港町に着けば船員は交代で繁華街へと繰り出し、思い思いの時間を過ごして一時の陸の生活を楽しむ。
出立は九日後の五時だと、船長は言った。
その九日後の五時半。
「……やっぱり帰ってこねぇなァ、お頭」
船員らの心の声を代弁したのはヤソップ。桟橋の方を見ながら、アディスンが呟く。
「あとはお頭だけなんだよなァ。……忘れてんじゃねェか? いつかみたいにさ」
「お頭なら迷子だろ」
「それも前科あるもんなあ」
右手に持った骨付き肉に齧りつきながら、ルゥが笑う。
そう。シャンクスに限って言えば、「子供じゃねェんだから」というのは通用しない。妙な所、子供よりよほど子供っぽいのだ。自分の身を自分で守れる分、子供よりタチが悪いかもしれない。
「……探したほうがいいんじゃないですか?」
アディスンの隣でリックが比較的のんびりした口調で言う。目線の先には副船長が。彼は相変わらずの銜え煙草で肩を小さく竦めた。
「誰か探しにやるか」
「じゃ、おれたちは残っておくから」
「……ん?」
ヤソップがベンの肩をぽんと叩く。
「副船長、頼んだ」
「……俺?」
「そう。おれたちが束になって探すより、あんた一人の方が断然早いんだよ。毎回のことだけどさ。悪ィけど五人くらい連れてって、手分けして探してくれや」
「……わかった。とりあえず二時間で帰ってくる」
「了解! じゃ、アンディ、クォード、マイク、ジョーイ、ウェッブ、副船長と行ってくれ。残りはもう一回各持ち場の点検!」
さっさと船員に指示を出し、船を下りる副船長を見送る。その姿が小さくなって自分の肩を揉みながらリックが言う。
「……わざとらしくなかったですか?」
「大丈夫だろ。副船長も別になんも言わなかったし」
「おまえら二人、充分役者やれるって」
「そういうあんたはなんもしなかったな、ルゥ」
「おれはフォローに回ろうと思ってたんだ」
「ものは言い様、だな。……うまくいったからいいけどよ」
結果オーライだから気にすんな、と言うルゥの丸い腹を肘でどつく。腹を押さえてむせるルゥを脇目に、リックが言う。
「……うまくいきますかね?」
「どうだろうなァ……まあ、あの五人には三十分後に戻ってくるように言ってあるし?」
副船長に付けた五人とは事前に打ち合わせてあった。ここまではすべてが段取り通り。
ヤソップは顎を掻きながら、
「副船長がお頭を見つけられねぇわけがねぇから、それは間違いねぇよなァ」
「あとは、話ができるかどうか、だよな……」
「副船長の記憶が全部戻りゃあ早ェ話なんだけどなー」
「後ろ頭を殴ってみるか?」
「それ、ドクトルが『壊れたテレビじゃねぇんだぞ』って言ってたでしょう」
「だいたい怖くて殴れるかっての。やるなら言い出しっぺがやれよ」
「できるかっての!」
「じゃあ言うなっつーの」
ヤソップはなおもギャアギャアと言い合っている三人に背を向け、ひとり港を見下ろし、
「……最終的には、副船長の自力回復を祈るのみ、だな…」
頼むぜ神様、とこの時ばかりは真摯に呟いた。
相場より幾分高めの娼館を選んだのに理由はない。街に入って目に付いたのがそこだったというだけの話で、ただ女とヤレるならどこでもよかった、というのが実際の所だ。
この港町に船を留めること八日。下船してから今日までずっと同じ娼館に泊まっている。
もともと金に頓着しない性質のシャンクスはすこぶる金払いが良く、かつ更にあと二〜三日分ほどの料金を前払いしていたので、上客として扱われていた。勿論、先ごろ名が売れてきた『赤髪』の名も多分に効いていただろう。
とはいえ、夜毎に女が変わるのはその娼館のサービスではなくシャンクスの希望によるものだった。
どこの港町でもそうだ。決して馴染みの女はつくらない。
親しくなると別れが辛いからなどというセンチメンタルな理由ではなく、もっとエゴイストな理由であることを、シャンクスとかつてのベンは知っていた。
九日目の暁刻。星辰の明かりが弱まりつつある中、シャンクスはベッドの中でまどろんでいた。
あれから、一ヶ月以上が過ぎただろうか。『隻眼』を返り討ちにしてからは、およそ三週間が過ぎている。
女の体で得られる眠りにも限界が近付きつつある。己の体調を、シャンクスはよくわかっていた。港に着くたびに女を求めるのは、幼い頃に見たきり薄らとしか覚えていない母の面影を追ったものだと、シャンクスとかつてのベンは知っている。それゆえに女に無理を強いたことはない。本当は体を重ねずとも、抱きしめられて眠ることができるだけで良いのかもしれなかったが、実行したことはない。それでは娼館に何をしに来ているのかわからない。
海の上での安らぎは、ベンが与えてくれた。彼に求めるものは女たちに求めるものと似て、まったく非なるものだった。
それが今では、ベンが与えてくれていた安らぎまでも女たちに肩代わりさせようとしている。気付かなければ良いものを、妙に冷静なシャンクスの内心はそれに気付いてしまった。女は抱かずとも済むが、ベンとはどういうわけかそうはならないのだ。
やはりまったく安らげるのはあの男の傍でだけなのかと、融通の利かぬ己が忌まわしい。何度もそれはできないと言い聞かせたのに、言うことを聞いてくれない。自分の体がもどかしくて何度歯噛みしたか。
思い出せと詰め寄ればいいのだろうか。
思い出させてやると襲えばいいのだろうか。
自分のためだけに?――否、否。それも否。
過去に執着する自分は小さく悲しく憐れで寂しい。とてもちっぽけだから、誰にも見せたくはない。
こんな自分のことなど思い出さなくて良いと思う。偽りなくシャンクスはそう思っている。
その一方で、早く思い出して安心させて欲しいとも思っている。
シャンクスが思い出させるのではなく、彼が、彼自身の手によって思い出す。そうでなければ意味がない。あんな話を、同じ人間に二度も三度も話したいとは思わなかった。
あの時の、あの言葉。
誓い。
あの言葉があったから、今のシャンクスとベンがある。
あの言葉があったから、シャンクスはシャンクスでありえた。
だから殺さなかった。
(信じなければ良かったのか?)
他人を。まして言葉などという不安定なものを。
(――それでも信じたかった)
真摯な言葉を。
優しい微笑を。
(……最初は仲間にする気、なかったっけ)
出遭ったのは戦場。次に遇った時には殺そうと思ったのは、ベンが海兵だったからという理由だけではない。見られたくないところを、あの男は見た。見た者は殺さなければならない。そのつもりで近付いた。
(なんで信じる気になったんだっけ?)
あんな言葉ひとつで。
命が惜しくて嘘を吐いたかもしれないのに。
(……似てたから?)
一番美しい思い出。その中心にいる人。記憶の中の人はいつも穏やかで優しい微笑を浮かべ、名を呼んでくれた。
だが似ているからだけが理由ではなかったはずだ。ただそれが何だったのかは、もう思い出せない。それでもあの男の言葉を信じたからここに在る。仲間がいるのだ。
だるい体を無理矢理動かし、サイドテーブルにおいていた水差しからグラスに水を注ぎ、一息に飲み干す。ぬるい水は喉の渇きを癒してくれたが、それだけだ。焦れる体に冷却効果を与えてくれたりはしない。ましてや、潤いになどなりようもなかった。
(……本格的にまずいな……)
食欲は落ちている。皆が不審に思わない程度には食べているが、吐き気をもよおすなどしょっちゅうだ。実際に吐きもした。
夜はまったく眠れない。何故眠らなくて生きているのかと思うほど。たとえ眠れたと思っても浅い眠りかとびっきりの悪夢を見るばかりで、夜中に何度跳ね起きたことか。夢の内容はいちいち覚えていないが、起きるたびに全身が汗にまみれている。
それでも陽が昇れば気は紛れた。笑っていなければならなかったが、夜の闇に一人で暗い思いに捕われているよりは遥かにマシといえた。
もう一度シーツの海にうつ伏せに埋もれる。
毎日取り換えられるシーツは午前中に館の者が真新しいものに取り替えてくれた。その時に一度起きて、出て行く女と入れ替わりに運ばれてきた朝食を食べて。ベッドに転がっていたらこの時間。
今が何時なのかはわからないが、昼はすぎていないことだけは窓から差しこむ日差しの高さでわかる。昇ったばかりの日だ。
(そういや……出港すんのは、いつだった……?)
頭の奥に霞がかかったようにぼんやりして思い出せない。確か自分で決めたはずのことだったが。そもそも、今日が何日なのかがわからない。館の外にほとんど出ていない状況では無理もないが。
「……どーでもイイ、か……」
シーツを撫でるように伸びて、小さくあくびをする。
日と時間が過ぎれば誰かが自分を探しに来るだろう。その時帰ればいいことだ。誰に叱られようと知った事ではない。いつに無く投げやりな気持ち。かつ、無気力に襲われている。
それ以上考えるのも面倒だとばかりに枕を抱きしめた。
薄い眠りに、支配されようとしていた。
ドアの外の気配に意識が浮上する。
律儀に二回ノックされ、ああともうんともつかない返事を返すと、カチャリとノブの回る音がして静かにドアが開かれる。人が入ってくる気配がして、続いて小さくドアが閉まる音がした。
「……いつまで寝ているつもりだ?」
途端に香る煙草の匂い。
聞きなれた声・嗅ぎなれた匂いにシーツに埋もれたまま、だるそうに体をひねる。声の主は確認するまでもなくやはり――ベンだった。渋い顔で煙草を銜えている。
「出港すると決めた時刻はとうに過ぎているんだがな、お頭」
「……おまえかあ……」
「ったく……陸に上がったとたんにダラけるとはな……」
苦い表情をしている口振りに気付いたが、そちらを見ずに仰向いて大きく伸びをする。状態を腹筋だけで起こすと、ベンが視線を逸らしたのがわかった。男の裸など、いまさら珍しくもないだろうに。思いながらだらだらとズボンを穿いた。
銜え煙草の男は、煙だけでなく溜息も吐いているようだ。
「……迎えに来たのが俺じゃあ不満って顔だな。本当は何人かで探すつもりだったんだが……ヤソップやルゥに、あんた一人のほうが早くて効率がいいと言われて……」
「…………」
訊ねてもいない言い訳を言う男が、なんだか可笑しかった。
(前ならそんなこと絶対ェ言わなかったな……)
比べてしまったことに気付き、小さく頭を振ってのろのろと起きあがる。
「ったく……皆待ちくたびれてるぜ?」
「ん……わァってる……」
ベンが緊張しているらしいことは、空気と表情で伝わった。
(言いたいことがあるならさっさと言えばいいのに)
そんなに言いにくいことを言おうとしているのか。ゆっくり吐いた煙草の匂いは、シャンクスの元まで届いた。
「言っておきたいことがあるんだが……」
「ン? なんだ?」
「……お頭がこういうトコロに出入りしたりするのはかまわないし、女に溺れるのもまあ別にかまわない」
「…………」
興味なさそうな視線にも、めげないようである。
「それらをいちいち咎める気はさらさらないが、ひとつだけ。……自分が言ったことくらいは守ってくれ。他に示しが」
言葉は最後まで言わせなかった。
つかねぇだろう、と言う前に、先程とは違う種類の視線に気付いてシャンクスの目を見た所で、舌が凍った。
苛烈の眼差しに、ベンのすべての動きが止まる。縫いとめられているかのように。
瞬きすら禁じられているような張り詰めた空気。
まるで野生の虎の前で無防備に立っているような錯覚。
虎が、低く唸る。
「……おまえが言うのか」
押し殺した声から滲み出る殺気。
『赤髪』の気。
本気の殺気。
全身から隠しもしない怒気が溢れ、針のように皮膚に刺さるのがわかる。だが、何故自分がそんな殺気を浴びせられねばならないのかはわからなかった。
そしてまた既視感。いや、既視というより――過去の、記憶だろうか。
(同じだ……あの時感じた感覚と…カウラーの時と……同じ、感じ……いや……)
その時の感覚とは近いが、違う。
同じ時の記憶ではない。
もどかしい。もどかしい。
知っているとわかっているのに思い出せない。
(クソッ……思い出せ! 記憶力は良かったんじゃねェのか、俺は!)
必死に糸口を探す。こんなに必死なのは――
(間違いない……お頭絡みで俺にとって一番重要な記憶、だ……!)
それは絶対の確信。
だが糸口が見つからないまま、
「おまえがそれを言うのか、ベン」
もう一度低く問われる。
背中に冷たい汗が流れるのを感じながら平静を装って問う。声が震えないか、気を遣う余裕もない。それほど『赤髪』の気が、尖っていた。研ぎ澄まされた刃を喉もとに当てられているような気迫に、負けそうになる。
「どういうことだ? 俺が言ったことがなにか、気に食わなかったのか?」
「ああ、気に食わねぇ……大いに、な」
「何が気に食わないのか、聞かせてもらえねぇか?」
話をしないと、なにもわからない。わかりたいから話をしたい。そう思ってベンは言ったのだが――
その言葉は起爆剤。
「何が気に食わないのか、聞かせてもらえねェか?」
再び体の中が熱く燃える。血が、沸騰するかと思うほど憤った。
――そんなことも、この男は忘れているのだ。
「テメエが……約束忘れてっから……!」
非難を浴びせようと思った。
心につかえているものを叩きつけてやろうと思った。が。
(……ヤバイ……!)
思った時には舌が硬直する。
予告無しの脳内スパーク。
見知らぬ光景が、視界を占領しようとしていた。
(止まれ……ッ)
制止の声も届かない。
発作が暴走する。
押さえがきかない。
壊れた蛇口から出る水が止められないのと同じようだ。
――忌まわしい光景が、見える。
まだ幼さを残す少年が、頭頂まで禿げあがった中年男によって床に引き倒され、荒々しく服を引き剥がされる。
男の表情は獣。
下卑た笑いが目の端に映った。
ボタンが飛んで床を転げていくのがやけに生々しく見える。
あらわになった下半身へ、ろくに慣らしもせずに狂った欲望が叩きつけられる。
少年の声は映像からは聞こえない。顔もわからない。抗いの声をあげている。泣いている。
見ているだけなのに、痛みまで伝わってくるようなリアルさ。少年とシンクロしているのか。それとも。
少年の、いや、自分の口から声が出ている。必死に行為を止めさせようとしている。それが敵わない望みだということを知っている。
目の前には床。
目の端に映る髪は紅い。
その少年は――自分、だ。
(嫌だ……ッ、止まれ! 止めろ! オレの意志に関係なく、こんなモン……見せんな……ッ)
肩を激しく揺さぶられたのは幻覚か、現実か。だが今のシャンクスにはそんな境界など無意味。幻覚は現実であり、現実は幻覚。おぞましい。忌まわしい。
この光景は本当に今の自分が見ているものなのか。
わからない。
わからないから余計に怖い。
こんな記憶などない。
ありえない。
自分は陵辱などされた覚えはない。だが――このリアルさはなんだ?
体を這う男の手の感触も、己が身を貫く痛みも、なぜわかる?
「オレに……触んな……!」
肩を掴んだ手を激しくふりほどく。それが幻覚なのか現実のものなのかはわからなかった。
はたして自分の手に体温はあるのか。
――よりによってこんな時に発作が来るなんて。
顫える躰、めぐる幻覚。
冷や汗とも脂汗ともつかないものが、全身を伝う。
冷や水を浴びせられたがごとくの寒気と、自分ではどうしようもできない身体の顫え。
きっと今、自分の顔は血の気が失せているに違いない。
ここまで大きな発作は初めてだ。
自分では止められない。
どうすればすぐに止められるのかはわかっている。けれどそれはできない。
どうしてもできない。したくない。
「お頭……?」
シャンクスの身に何か異変が生じたのは明らかである。額からこめかみ、顎を伝う脂汗。蒼白な顔。寒くもないのにがたがたと顫える体。
麻薬の類の禁断症状かと頭をよぎったが、即座に己の考えを否定する。この男が薬に溺れるような男ではないことくらい、自分が一番良く知っているではないか。
「なんでもねぇ! テメエは触んな!……ッ、放っておけば……おさまる! 出て行け!」
訝しげな声と視線を、手で乱暴に払いのける。それに、ついカッとなった。
(この人は……また……ッ!!)
憤りが、ベンの中で火山のように吹き出す。払われた手をとっさに掴んだ。
「そんな状態のお頭を放っとけるヤツがいるわけねぇだろうが! バカか!」
激昂。
らしくないのはわかっている。でも止められない。
掴んだから。
記憶の、尻尾を。
「いいから出て行け! ッ、命令だ……!」
ベンの内心になど構いもせず、シャンクスは手を本気で振り払おうとしている。そんなに血の気のない顔をしているというのに、何が大丈夫なのか。何故そんなにも強がるのか。
(そんなに今の俺は頼りないか?! 頼りたくないのか?!)
――そんなに苦しそうな姿を晒しても?
「……聞けるか!」
「う、わ……ッ?!」
勢いのまま、シャンクスの腕を引き抱きしめた。わずかな抵抗も抑え込み、きつく抱きしめる。全力で抗われようとも、放す気はない。
「はな、せ……!」
「聞かないと言った!」
「イヤだ……ッ、放せェ……!」
シャンクスは腕が動く限りで、ベンの躰を全力で叩きまくる。子供が駄々をこねるように。
無論、叩かれた方は痛くないわけがない。それでもベンは解放しようとはしなかった。
癇癪を起こしたようなシャンクスを抱きしめたまま、呟くように独白する。
「……あんたは不思議に思うかもしれねぇがな……俺には今のあんたを放っておくことはできねぇ。俺にも今はよくわからねぇんだが、放っておいてはいけないと……何かが俺に命令してる気がするんだ」
命令しているのはおそらく、今は見えない、以前の自分。
何に苦しんでいるのか、肌から伝わってくるような錯覚。それを教えてくれているのは以前の自分か。
「……聞こえてねぇかもしれねェが……、あんたが嫌がっても、今だけは……」
叩く腕を無理に封じることはせず、抱きしめたまま……背や頭を優しく、撫でる。そうして出来るだけ優しい声で、耳元に囁く。
「大丈夫……怖くない。大丈夫だから……もう誰も、あんたを傷つけたりしないから……」
「……ヤだ……いや、だ……っ」
「大丈夫だから……大丈夫……怖いヤツはいねぇから。……俺はあんたを傷つけたりしねぇから……」
いつだったかも、こんなことがあった。
いつだったかは覚えていないが……わかる。
その時、自分はたしかにこうしてこの人を抱きしめた。
子供をあやすように。
恋人を抱くように。
そうして宥めるように何度も何度もその背を、頭を撫ぜて。
何度も何度でもその耳に囁いた。
「……もう怖くない……」
穏やかな声音で、落ち着かせるように。安心できるように。早くこの状態が収まるように。
やがてシャンクスが沈黙しても、抱きしめる腕は解かなかった。
優しく頭を撫ぜて、自分より幾分狭い背をあやして。
彼が今見ている悪夢が早く終わるようにと、祈るような想いで包む。
「…………」
徐々に抵抗がなくなっていくのを感じながら、耳に囁く。
「……シャンクス。俺は、……」
囁いた声は、届いただろうか。
くったりとなったシャンクスを支えながら、ベンは動けずにいた。