人間というものは不可思議だ。
何故、たかだか2日飯を食わないというだけで腹が減るのだろう。
3日前はたらふく食べて満足したというのに。今は歩くのが困難なほど腹が減っている。
これは不条理ではないか。
人体のメカニズムに不平を洩らしたところで、腹が減っているものはどうしようもない。溜息を掌に吐いて、擦り合わせた。
そうして小さな公園にベンチを見つけたところで、歩くのも諦めた。痛みを訴えるほど減った胃を撫でさすってやりながら、ようよう粗末なベンチに腰掛ける。そうしてまた、白い溜息を吐いた。
どうしよう。
――動けない。
腹が減りすぎて身動きが取れないというのはきっと、馬鹿な話だ。このことをサンジが聞いたら呆れながらも悪態をつくだろうし、ナミが聞いたら思い切りコケにするに違いない。ルフィやウソップが聞いたら、笑うだろうか。どのみち同情はされないだろうという結果に、ゾロはがくりとうなだれた。
幸いというべきか不幸というべきか、今日と土日はバイトが休みで動かなくてもいいのだが、こちらは不幸な事に、給料日は10日後だった。
財布の残金は3桁。四捨五入すれば確実にゼロになる。ついでにいえば、銀行の預金残高も似たような有様だ。一体どんな暮らしをすればそんなことになるのか、自分自身の行動が謎だった。
あまりの情けなさに目眩がしそうだが、嘆いたところで現状は変わらない。買い置きの食糧もタイミングを見計らったように尽きてしまったのだから、なんとかして飢えぬようにしなければならない。が、空腹での思考ではまともな考えは浮かばず、結果としてドツボに嵌る。
幾度目かわからぬ溜息をついたとき、間近で誰かが誰かに声をかけたような気がした。ボーっとしていたのでよくわからないが、「よぉ」とか、「おい」とか、そんな感じだったと思う。
ゾロは、まさかその言葉が自分にかけられているとは露ほども思わなかったから、脚の上についた手で額を支えて俯いたままでいた。ややあって、地面と自分の足しか映していない視界に飛び込んできたのは、朱。
「おいって。気分でも悪ィのか?」
「…?!」
身を引きながら顔を上げると、しゃがみこんだ男と目が合った。
目も覚めるような――緋い髪の。
ゾロが顔を上げると、男は笑った。笑うと、目が合った時より少し若く見えた。
「おう、生きてたか。おまえ、さっきからずっと下向いてたけど、気分でも悪ィのか?」
「あ…いや…」
否定しようとしたが、理由を言うのは恥かしいと思った。言い淀んで数瞬押し黙ると、沈黙に耐え切れなくなったのはゾロの胃袋だった。苛められた小動物の鳴き声のような音を発して、理由を赤い髪の男に伝える。
一瞬の間の後、赤髪は腹を抱えて爆笑した。
「なんだよ、腹減ってんのか!それならなんか食えばいいじゃねェかよ」
「いや…その…」
腹の虫の音まで聞かれては、文無しだという事を喋るくらいはなんでもないことだ。正直に現状を言うと、更に赤髪は笑ってゾロの肩を叩いた。
「あー…悪い、ひっさしぶりに爆笑した。悪い悪い」
ちっとも悪びれていない様子でそう言って、小さく掛け声をかけて立ち上がった。その身長は、思ったよりも高い。
「なァおまえ、少しだけ歩く気力は残ってるか?近くに美味いレストランの支店が出来て、今からそこへ行こうと思ってたトコだったんだけどさ。歩けるなら来な。奢ってやるよ」
「え…でも…」
見ず知らずの人間なのに。
躊躇すると、赤髪は悪戯小僧のように笑った。
「オレはおまえを知ってる。あっちの、アパートに住んでるだろ?で、多分毎朝ジョギングしたりしてる」
「…そう、だけど…」
「警戒するなよ。オレは単に、おまえのジョギングコースにあるマンションに住んでて、たまーに朝早く起きたり朝まで起きてたりした時に上から見かけたってだけの話だからな」
種を明かせば単純な話だろ?
肩をすくめる男を信用しようと思ったのは、胃袋が限界を訴えたからではない。決して。