Run away from the night

2

 事態の収拾がはかれたのは日暮れの時刻、戦場から幾分離れた島の入り江に投錨して暫くした後の事だった。
 海軍の軍艦を――一隻とはいえ――たかが海賊の一団が完全に叩き潰したのだから勝利なのは間違いなかったが、勝利に酔うものは一人としていなかった。甲板に集まったそれぞれの顔を見ただけで判断するなら、惨敗したのかと思われても仕方ないだろう。どいつもこいつも、葬儀の時などよりもよほど悲壮で切羽詰った顔をしている。
 大の男たちが揃って泣き出しそうな空気を破ったのは、この海賊船の副船長を務める長身の男だった。強い風に首許で結わえている緩いウェーブのかかった黒髪と、咥えた煙草の煙が飛ばされる。表情まで風に飛ばされてしまったかのように無表情で、どんな感情も窺い知る事ができなかった。行き過ぎた無表情は強い感情を押し殺しているのだと、他の幹部は察していたが。
「A班・B班は船の破損個所のチェックと被害状況をまとめてルゥに報告。その後はルゥの指示に従い、船内の補修を中心に作業してくれ。C班はこのままドクトルに付いて怪我人の治療を担当。なくなりそうな備品や薬は書き出してリストにしておいてくれ。
 ヤソップ、アディスン、リックは測量室に。残りの者は体を温めた後に飯を食って、明日のために休んでくれ」
 解散、という声と、誰かが「副船長」という声が重なった。何だ、と短く応じて、視線を声が投げられた方へ向ける。
 俯く船員達の中、二十歳そこそこの若い船員がまっすぐにベンを見ていた。若いと言っても船長からして若いので、船員達もおしなべて平均年齢は若かった。この青年も船の平均年齢を下げている口だ。
「……お……お頭は……お頭を、探すべきなんじゃないですか」
 声が震えているのは、嵐で体温を奪われている所為だけではあるまい。
 たしか、とヤソップはベンの傍らで思い出しながら腕を組んだ。そう、たしかこの若いのは数年前、どこだかの港でベンの人柄と腕っ節に惚れたとかなんとかいう理由で仲間になったのだ。日頃から彼のベンへの傾倒っぷりは他の船員からからかわれるほどで、けれど彼の船員としての成長は目を見張るものがあった。それが副船長への憧憬からくる懸命さであれば、賞賛に値する。
 名は確かヴィルツ。短くて良い名前だと、シャンクスが誉めていた。
 そうでなくとも目上の人間に意見する時は大概緊張するものだとヤソップは昔を思い出す。ヴィルツが震えていたのはそればかりが理由ではないのだが、この時点ではヴィルツ以外の人間はその理由を知らない。
 ベンは船員全体を見渡した。彼の発言のためかどうかは知らないが、あちらこちらでボソボソと声がするのは恐らく、彼と同じ事を言っているに違いないことは容易に想像がつく。
 心情としては、ベンも彼らと違う事はない。だが船長不在の今、船の大事を預かるのは自分なのだという事を、ベンは忘れていなかった。その生真面目さは、時に幹部やシャンクスに「融通がきかない」と笑われたり呆れられることがある。慣れない者から見れば冷徹に思えるかもしれないが、ベンがそれを気にすることはほとんど無い。
「……今日は無理だ。この船を出すにしても小船を出すにしても、波が高すぎる。お頭を探しに行って船が転覆するのはミイラ取りがミイラになるようなもんだ。許可できん。捜索は明日以降だ」
「ですが……!」
「落ち着け」
 広がるざわめきを制したのは、この船一番の年長者で、船医かつ医療班長のドクトル・ギーフォルディアだった。眉間に深いしわを刻み、激昂しかけた船員の真正面まで歩み寄って顔を覗きこみ、両の肩を叩く。
「……副船長はお頭を諦めろと言ってるわけじゃねェ。今日これ以上の捜索は不可能だと判断したんだ。本心はテメエらと同じ、一晩中でだって探してェに決まってンだよ」
「だったら! そうすればいいじゃないですか!」
「テメエは副船長の話を聞いてなかったのか」
 声を荒げるでもなく、船医は静かに説いていく。かつてない事態に動揺し、熱くなっている者達に声を荒げて制したところで逆効果だと判断したのだろう。
 幹部は口を挟まず、事態の収拾をギーフォルディアに一任した。船内一の年長者の言は、時に幹部を上回る説得力を見せる。幹部だがまだ若いアディスンなど、それを「年の功」と言っていたがあながち間違いではない。
「海軍の少佐だか中佐だかが乗ってた巡視船、まさかアレ一隻だと思ってんじゃねェだろうな? 多分、まだ近くに何隻か居やがるはずだ。奴等はきっと……いや、絶対、おれ達を探してやがるはずだ。夜中に煌々と灯りつけて海のただ中に船一隻浮かんでみろ。即総攻撃喰らうに決まってらァな。
 ……その時、おれ達は勝てるのか?」
 ハッと、船員達が息を飲む空気が伝わる。
「……お頭が行方不明という動揺を全員が抱えてて、一体おれ達は勝てるのか? こんなくたびれきっちまってて、勝てるのか?」
「…………」
 返事はどこからもあがらなかった。船医の言葉に打ちのめされたようでもあった。かまわずに船医は言葉を続ける。
「まぁ……負けるとも思ってねぇが、怪我人が出るのは必至だろう。あんまりおれの手を煩わせねぇでくれよ。
 お頭は必ず見つかる。見付けるさ。副船長が必死にならねェわけがねェからな。絶対ェ見つかる。おれ達の副船長は、信頼するに値する男だ。違うか?」
 全員が無意識に頷く。彼らの副船長がどんな男なのかは、日常を見ていればわかる。誰より船長の事を、船の事を一番に考えている人だ。副船長がいなければこの船は立ち行かなくなるという誰かの言葉は、船長以外の者が認める名言ですらあるのだから。
「お頭が帰ってきた時、全員で迎えてェだろ? 心配かけやがってコノヤロウって言いてェだろ?
 今海軍とやりあえば、こっちはチッとばかしハンデが重い。それにお頭の知らねぇとこで誰かが怪我したって後でお頭が知ったら、悲しむのは誰か……わかるよな? どうせならお頭と連中を返り討ちにしてやりてェだろ? 気持ち良く酒飲みてェよな?」
 全員バラバラに、ぎこちなく首肯する。ドクトルは首を巡らせて確認し、満足そうに頷いた。
「お頭は自分のためにテメエらが無理することは望まねェだろう。命賭けるのはお頭のためでかまわねェが、お頭の所為で命落としたら、あの人ァ一生悔やむだけだろう。お頭にそんな思いさせてェ奴ァいねェよな?」
 言葉を少し切って、また周囲の顔を見回す。今度はヤソップが言葉を継いだ。
「おまえらが今しなきゃならねェのは、とっとと体拭いて、コックが作ったあったかいスープでも飲んで、体を温めることだ! 風邪なんか引いてこれ以上ドクトルに世話かけんじゃねェぞ」
 わかったらさっさと解散! とどやすと、ようやく船員達は動き始めた。納得はしていないかもしれない。だが、目の前のするべきことは理解できたらしい。
 彼等が戻るのを見送りながら、幹部三人は肩を竦めあった。アディスンが黄色いサングラスを腰帯の端で拭いながら溜息をつく。
「……さっすがドクトル。伊達に歳喰ってないわ。説得力が違うね」
「おれ達もとっとと測量室に移動しましょうか」
 船室を指差すリックの隣で、問われた副船長は風からマッチの灯をかばいながら煙草に火をつける。
「バルザックが必死にお頭の居所を計算してくれてる」
「とっとと見つけてやらねェとなァ。きっと後でうるさく文句言うぜ、あの人ァ」
 口調はのんびりして余裕すら感じさせるが、それはこれ以上船員達を不安にさせないため。内心は他の者達同様、シャンクスの身を案じている。「お頭が落ちた所に折れたマストも落ちた」という報告があったからだった。
 
 幹部四人が各々の席に座ると、航海士のバルザックが近海の海図を彼らの前に開いた。
 細目の航海士は「星が見えないので正確な現在地はわかりかねますが」とゆっくりした口調で前置きし、
「海軍とぶつかったであろう場所、風と潮の流れと時間、方位から推測して計算すると、おれ達は今この海域のこの島にいると思われます」
 地図の一角、『カルア』と名のついた島をごつごつとした指で示す。全員が一斉にその島を見つめた。
「おれ達がもともと進んでいた航路はこの赤いライン。多分このあたりで海軍と出くわして、戦った」
 赤く×印がついた地点を示す。四人は無言でバルザックの示す位置を見つめた。
「ここいらの潮流は、幸いな事にそう難しいものじゃありません。ただ、えらく速い。台風の影響も考えると、更に速いってことになります。まあ、それでも一日に何百キロと進むってことは、まずありませんけれど。
 おれの予測としては、お頭は明日にはこのあたりを漂流しているか、この島かこの島あたりに流れ着く可能性が大きいと見ています」
 緑とオレンジの○で囲まれたポイントを順に指す。
「幸いこのあたりにサメは出ませんから、その心配はいらないとしても、これは他に障害がないものと仮定しての事です」
 一通りの説明を聞き終え、狙撃手は感嘆して海図と航海士を交互に見比べた。
「よくこんな短時間で割り出せたなァ……」
 感心したのはヤソップだけではあるまい。
 海軍とやりあってから、まだ半日も経っていない。勿論その後はシャンクスの捜索をしたりして時間を費やしたが、それでも半日は経っていないのだ。船の漂流速度ならばともかくも、人の漂流速度などそうたやすく計算できるものではあるまい。
 その点を褒めると、バルザックは鼻の頭を掻きながら少し照れくさそうに言った。
「おれは幹部みたいに戦闘に加われるわけじゃありませんから。台風とか嵐が来るって時点で海図と睨めっこですよ」
 でも、と声の調子を落として真面目な顔になる。
「正直言って、自信はありません。とにかく考えられる限りのことを考えて、資料をいろいろひっくり返して参考にして計算した末の答えです。おれに出来る事は全部やりました」
 真摯な言葉に、四人は深く頷いた。アディスンが腕を組んで言う。
「バルザックが出してくれた事をベースにして、後はどう探すか、だなァ」
「当然小船を出しますよね? 班編成どうしましょうか」
「小船は四艘あったッスよね? 本船に残る連中がまず一班……あとは残りの班で賄っちまいますか」
「いや、船の修理もあるし、食糧の問題もあるだろう。幸い今ンとこ苦労しねェくらいの積荷はあるが、あんまり日数かかるようだと補給しなきゃならねェ。当分この島を拠点にするか、町がある港に移動するか……だな」
 副船長は口を挟まず、彼らのやり取りを黙って聞いている。別の事を考えているようでもあった。バルザックは休息のため、一旦部屋から出た。その間にも三人の幹部は話し合う。
「修理に一班、当面の補給に島内探索が一班、って所ですかねぇ? それから、怪我人は置いていかなきゃいけませんよねぇ」
「そんなら、今船の修理してるA・B班をそのまま残して、残りのC・D・E・F班が探索担当、かな」
「いや、二班だけってのは心許ない。他の海賊団や海軍に見つからねェとも限らねェからな……二班と怪我人だけってのはマズイだろ。まァ幸いここは入り組んでて、ちょっと見は船が停まってるかどうかなんかわかんねェからいいが……」
「じゃあ、C班も残しますか」
「その方がいいんじゃねェかな。念のためってことで。んで、三班で探そうぜ。班員バラすと人数が少なくなるのが不安だしな」
「そういう感じでいいッスかね、副船長?」
 部屋に入ってから五本目の煙草に火をつけた副船長は、ああ、と答えて頷いた。
「それでいい。付け加えるなら、それぞれの船に一人ずつ、お前達も乗ってくれ」
「了解」
「わかりました」
「アイサー」
 話がまとまり、さておれ達も食事に行くか、と立ち上がりかけた所で疑問を口にしたのはリックだった。
「……副船長は?」
 ルゥは引き続き船の修理の監督にあたるとして、残りの幹部はベン・ヤソップ・リック・アディスンの四人。頭であるシャンクスが行方不明なのだから、誰より副船長が先頭にたって捜索にあたりたいのではないか。それはごく当り前の感情だと、幹部は理解している。他の仲間もおそらく同意してくれるに違いなかった。
 だが副船長は首を横に振った。
「俺は……ここに残って、居残り組の欲求不満に付き合う」
 船長の代わりに船員をまとめる義務があるのは当然だ。何より、頭捜索に加われなかった、という船員の不満を、副船長が残る事によって「副船長だって行かないんだから」と思わせる事は焦れる船員の気持ちを無理矢理宥める手段のひとつくらいにはなるだろう。
 副船長の正論に、割り切れないのはむしろ幹部の方かもしれない。
「……まァ、あんたの立場を考えると……しゃーねェけどよ……」
 それでいいのか?と言いたげな六つの視線に、
「あの人の悪運の強さは皆知っているだろう?毒殺されかけても助かるくらいだ。あの人のスポンサーには死神でもついてるんだろう。それに俺が先頭切って探しに行った、なんて事がお頭にバレたら、オレがいないだけで浮き足だってんじゃねェとか怒られそうだ。
 俺は大人しくココで待つさ」
 噛み締めるような言はむしろ、自分に言い聞かせるためのものだったのかもしれない。思っても、口に出す者はいなかった。言わない優しさというのもある。だから短くヤソップが「ああ、そうだったな」と答え、それを合図にするようにアディスンとリックを連れて部屋を出た。
 食事を摂ったら、今度は副船長室にでも集まる事になるだろう。いや、測量室かもしれない。捜索ポイントの振り分けと一度の探索の期間、決める事はまだある。
 誰もが副船長の言った事の正しさを理解していた。小船での嵐の航海の危険さは海の男ならずとも想像できるだろう。
 同時に。こんな時にも冷静沈着に見える副船長の内心が、そのまま冷静であろうはずがないことも理解できる。イライラとした空気は伝わるものだから。
 とにかく早くお頭を見つけ出さなければ。
 シャンクスがいないだけで、船は落ち着きを失っている。
 
 その夜、少なくとも二人の男が眠れぬ時を過ごした。
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