桜花学院高等部の生徒会室は、高等部校舎群の真中、B棟の2階奥にある。
ちなみにA棟は普通科、B棟は商業・工業科、C棟は専門科の校舎になっている。専門科は美術芸術系の他、医科系大学に進みたい学生のための専門コースやIT関連のコースもある。
ちなみに桜花学院は幼稚園から大学部まである学園だ。とはいえ、エスカレータ式で容易に上に進めるものではない。
理事長兼学校長の意向により、在学受験者にも他学校からの受験者にも平等な受験制度が各部で行われている。
そんな高等部のモットーは「青春大いに謳歌すべし」だというからイカしてる。学外受験者が多いというのも頷けると言えよう。
手広い学科を設置した学校運営が上手くいっているのも、理事長が世界的にも高名な名医であることがひとつの要因だ。
「おう、副会長ーオツカレー」
ドレッドヘアの少年が、ノートパソコンから顔を上げて手をひらひらとさせる。
生徒会役員にはそれぞれ1台ずつパソコンが支給されている。ドレッド少年――ヤソップは桜花学院高等部のすべての部活動との折衝を担当しているから、その関係のメールをチェックしているようだ。
そういえば学年末試験が終わればスキー部・アイスホッケー部・サッカー部等の合宿があった。彼らの合宿先を探しているのかもしれない。
応接用のソファの脇を通って衝立の中へ回る。
「おつかれ。…ヤソップ。おまえ、HRサボっただろう」
生徒会副会長の少年の鋭い指摘を受けて、キーボードを操作する手が思わず止まる。
「さっきそこでガイモン先生に愚痴られたぞ」
「…今日ちょっと急ぎの用があるからよ…とっとと今日分の仕事終わらせて帰らなきゃなんねェんだよー。大目に見てくれよ、今日くらい」
「ったく…今日だけだからな」
「サンキュー!恩にきるぜ」
会話の間も画面から目線を変えず、ワープロ検定1級以上の速さで何事かを打ち込み「うっし、終わり!」と画面を落とすと、荷物を抱えてそそくさと生徒会室を出て行こうとする。その背中にベンがまた声をかけた。
「会長は?」
「あー……」
「シャンクスなら今日は来ないよ」
今日も、と言った方が正しいね、と言い淀んだヤソップの代わりの発言は、思いもよらぬ所から発せられた。
短いスカートから覗く曲線美を組んで優雅に会長席に座っているのは、黒髪の美少女だった。
「あの子なら用事があるって、サッサと帰ったってルゥが言ってたよ」
「そのルゥは?」
「ココに来たはいいけど、一職に呼び出されて慌てて出て行ったわよ。部活の顧問と話してくるってさ」
「…そうですか」
一職とは第一職員室のことで、要するに一年生担当の先生たちの職員室だ。
それはさておき、と生徒会長室の机をドン、と叩く。
「なんでアナタがそこに座ってるんですか、アルビダさん」
「野暮だねェ。会長の不在代理に決まってるだろ?さっきまで副会長もいなかったしね。アタシほど不在代理に適任な人間はいないと思うけど?」
「あなたは元会長であって、現在では生徒会の人間じゃないんですよ」
「固い事いいっこナシだよ、ベン。そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか」
「邪険にされても仕方ない事を散々やらかしてくださったのはどこのどなた様ですか」
「少なくともアタシじゃないねえ」
「……」
さすがシャンクスの実姉だ。この厚顔っぷりには頭が下がる。
それにしても、とベンは内心で溜息をついた。
それにしても、ここまで嫌われたか。
ベンの内心の憂鬱など気にも留めず、アルビダは机に右肘をついて顎を掌で支えてベンを見つめた。
「そんなことより。ベン。聞いたよ」
「……何をですか」
「アンタ、ウチのクラスの子、ヤリ捨てたんだって?」
「…………」
あまりにストレートな言い方に顔をしかめる。
「仮にも女の子がその言い方はどうかと思いますが」
「寝た後ソッコー捨てたんだって? って聞いた方がよかったかい? 言いたいことは変わらないからいいんだよ。問題はそこじゃないからね」
で?
じぃっと、猫のような目に見つめられる。
アルビダとシャンクスは姉弟とはいえ、顔立ちはあまり似ていない。似ているところがあるとすれば、この眼と視線の持つ力だとベンは思っている。
小さな頃からそうだ。この眼にじっと見つめられて「ベック、お願いだから」と言われると逆らえなかった。
深い溜息を短く吐いて、小さく頷く。
「たしかに一度寝ただけですけどね……それは向こうが『一度だけでいいから』って言ってきたからですよ。それに応えはしましたが、その後のことまでギャアギャアと言われる筋合いはないと思いますけどね」
疲れたようなベックマンの言葉に、アルビダは小さく頷いた。捨てられた女の方にも、何も問題が無いという訳ではない事は知っている。
「プライベートだから、深く突っ込もうとは思わないよ。でもアタシは昔からアンタやシャンクスに『女がサイテーでない限り、女を殴るのと泣かせる男はサイテーだから、アンタたちはそんなサイテーな男にだけはなるな』って言ってきた。ここまでアンタ達、それなりにイイ男に育ってきたと思ってた。
それなのにどうだい、最近のアンタときたら」
「…………」
棘のある視線で睨まれる。反論する言葉の用意はあったが、すればいっそう事は長引くだろう。自分のために口をつぐんだ。
「何考えてるのか知らないけど。なんか悩んでる事があるんなら、さっさと行動に移しちまいな。案ずるより生むが安し、だよ。アンタ自身とこの学校の評判を落とす事だけは赦さないからね」
じゃ、言いたいことは言ったから帰るよ、と最後に微笑んで、バッグを持って生徒会室から出て行った。
姉弟揃って、言いたいことを言うものだ。いっそ清々しさを感じるのは、恐らく言い方だろう。
取り残されたベンはじっと、生徒会長机を見つめる。
「案ずるより生むが安し、ね…」
それが出来てたら苦労はしないんですよアルビダさん。
呟いて、吐息した。
一人きりの家に帰ると、鞄を投げ出してベッドへ仰向けに転がった。よしなしごとが頭を巡る。
避けられているのはまず間違いがない。
この一週間、まともに顔を合わしたことがないからだ。
前生徒会長(つまりアルビダ)の指名を受けて(嫌々ながら)生徒会長選挙に候補としてあげられ、見事当選してしまったシャンクスは、生徒会の運営について、もともとやる気がなかった。
それでも生徒会室に毎日のように顔を出していたのは、職務を全うするというよりは遊びに来ていると言った方が近い。
幼馴染みだったベンやヤソップがいたせいもあるだろうが、なんだかんだ文句をいいながらも(そして時々バッくれながらも)自分がやらねばならない最低限の仕事だけはやっていたのだ。
生徒会がそんなに忙しいのかよとツッコミを入れられる方もいるであろう。が、この学園の行事はすべて生徒会による運営で、生徒参加の行事は毎月ひとつは必ずあるのだった。
「どーせなら楽しいほうがいい」というシャンクスの意見は、こういう時にばかりまかり通る。
そして幸か不幸か、生徒会役員はそろってお祭り好き連中なのだった。
会えば会ったで、彼に対する気持ちからストレスがたまるのは間違いないのだが、会えなければ会えないで気になる。まして、避けられているのではないかという疑惑が心中で渦巻いている今とあっては。
いい加減考えるのも疲れるのだが、一人暮らしは何かと時間が空くので考えたくなくとも気付けば考えている。
学校からひとりの家に戻って、さてあとどれくらい自分を騙し通せるものだろうと溜息をつきながら、未成年の分際で咥えた煙草に火をつけた。