冬の午後のうららかな道を、溜め息をついてゾロは歩いていた。自宅のアパートメントから、もう二度と会うまいと思っていた男の住むマンションへ。
ゾロは一度固めた決心を容易く覆すような男ではない。にも関わらず決心を違えねばならなかった理由は、家の鍵だ。まったく間抜けな話だが、一週間前――あの男のマンションへ連れて行かれた時に、どうも落としたらしい。食事をしたレストランには既に問い合わせたが、それらしき落し物はなかったと言われたから、道端で落としたのでない限り、あの男の部屋にあるに違いない。
あるいは――ゾロは暗澹とした気持ちで思う。あるいは、わざとあの男が鍵を抜いたのかもしれない。少なくともシャワーを浴びた時には裸だったのだから、鍵だけを取り出す隙はあっただろう。
気配で気付けというのも無理な話だ。あの男に限って言えば、の話だが。あそこまで完全に気配を殺せる人間に出会ったことなど、今まで無かった。
最悪だ。思い出したくも無いのに、この道を辿れば――あのマンションへ行けば、嫌でも思い出す。
溜め息をついて歩く足を止め、空を見上げれば――なんて心にそぐわぬ快晴。
青空さえ忌々しいと心の中で毒づいて、足取り重く、道を行く。
目指す赤髪のマンションは、五メートル先の角を曲がった先にあった。
だが部屋のドアを目の前にして、ゾロは躊躇していた。あと、ほんの少しだけの勇気。
チャイムを押す勇気が、いまいち出ない。押そうと思って手を動かしたくても、あの夜を思えば自然と強張り、あえないものにする。
数度目の溜息を履き古したスニーカーの上に落とした時、不意に目の前に星が飛んだ。衝撃を受けた頭を抱え込む。
「……何やってんの、お前」
聞き覚えのある、呆れた声が降って来る。細く開いたドアの影から、朱い髪の男が顔を覗かせていた。表情は、笑っている。
ゾロは本気で、焦った。
気持ちがまだ、準備できていない。不意討ちもいい所だ。
蹲ったまま呆けたように赤髪を見上げた。見てはならないと思ったが、それより先に赤髪の目がゾロを捕える。
「……入れよ。何か用があって来たんだろ?」
笑う顔は、否を許さなかった。