――一方、赤髪海賊団の甲板では。
勝敗を決し、血にまみれた甲板の掃除などが始まろうとしていた。その甲板の隅で、幹部が捕虜を囲んでいた。
「ってェコトは何か? 毒を盛りやがったのは、テメエらの頭だってのか?!」
「頭がやるかよ! やったのは、赤眉とかなんとかいう連中さ! 頭が高ェ金払って雇ったのさ!」
縛り上げられた海賊の一人が自暴自棄気味に答える。答えに驚かされたのは幹部連中。ヤソップは唸り声を発した。
「赤眉……よりにもよりに、クソやっかいな連中を頼ったもんだなァ……」
「ヤソップさん、赤眉ってのは?」
問いながら、更に雑言を喚こうとした男をアディスンが蹴り飛ばす。アディスンに聞かれたヤソップは頭を掻いた。
「あ――……おれも詳しくは知らねえんだ。だいぶ前に副船長に聞いただけだから」
幹部の目が、新たな煙草に火をつけたベンに集中する。
わずかの間こめかみに手を当て、目を閉じていた。思い出そうとしているのだとわかり、周囲の者はじっと待つ。長い間ではなかった。指先でこめかみを揉みながら、ベンは目を開いた。
「赤眉……隠密暗殺集団だ。仕事の痕跡はわざわざ残していくこともあるみたいだが、その場合は嫌がらせみたいなもんだな。たいていは残さねェ。報酬はかなりの額をふんだくるらしいが、その分、成功率は高い。得意は毒殺。組織の構成や人数などは一切不明。コトに及ぶ前には予告状まがいのものが届くらしいが、その形式は様々で……ターゲットや周囲もそれに気付かないことも、ままあるらしい。だいたい赤色をしたモノのようだが」
「さすが副船長、博識ッすね!」
「昔読んだ資料を覚えてただけだ。……そういう記憶は残っていたみたいだな」
言いながら自嘲気味に笑うベンに気付かず、メガネがさらに問う。
「じゃ、お頭ンとこにもその予告状みたいなモン、来てたんスか?」
「ああ。……俺のとこに来た」
「副船長のとこに? 本人にじゃなくてか?……あ、もしかして!」
ヤソップは手を打った。暗殺者捜索のため船内を一斉検査した後、報告に出たものを思い出したのだ。そうとは知らず、ベンは思い出していた。
目を覚まして数日後、以前の自分が使っていたという部屋へ戻された後に見た物は、デスクの上の海図。その上に置かれていた赤い鳥の羽根。
海のド真っ只中に赤い鳥が飛んでなど、まして船内に迷い込むことなどありえない。そしてその晩に出された毒入りスープ。
アレを予告と見て、まず間違いないだろう。
細く紫煙を吐き、「推測だが」と断った上でヤソップの疑問に答える。
「連中らしい嫌がらせだろうな。あるいは挑戦状ととるべきか。”おまえらのお頭を殺す予定だ。護れるものなら護ってみろ”って意味だろうな」
予告通り毒は盛られた。結果は彼らが望むものにならなかったのは、赤髪海賊団にとっては幸いと言っていい。が、被害が出なかったわけではない。
「ナメやがって……!」
瞬間的に湧きあがった怒りを、縛った捕虜にぶつける。上品とは言い難い悪口雑言をわめいて抵抗したが、すぐアディスンに黙らせられた。
「結局阻止できたから結果オーライだろう。……ところで、さっきからそのお頭が見当たらねぇんだがな」
「……そういえば……」
全員が顔を見合わせる。ベンと一緒に甲板に出てきたところまでは確かに見覚えがあるのだが、その先となると戦闘に集中していたので覚えがない。ベンも船員に指示出したり自らも戦列に加わっていたので、迂闊にもシャンクスの姿を見失ったのだった。
「おれ、見た」
「何?」
今度は視線がルゥに集中する。彼は甲板掃除の指揮を取っていたのだが、いつの間にか肉を齧っている。
「どこに?」
「『隻眼』のほうに歩いてってた」
その一言でルゥ以外の幹部が全員脱力する。
「まァた単独行動か!」
「……ったく……!」
不意を食らった襲撃は、あやうく船内にまで及びかけた。こちらに乗りこんできた人数ですら3ケタ近い人数だったのだ。……敵の本船にはあとどれくらい残っているともしれないのに!
シャンクスがやられるはずはないと知っていても、心配になる。コレは、性分というヤツだろうか。
ヤソップが溜息混じりの煙を吐いたベンの肩を叩く。
「副船長! こっちはおれらに任せとけや。あんたあっちに行ってくれるか。……と、リックにアディスンにタコ、お前らも行ってくれ。あっちにどれだけ残ってるかわかんねぇからな。副船長の足、ひっぱんなよ!」
「うィッス!」
指示を受けて即座に三人が行動。すでに敵船に乗りこもうとしているベンの後を追う。
彼らを見送りながら、
「……記憶が戻んなくても、苦労性ってのは変わらんねェ……」
呟いて、意識を取り戻した捕虜をまた殴り飛ばした。
ガキィンと刃が鳴り、火花が散る。
鍔競る赤と茶。
赤髪はの笑みは余裕の形のまま変わらない。
体格の違いすらハンデにならないといっている表情。人を食っている。
「どうしたカウラー? オニイチャンの仇を取るんだろ?」
「るっせェ! 黙りやがれッ!」
「ホラホラ、そんな熱くなると……」
サーベルにかけていた力をスッと抜き、身を引く。均衡していたバランスを崩され、わあ、ともああ、ともつかない声をあげてカウラーがよろける。ギャラリーから悲鳴のような声が上がる。
「頭ッ」
「てめェらは手ェ出すンじゃねェッ!」
崩れた体勢をすぐに立て直し、剣に手をかけた幹部たちを一喝する。常ならぬ頭の迫力に、彼らが怯んだ。
「ですが……!」
「コイツはおれのアニキの仇だ!…わがままなのはわかってるが、どうしてもおれがケリをつけてェ。誰の力も借りずに、だ。だからテメエらは手ェ出すんじゃねェぞ!」
「ヒト一人をこっそり殺ろうとしたわりには、男らしいじゃねぇか」
隙を見せたカウラーを斬ることもせず、毒をまじえて呟く。その中に小さな嘲笑も含んで。
――ひとおもいになど、殺してやるものか。
楽に死なせてなんか、やらない。
まずは。『頭』としてのプライドを、手下たちの前で散々ボロボロにして。――それから、じわりじわりと殺してやろうか。
(オレの苦しみを、テメエの体に刻んでやろう。それくらいのことを、テメエはやったんだからな)
左を使わないのは嘲り。蔑み。
「その価値すらもない」と言外に示している。見せつけている。
相手を見下した戦い。
勝負など、戦う前から見えている。
「お頭!」
「……あン?」
左上方からの声に、シャンクスとカウラーが同時に反応する。
声のほうにちらりと目をやると、シャンクスが意外な表情をした。
「……副」
リック・アディスン・タコと綽名される船員を連れたベンだった。
『赤髪』襲撃が失敗に終わったと騒ぐ『隻眼』船員。にわかに『赤髪』の反撃かと色めきだつ。
一触即発を制したのはシャンクスだった。
「副! 手ェ出すなよ」
「お頭、」
ベンの制止の言を奪って、
「コレはカタキウチなんだよ。サシで勝負中だ。『隻眼』の連中も手ェ出してこねぇよ。カウラーの誇りにかけて、な。だから、おまえらも手ェ出すんじゃアねぇぞ。船長命令だ」
軽い口調ではあるものの、視線は反論を許さない輝き。もとより船長命令とあれば否とは言えない。それでもなお渋い顔をしているベンに、軽く左手を上げる。
「……負けねェから、大人しく待ってろ」
「ぬかせ、赤髪ッ!」
右後方から斬りかかってきた刃を紙一重でかわす。ギリギリだったのではなく、ムダな動きを取らなかったのだと、ベンだけは理解した。
「急くなよ、カウラー。仕切り直し、しようぜ」
不敵に笑ってカウラーを振り返り――右手に握ったサーベルを軽く振った。
それからどのくらいの時間が過ぎただろう。
十分かもしれないし、一時間かもしれない。長い時間ではないはずなのだが。
決闘を見届ける者たちは動くことも出来ず、その場に縫いとめられた人形のようにシャンクスとカウラーの斬り合いを見守り続けていた。もう、何十合と斬り合っただろうか。
(――おかしい)
誰より先にそう感じたのはベン。
(こんな戦い方をする人だったか?)
勝敗の行方はとっくに、誰の目にも明らかになっている。
カウラーは肩を大きく上下させて息をし、その体には既に幾創もの斬られた痕。滴る汗混じりの血も少なくない。ただ双眼だけが飢えた肉食獣のようにギラついている。これが執念というものなのだろうか。兄の仇を取るという。あるいは己の血によって興奮が増しているのかもしれなかった。
それに対してシャンクスはといえば。
軽い動きは変わらず、呼吸も常と大差なく。体力はもともと人並はずれてある人だったが、攻撃を避けるにも攻撃をするにも、無駄な動きをわずかにもしていないのは、実力の違いだけと一言で片付けていいものか。見ただけで体力的な消耗が少ないとわかる。
だが攻撃は。カウラーの斬撃を舞うように避け、ついでのように隙だらけのところを斬りつける。斬りかかったかと思えば、カウラーを翻弄する動きばかりで、本気で仕留めようとする意志は見えない。
(――違うだろう……?)
長い決闘を見ている間に蘇った記憶の一部たち。その記憶の中には、こんな風に戦う姿など、ない。どんなに力量が違う相手でも、数合申し訳程度に撃ち合ったりはしていたが、ここまで時間をかけて嬲るように戦うなど、見たこともない。いつもなら、とっくに決着がついているはずだ。どう見ても遊んでいるとしか思えない。
「……なにやってんだ、お頭……っ」
苛立たしげに煙草を足でもみ消す。――と、カウラーがまたシャンクスに斬りかかった。かなりの大振りだから避ければいいものを、わざわざサーベルで受けとめてやってから弾いて、また流し斬る。
不意に、シャンクスが顔をあげた。
視線が、まともにぶつかった。
(――?!)
悪寒のような戦慄が、全身を駆け抜けていったのがわかる。
ニタリと笑んだ顔。戦いを楽しんでいる表情。
それは狂気か。否。『鬼神』たる所以。
何かを語らんとする双眸の強さ。――既視感に襲われる。
(……どこかで……見た……)
それはどこで、だったか。
(……見た……絶対に……)
それはいつ、だったか。
必死に記憶をたどる。余計な記憶に邪魔をされながら。それらを押し遣りながら、記憶の森を彷徨う。
絶対に見たことがある。
それだけは断言できる。
でなければこの強い既視感と、記憶をたどるもどかしさと焦りは説明できない。
何故焦れるのか。
大切なことだと。重要なことだったと、体が訴えているからだ。
――大切なこと。とても大切なこと。
己の何か、たとえば信念・生き方・考え方が覆るほど大切なこと、だった。そんな気がする。
だから焦れる。思い出せなくて、もどかしい。
何故思い出せないのか。
脳の記憶中枢が麻痺しているからなのか。まだ毒に侵食されているのか。
(大事なことなのに……!)
頭の良し悪しや記憶力の良し悪しの問題ではない。
大切なことを覚えていないのでは、いくら頭が良かろうともまったく意味がない。
「お頭……!」
リックの声にハッと我に返る。
シャンクスはまた、カウラーと斬り結んでいる。口許には相変わらず酷薄な微笑を浮かべていたが…間合いを取って一言、呟いた。……ように見えた。
わずかに動いた口唇が発した言葉を理解した時には、勝負はついていた。
慄然となったのは、シャンクスの鮮やかな太刀筋ゆえか。否――――
あの時と同じ表情・同じ言葉が、ベンを顫えさせる。
「よくも オレを苦しませてくれたな…」
口唇は確かにそう、動いた。