Run away from the night

6

 本船から離れる事二日、オーカに到着してから買い出し部隊とは別行動をとったヴィルツは、街で唯一というペットショップの前に立っていた。手には副船長から預かった封筒をしっかり握り締めて。
(――ここが…)
 軍や世界政府の諜報部でも掴めなかった情報を入手する事ができる、情報屋。
 とてもそんな風には見えない。
 通りから見えるゲージに入れられたカラフルなオウムや、愛くるしい兎、見たこともない猿が並ぶところからは想像も出来ない。しかし尊敬する副船長が言うのだから、間違いないはずだ。
 疑心とはやる気持ちを深い呼吸で落ち着けて、意を決して横開きのドアを開け、店内へと入る。独特の動物臭はあまりなく、代わりに何故か少し甘い花の香りがした。
 店構えの割に奥行きはあるらしく、ケージの中にいる小動物たちは広々とした空間の中、眠ったり仲間とじゃれたり興味なさそうにこちらを見ていたりする。なかには今までに見たこともないような形・毛色の生き物もおり、しばし目を奪われた。
「イラッシャイマセ」
 バササッと羽音がしたかと思うと、ヴィルツの目の高さほどのゲージの上に体は綺麗なモスグリーンで、羽根先にかけては鮮やかな紅というより色とりどりの鳥――おそらくオウムの一種――が停まって、ヴィルツを羽根先と同じ紅の目で見つめた。
「イラッシャイマセ。ナニカオキニメシマシタカ」
 しゃがれた声で流暢に喋るこのオウムが店主ということはあるまい。だが他に店員がいる様子もなく、ヴィルツは仕方なさもあって、試しにオウムに聞いてみる事にした。
「えっと……おれは、ペットを買いに来たわけじゃあなくて、この店の店長に会いに来たんだけど」
 鳥相手に喋るのは変かと頭を掠めたが、存外に話が通じるらしい。
「ドンナゴヨウケンデスカ」
 と返された。
 気持ちが急いているので、そのままオウム相手に用件を伝える。
「手紙を渡してくれって、言いつかってるんだけど……あ、店主本人に」
 オウムって喋るとは言うけれど会話できたっけ? という疑問はこの際しまっておき、手にした封筒をオウムに見せながらやや早口でまくし立てる。
「ほら、コレなんだ。すっごくすっごくすっごく大切な手紙なんだよ。すぐ店長に取り次いでもらえないか? 一刻を争うんだ」
「ドナタカラノオテガミデスカ」
「ウチの副船長……ええと、ベン・ベックマンっていう人なんだけど……」
「ショウショウ、オマチクダサイマセ」
 そういうとオウムはまたバサバサと羽ばたいて、店の奥へと姿を消した。
 ヴィルツは落ち着かずに、店内を見回しながらオウムが飛んでいった方へと足を進めた。五歩ほど行った所で先ほどのオウムが奥から「オマタセシマシタ、オマタセシマシタ」と騒ぎながら現れた。今度は飛んできたのではなく、全身黒ずくめの小男の肩に停まっていた。
 短く清潔にカットされた髪はおろか、タートルネックの長袖の綿シャツ、穿き古されたジーンズ、紐の革靴、サングラスまで黒い。色のせいか随分シャープな印象を与える男だが、着ている服がもっと中性的なものであったならば、女と間違えられそうに華奢な体つきをしているように見えた。背が低いせいもあるかもしれない。
 男は口許だけはにこやかにヴィルツの前まで来ると、
「いらっしゃいませ。私が店長のロイです。なんでも私宛に手紙を持っていらっしゃったとか?」
 高くも低くもない、けれど物柔らかな口調に、緊張をわずかに緩める。
「おれは、使いのヴィルツっていいます。ウチの船の副船長が、これをこちらの店主に渡すようにと……」
 握ったままの封筒はわずかによれていた。手にかいた汗を、紙が吸ったせいだろう。
 封筒を受け取ると、ロイと名乗った店主はその場で「失礼」と断って封を開け、したためられていた便箋に目を通した。ひととおり目を通すと、ロイは表情も変えずにふむ、と小さく頷いた。
「成る程。確かにあの男が書いた手紙ですね。ご用件はわかりました」
「お願いしますッ、どうか、どうかお願いしますッ」
 目の前で土下座しそうな勢いのヴィルツを「まあまあ」と宥めて、肩を叩く。
「大丈夫、お受けしますから。何しろベックマンの頼みですからねぇ。断れませんよ」
「本当ですかっ!」
 縋るようなヴィルツの視線にも、店主は優しげな笑みの形を崩さない。
「男に二言はありませんよ。ただ、収集と分析にはそれなりに時間がかかりますからねぇ……そう、余裕を持って二週間。あなた方が二週間という時間が惜しいのは承知の上。ですが、二週間後には必ず、満足いく報告を持ってそちらへお邪魔する事になるでしょう、と伝えておいてください」
 断言された言葉に、ヴィルツは神にするように硬く両手を組んだ。
 響いた銃声。大波に傾いだ船。風で飛んだ麦わら帽子。闇を裂いた雷霆。悪夢を見るようにゆっくりと海へ落ちていくシャンクス。網膜に焼き付いて離れないあの光景。
 おまえのせいじゃないと慰められるのが辛かった。あいつのせいだと陰で言われるのは傷付いたが、その通りだと思った。頭が行方不明なのは、不出来で不甲斐ない自分などを身を呈して助けてくれたからだ。だからこそ人一倍働かねばならない。どんな扱いを受けようとも甘受する。
 副船長であるベンは、ヴィルツのそんな苦悩のすべてを知っていたわけではないだろう。ヴィルツにしてみれば、副船長を初めとする幹部たちにこそ、どんな扱いをされても構わぬと考えていた。それなのに副船長から与えられたのは責め苦ではなく許しである。
 温情は生涯忘れられるものではない。ヴィルツは胸に刻んでいた。
「必ず……必ず、伝えます! よろしくお願いしますッ!! 皆……、待ってるんです……!」
 何度も何度も頭を下げて店から出て行くヴィルツを見送ると、ロイ店主は店の奥へと引き返しながら、また手紙を開いた。
「……冷静を装っても、文字にはちゃァんと気持ちの乱れが出てるものだよ、ベックマン……」
 君が取り乱すとこなんてあんまり想像できないけどねえ…あの一件以外では。
 口の中で呟いて、肩に停まったままのオウムの喉を人差し指の腹で撫でると小さく嗤った。
 暫くは退屈しないで済みそうだ。
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