中コンビにまで買い物に出かけるのも億劫だった。
 冷蔵庫の中を見て、何かを作るということも面倒だ。だが食わねば空腹は満たされない。もっと深い所の空腹は、食べ物では満たされないけれど。
 まあいい。一食や二食抜いたところで死ぬことはない。開き直って、火をつけたキツいタールの煙草を吸い込む。
 空腹で吸う煙草はやはり、まずい。思いながら煙の流れる先を見つめていると、チャイムが鳴った。時計を見れば22時を回っている。
 こんな時間には新聞や怪しげな通信教育・宗教の勧誘もくるまい。まして宅急便など来るわけがない(そもそも送られてくる先に心当たりがない)。
 こんな時間にどこのどいつだ、と覗き窓を覗きに行く。見知らぬ人間なら勿論、シカトを決め込むつもりだった。
「……?!」
 驚きのあまり目を見開くというのはこういうことかと、頭のどこかが冷静に思った。
 覗き窓から見えたのは、アパートの廊下の薄暗い明かりでもはっきりわかる赤い髪。ベンの友人知人の中で赤い髪をした人間はただひとり―――シャンクスだけ。
(なんで……?!)
 ドアの前で呆然としていると、現実に引き戻すようにもう一度チャイムが鳴った。今度は性急に、二回立て続けで。
 疑問は消えなかったが、答えを出すより先に手はドアチェーンを開けていた。
「いるならさっさと開けろよな」
 こっちは寒いんだっての、と文句を言うシャンクスは、頭やコートの裾からポタポタと水を滴らせていた。目に入るのだろう、前髪を邪魔そうに掻き揚げる。
「シャンクス……なんだってまたこんな時間に」
 目の前にいるのがまだ信じられないが、夕陽よりも紅い髪も少し照れくさそうにしている様子も相変わらずの図々しい物言いも、全部彼に間違いはない。
 ああそうだ、シャンクスは雨に打たれて濡れているんだと気付いて、すぐにタオルを出してやる。その手が少しだけ震えていた事には、幸い気付かれなかったらしい。
 サンキュ、と笑って受け取って、持っていた大きな紙袋とチャコールグレイのダッフルコートを簡単に拭い、ついでのように頭もごしごしと拭う。
 拭い終わったタオルをベンに返しながら、ぼさぼさになった頭を直して「それよりさあ」と言った。
「中入れろよ。こんな玄関先じゃ寒いだろ」
 そうしてベンが何か言うより先に靴としての機能をほとんどなくしたスニーカーを脱ぎ、このまま入ると部屋を水浸しにすると考えたのか、靴下も脱いだ。そして、
「なあ、風呂貸してくれよ」
「――なに?」
「風呂だよ風呂。このままじゃ風邪引いちまうだろ。タオルと、それからなんか着る物貸してくれよ」
 あとコートとか風呂場にかけとくからハンガーもねと言うだけ言って、勝手知ったるとばかりに玄関横のバスルームへと靴下などを持って入る。脱衣所のカーテンを閉めかけたところでひょっこり顔だけ出して、
「その袋もさあ、カバンと一緒に向こうの部屋持ってっといてくれよ。あと、オマエ晩飯なんか食った?」
「……いや……」
 ハンガーを2本渡しながら首を横に振ると、
「そ?んじゃ丁度よかった。オレもまだなんだよ。一緒に食おう?」
「それはいいが……」
 冷蔵庫は空だぞ、と現状を伝えると「だと思った!」と爆笑された。
「色々買ってきてるからさ、作ってやるよ。20分で出るからさ」
 イイ子で待ってろよ、とくすくす笑われながら、カーテンが閉ざされる。
「……マジかよ……」
 溜息混じりの声はカーテンの中には届かなかった。
 シャンクスは一体、どういうつもりなんだろう…。
 そんなことわかるか、と自分にツッコミを入れて、今度は気持ちを落ち着かせるために煙草に火をつけた。
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