rainy days

heavy blue

 痛む頭をさすりながら起きると、思い出したくもない記憶が蘇る。
 あの日も確か、こんな風に玄関先で言われたのだ。「入れよ」と。

 到着五分前に降り出した雨は、ドアを閉ざせば嘘のように聞こえなくなる。
 マンションの外観を裏切ることなく、玄関も広い。きちんと揃えられたサンダルと、履き古された革靴。
 赤髪は靴を脱いだまま、揃えもせずに上がってゾロを手招く。揃えられた黒い靴の脇に転がる赤髪のローファーと見比べ、なんとも言えぬ違和感を覚えさせられた。
「早く入れよ。風邪引くぞ」
 洗面所らしき場所へ姿を消したシャンクスを見送りながら、ゾロはのろのろと足を動かしてしとどに濡れたスニーカーを脱いだ。己のぼろぼろのスニーカーと、磨かれた革靴を見比べ、知らず溜息が出る。
 このマンションにしてもそうだが、世の中には金に苦労しない人間がいるものだ。羨ましいというより、素直に感心してしまう。もっとも、金以外の所で苦労しているのかもしれないが、そこはゾロのあずかり知らぬところだ。
 足に張り付く靴下も不快なので、それも脱いだ。脱がねば不愉快どころかフローリングまでも濡らして歩き回る結果になるのがわかっていたからだ。脱いだ靴下を靴の中に突っ込むと、赤髪の後を追うように洗面所と思しき場所を覗き込んだ。
「おう、お前からシャワー浴びろ。服とか貸してやるから」
「あんたが、」
「客に風邪引かせるわけにはいかねェだろ。タオルはそこ、シャツはその棚に入ってるやつを好きに着な」
 一方的に言い切ると、さっさと出て行ってしまった。
 どうも、あのテンポには調子を狂わされる。
 そもそも、何故うかうかとここまでついて来てしまったのか。
「……くそっ」
 すっかり濡れたフリースを脱ぐ。下に着ていたシャツまで濡れてはいなかったが、湿気を含んで不快だった。ジーンズも脱ぐと、使えと言わんばかりに置かれていたハンガーにかけ、適当に置いた。
 擦りガラスの向こうにあったバスルームも、やはり広い。ユニットの狭い風呂慣れた身としては、湯船も無駄に広く思える。
 ひんやりしたタイルの感触に思わず体が震え、急いでシャワーコックを捻る。降り出した雨のように水が降り注ぐ。水が温まるのを待ってから、その下に入った。溜息が湯に打たれ、排水口へ流されていく。
 勢いの良いシャワーは、激しく降り出した雨に似ていた。
 雨は、あの後降り出したのだ。レストランを出て、強盗のような手口で口付けを奪われた後。
 多分からかわれたのだ。あんな風に人をからかう相手は他にも知っているが、それより数段性質が悪いと思う。
 それでもうかうかとここまでついてきてしまったのは、あの男がこちらのペースを乱させ、つけこむ隙を見せないからだ。
 大きな溜息をつく。不意に、外から「おーい」と暢気な声がかけられ、応答する前に開けられた。
「何やってんだ?」
 あんまり出てこねェから溺れたかと思ったぞと笑う顔を斜めに睨む。バスルームに立ち上っていた湯気が一気に晴れていく。
「……普通にシャワー浴びてるだけだ。あんた、ちょっとせっかちなんじゃねぇのか」
 尖った視線を受け、赤髪は薄く唇を歪ませた。服を着たまま入ってくる。と、シャワーからバスへ栓を切り替えた。


「……警戒されると、かえってちょっかい出したくなるねえ」
 声以上に、目が鋭い。
 ゾロが怯んだ隙に、ゾロの顎を掴み、上向かせると乱暴に口付けた。体を壁に押し付けられる。何を、と言いかけた口に舌が侵入する。
 一瞬の混乱の後、激しく抵抗するが赤髪は揺るがない。
 片腕相手に、なんという無様!
「ん、ンン……ッ」
 赤髪の舌は、巧みにゾロの口内を蹂躙した。ゾロは上手く息がつげず、軽く呼吸困難に陥る。
 引き剥がそうと掴んでいた赤髪のシャツを、握り締めるだけに変わった時、ようやく解放された。
「迂闊だねえ、お前」
 喉の奥で嗤うのが気に入らない。しかし睨んでやろうにも、気迫が込められない。
 赤髪の手が、腰のあたりから脇や胸を撫でる。
 力づくで押さえ込まれているのではない。まして縛られているわけでもない。
 逃げるのは容易いはずなのに、なぜできないのか。
「離せ! くすぐってえんだよ……!」
「もう少し可愛くお願いできたら、考えてやるよ」
 舌が外耳や内耳を這う。くすぐったさに身を捩るが、逃げられない。
 胸の辺りを撫でていた手が、意図を含んで腹筋に触れる。浮いた筋を確かめるようになぞられ、首筋を舐められ、皮膚が粟立つ。
 体を捩っても、タイルと湯船に邪魔される。
「……ほんとに迂闊だよ、お前」
 背中越しに響く声は、笑いを含んでいても呆れていた。自分でもそう思う。逃げるつもりが、敵に背中をとられてどうするのだ。
「……ッ!」
 赤髪の手は、今度こそ下肢に伸びた。無防備なゾロのそこを掴むと、擦って弄ぶ。
 歯を噛み締め、刺激に反応するのを堪えた。
 赤髪はゾロの耳を食み、身体を撫でる。
 背に赤髪の濡れたシャツがあたる。貼りつくような感触は不快だったが、それより手の動きに気を取られる。
「声出したって構わねェんだぜ」
「ッ、誰が……!」
「いいねェ、そういう強気」
 頑張って堪えろよと揶揄が癪にさわる。
「せいぜい……」
 振り返り睨むが、赤髪は余裕で微笑んでいる。気に食わない。だが思考も何もかも、赤髪に散らされてしまう。
 タイルに爪を立てても滑るだけで救いにならない。
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