rainy days

darkblue

 ろくでもないことというのは続くものだ。
 その日サンジは授業が終わってすぐにバイトをしているレストランへ向かった。レストランのオーナー・ゼフに引き取られて以来、元々は厨房に入る料理人なのだが、たまにホールの手が足りなくなることがあり、愛想笑いと客あしらいに長けているという理由で最近はホールも兼任していることが多い。
 ホールの手が足りなくなる理由は様々だが、その日は長く勤めているホール責任者が急病で休んでおり、給料日後でもあったため、狭い店は混雑していた。
 魚をさばくのも給仕も苦痛ではない。ゼフは厳しいが、職人気質の人間が多いこの業界では、取り立てて偏狭というわけでもない。気に入らない客を追い出すこともあるが、その場合はたいてい、周囲にいた人間にも納得できるような理由だった。
 料理の腕は超一流。店で働く料理人たちを誉めることは稀。それでも店の料理人たちは気難しい料理長を慕い、競うように己の腕に磨きをかけるので、下手な有名店などよりよほどしっかりしている。
 公私混同すらしないオーナー兼料理長の元、若輩のサンジが厨房で任される料理があるのも、ひとえに彼自身の実力だ。あの頑固ジジイをどうやって唸らせようと全力で料理に取り組み、腕を上げている。料理長の料理への姿勢同様、店に私情を持ち込むことはない。その真摯な姿を、周囲の同僚も良く知っていた。
 そんなサンジが周囲にペースを乱されることはほとんどないが、やはり例外は幾つか存在していた。夕食にしてはやや遅い時間に、その客が店を訪れた。
「相変わらず繁盛してるみてェだな」
 澄まし顔で席に着くのは、鮮やかな赤い髪、左目の上下に三本傷を走らせた隻腕の男。サンジが会いたくない人物リストのトップに名をつけている、シャンクスだった。
 いけすかない相手だろうと、客は客である。サンジは慇懃に「おかげさまで」と無表情に一礼した。赤髪の連れが美女だったなら愛想笑いのひとつも浮かべて見せただろうが、生憎こちらも知った顔の男だったので、気遣いは無用だった。
 それは果たして二人分の注文なのかと思うほどの料理の注文を受けると、他の席の客の要望にも応じつつ、オーダーを厨房へ通す。時間としては混雑が落ち着いてきた頃合だ。周りの者に一声かけるとサンジは厨房から裏口へと出、ポケットへ入れていた煙草を取り出し、銜えた。
 暇があれば考えてしまうのは、ここ最近ずっとゾロのことだ。
 今、ゾロは何をしているのだろう。この時間はおそらくバイトか。無愛想なのに接客業などよくつとまるものだとからかったら怒ったこともあったが、まさか客へ嫉妬していたのだと正直に打ち明けるわけにもいかない。
 嫉妬。――そう、嫉妬だ。
 あの夜、サンジは自分が明確に嫉妬したのだとわかっている。ゾロと、ゾロが寝言で呼んだ人物に。
 ゾロが誰の名を呼んでも、嫉妬はしたと思う。ナミやウソップ、ルフィやビビ、チョッパーでも同じことだ。だが――
 
 ――どうしてあそこでクソオヤジの名前が出てくるんだ。
 
 以前の、シャンクスの思わせぶりな態度との相乗効果で疑心暗鬼に拍車がかかる。
 わかっている。ゾロは自分からどうこう動く男ではない。以前ナミからちらりと聞いた女関係も、全て女からの押しに負けていたから、だったではないか。だからゾロに何かあったとすればあの赤髪がゾロに何かをしたに決まっている。ゾロに非はない、と思いたい。
 それでもどうしようもなく嫉妬してしまう自分は、心が狭すぎるのだろう。だが――赤髪がゾロの心に何か残しているのだとしたら、それに嫉妬しないわけがあるだろうか。
 
 ゾロ。俺はおまえの心にはいないのか?
 
 苛々とした煩悶が、すぐに溶けるはずがない。この煩悶をどうにかできるのはゾロだけだが、それを恐れているのはサンジだ。
「……そろそろ限界かな……」
「何が?」
 完全な独り言を拾われるとは思わず、いやそれ以前に人がいるとは思わず、慌てて振り返る。裏口から顔を覗かせているのは、見たくもないと思っていた赤髪だった。
「……飯なら席で待ってろ」
「オーナーには、ちょっとおまえを借りるって断りいれといたから安心しろよ」
「誰も聞いてねェよ」
「でないとおまえ、厨房に逃げるだろう?」
「…………」
 見透かされているのに内心で舌打ちすると、赤髪は小さく笑った。
「しっかり掴まえとけよ」
「ああ?」
「ゾロってやつ。でなけりゃ……オレが貰っていくぞ」
 その名が出た途端、サンジは剣呑を隠さなかった。
「……どういう意味だ?」
 問う声は獰猛さを抑えきれていないが、赤髪は歯牙にもかけないと言わんばかりに口の端を持ち上げる。
「どうって……言葉通りの意味さ。オレは気に入ったものは手に入れる主義だって、おまえ知ってるだろう?」
「誰がてめェなんかにくれてやるかよ!」
 睨みつけると、赤髪は笑ったまま小さく肩を竦めて店の中へと姿を消した。閉まったドアをそれでも凝視していたが、湧いた激昂はまだ収まりそうもない。
 ――あの男が、ゾロを。
 許せない。それだけは許せそうもない。
 ゾロは友人でどうしようもない男手自分のことを顧みず無鉄砲で手のかかる男だが、それでも赤髪にくれてやろうとは思わない。もとより自分のものでないことは承知している。気持ちを伝えられるだけの気概もない。それでもあの男に奪われてよいということはない。
 ゾロは――ゾロは。
 赤髪についていく気があるのだろうか。だから赤髪はあんなに余裕だったのか。それだけは嫌だ。どこにも行ってほしくないし、離れて欲しくない。――傍にいて、ほしい。
「……ゾロ……」
 呟きはどこにも届かず、足元に落ちて消えた。
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