rainy days

mistyrose

 アパートの傍まで帰ってきた時、自分の部屋に明かりが点いているのに気付いた。
 盗られて困るようなものはないから泥棒だろうと気にしないが、こんな時間にやってくる友人には、数名心当たりがあった。おおかたそのうちの誰かだろうと予想しながらアパートの壊れそうな階段を上っていく。
 玄関を開けると、心当たりの一人が良く吸っている煙草の匂いが、廊下へと流れてきた。慣れはしたが、やはり得手ではない香りに顔を顰めつつ、靴を脱いで部屋へ上がる。
「よう」
 軽い調子で片手を上げたのはサンジだった。コタツの上に載っているビニル袋は、彼が持ってきたものだろうか。少なくともゾロがバイトに行くまではなかったものだ。「ただいま」と返しながら、サンジと同じようにコタツへもぐる。冷えた体が溶けていくように、温かさが染みてくる。
「何か持ってきたのか」
「サンジ様特製の煮物とヒジキだ」
「豆は?」
「ヒジキだろ? 勿論入れといた。シーチキンもな」
 おまえ好きだもんな、と言われるのにまあなと返しながらビニル袋を早速漁る。ふたつとも、かなり大きなタッパーに目一杯入れられているようだった。
「悪ィな。給料前だから助かる」
「だろうと思った」
 肩を竦めるサンジはいつものサンジに見えた。調子が戻ったのかと思いながら煮物をつまむ。程よい薄味に、思わず笑みが漏れた。
「うめェ」
「……ったり前だ。誰が作ったと思ってやがる」
「ありがとうよ」
 煮物とヒジキをつまむ間、サンジは無言でいた。珍しいことではない。以前疑問に思った時に訊いたところ「美味そうに食ってるとこ見てんの好きなんだ」と返され、そのまま鵜呑みにしている。一流の料理人を目指しているのなら、そんなものかもしれないと納得したからだ。
 だがこの沈黙は、いつものそんな暖かさすら感じる類のものではなく、突付いたら壊れてしまいそうな緊張感を孕んでいる。他にも違和感はあったが、上手く言い表すことができなかった。
「なんかあったか?」
 つまむ手を止め、ティッシュで拭う。サンジは飛び上がらんばかりに驚いた様子でゾロを見たが、すぐに取り繕って平素の軽い笑みを寄越す。
「や、別に……あ、あのさ。ひとつだけ訊いてもいいかな」
「あ? なんだ?」
「あの、さ……」
 サンジが息を呑む音まで聞こえてきそうだ。俯いた顔を上げたサンジは、笑顔を作ろうとして失敗した表情をしていた。
「おまえさ、シャンクスと知り合いだって? 驚いたよ。あのオッサンとなんかあったのか?」
「――――は?」
 ゾロの表情は瞬間、固まった。
 この男は今、誰の名を口にした?
「シャンクス……?」
「お、おう。知ってんだろ? 赤髪で、目のとこに三本傷があるオッサン。物騒な雰囲気がする……」
「なんでおまえがそんなこと知ってんだ」
「大学の近くにクソジジイが経営してるレストランがあるだろ。あのオッサン、昔からの常連なんだよ。ほら俺、ガキの頃から働いてっからさ……嫌だけど知り合いなんだ」
 そう――そうだった。考えてみれば、あの男はサンジと知り合いだということを隠してはいなかった。本店の常連だと、自分で言っていたではないか。
 いや、今の問題はそこではない。サンジは自分になんと問うたのか。
 何かあったか、だと? 大いにあったに決まっている。だがそれは――たとえ仲が良かろうと友人だろうと、他人に広言できることではない。
「ゾ、ゾロ……? どうかしたのかよ?」
 訝る表情が自分を覗き込んでいるのに気付き、慌てて「何でもねェよ、何もねェ」と否定した。言えるわけがないのだ。動揺を隠すのに、口元へ手を当てた。
 できれば、思い出したくない。あんなことは。
「何もなくて、そんな顔しねェだろ。何かあったのか? それともあのオッサンに」
 何かされたのか、という言葉は最後まで聞かなかった。思い出さないようにしているのに、どうしてこの男は治りかけた傷を抉るようなことをしてくるのだ!
「うるせェ! てめえには関係ねェっつってんだ!」
「な……」
 呆気にとられた表情に、さすがに言い過ぎたかと後悔した次には、サンジが爆発していた。
「か――関係ねェとか言うな! 関係なら大いにアリなんだよ! この唐変木!」
「なんだと?!」
「うるせえ! おまえがあのクソオヤジと何があったか、気にして当り前だろ! なんだよ、言えねェようなことでもあったのかよ!!」
「な――なんでそんなこと気にすんだ! 放っとけ! おまえに関係ねェだろ?!」
「関係なら大アリだって言ってんだろ!」
「なんでだよ! おれのことなんざ関係ねェじゃねェか!」
「馬鹿野郎! 俺はてめえを好きなんだぞ! だから赤髪のオッサンと何があったのか気にしたって、妬いたって、当然だろ!」
「…………はあ?!」
 今おまえ何言った?
 ゾロが問うより先に、サンジは部屋を飛び出していた。咄嗟に後を追うこともできず、ゾロは呆然とその場に取り残された。
 回らない頭が、ゆっくりとサンジの台詞を繰り返す。
 好き? あいつが、誰を?――俺を?
 コタツの天板に頭をぶつけ、うめきながら溜息を吐く。なんでこんなことになってんだと恨みがましく呟いても、答えが返ってくるはずもなかった。
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