I pray, you stay

2

 ベンが倒れてから二日が過ぎた。
 シャンクスはベンがこなしていた仕事をキチンと処理していたので、存外に朝から多忙だった。問題のない航海といえど、案外雑務はあるものだ。
 やっぱアイツってスゲェと改めて感嘆していたが、サボらずに仕事を消化していたら午後3時すぎには暇が出来た。
 見舞いに行くか、と足を医務室に向ける。向かったのはベンの眠る第一医務室ではなく、そのとなりの第二医務室。犯人に襲われた船員が担ぎ込まれた部屋だ。
 彼は二日前の午後に何者かに襲われ、腹を刺された上に姿を模され、危うい所で命をとりとめて安静にしている。
 襲われた時の状況は、昨日ヤソップが報告をしてくれた。背後からの襲撃だったため、相手の顔を見る隙も声を上げる暇もなかったという。多分そんなところだろうと思っていたので、シャンクスは失望しなかった。ただゲイルが転がされていたという船倉に、誰も見覚えのない赤い鳥の羽があったとルゥから受けた報告は気になった。
 赤い羽にどんな意味があるのか、誰にもわからない。知っている可能性がある唯一の男は、現在昏睡したままだ。
 ドアを軽くノックし、気楽を装って医務室に入る。シャンクスが入ってくると彼は小さくなって恐縮したが、
「気にすんな。怪我人は大人しく寝とけ」というと、
「お頭は、おれより副船長の方を看ててあげて下さいよ」
 と返される。朝から色々な船員に何度か言われた台詞だが、副船長がまともに動けない事態だからこそ船長が動かざるを得ないことを、はたして船員の何人が本当に理解しているだろう。日頃は彼が雑事を一切取り仕切ってくれているからこそ、ルゥをからかったり船医のギーフォルディアと馬鹿話をしたり、黄色いサングラスのアディスンと悪戯を仕掛けることができるのだ。こういう時に責務を果たさなければ、あの男が目を覚ました時にはどれほどの嫌味を言われるか、わかったものではない。
 普通の海賊頭はそもそもめったに部下から本気で叱られるような真似をしないのだという常識はこの海賊団では通用しない。シャンクスの仲間たちは非常に都合よくシャンクスの性格に合っていた。
 だからといって肉体的にあの男よりも重傷を負った仲間にそんなことを気遣われてしまうのは、シャンクスの本意ではない。
「何言ってんだ。おまえの方が重症だろ。アイツはいちいち見に行かなくても死にゃしねェよ」
「お頭がおれたちのことを大切に思ってくれてるのは皆わかってますよ。だから言ってるんです。こんな時に自制してどーするんですか。誰もこんな時に責めたり怒ったりしませんよ。だから、副長のほう、行ってあげてください。でないと……こう……おれも、副長の具合……気になってますから……」
 苦笑混じりに言われて、ようやく気が付いた。
 不覚をとったとはいえ、毒を盛った犯人は彼を襲い、彼の姿を借りて凶行に及んだ。――自分さえ油断しなければこんなことにはならなかった。あるいは最悪の事態を迎えていたかもしれない。もしかしたらゲイルはそうやって己を責めたりしていたのかもしれない。
 気にすることはない、とシャンクスは思う。全部済んでしまったことなのだから。
 だが一方で、それが無理な話だということも知っていた。彼はシャンクスではない。自分と同じように考えろと言っても、無理な話だろうと思う。
 そう考える一方で、なんとかゲイルの気持ちを楽にしてやりたかった。彼が自分の力で乗り越えるべき問題だとわかってはいるが、何か言ってやりたかった。
「……ゲイル、こう考えろ。襲われたのがおまえで良かったんだよ。だってな、刺されて重傷を負っているとはいっても、おまえは生きてるだろ? 毒を盛られたってゆっても、毒入りスープを飲んだのはオレじゃなくて副だったし、副は毒飲んでも死なない体質らしいし、今だってただ寝てやがるだけなんだからな。おまえ以外のヤツに同じコトやられてたら、そいつは死んでたかもしれねぇし、もしかしたらスープ飲んでいたのはオレだったかもしれない。……だから、おまえでよかったんだよ。だから、これで良かったと思ってる。生きてこそ花実もあるってもんだろ?」
「……お頭……」
 天然のタラシとはよく言ったものだ。
 言っていることは滅茶苦茶だが、ゲイルの気持ちを楽にしてやりたいという思いは伝わってくる。真剣に言っているのがわかる分、タチが悪い。でも嬉しかった。この人に、こういうことを言ってもらえるほど、大切に思われている、なんて。――他の連中にバレたら袋叩きに遭いそうだが(怪我人だからといって容赦する連中だとは思えない辺りが怖い)。
 言った本人は、照れ笑いしながら後ろ頭を掻いている。
「……あんまり気にしすぎるな。ハゲるぞ」
 ありがとうございます、と苦笑するゲイルに「また来る」と言い残して、病室を出て行く。シャンクスが思っていたより元気そうだったのが不幸中の幸いだと思った。
 それにしてもやっぱり甘やかされてるのかなオレって、と一人ごちて副船長が寝かされている第一医務室に入る。と、先客がいた。馴染みの顔だ。
「おゥ。おまえらも見舞いか? まだ起きてねェだろ、副は」
 ヤソップとルゥに声をかける。
「まだみたいだなァ。こーやって見てっと、ただ熟睡してるだけのように見えるんだが……」
「でも顔色よくなった。そろそろ目、覚ます」
 肉を食べながら言うルゥの言葉にかすかに微笑した。ヤソップの視線はベッドの上に落ちている。
「……だといいな」
 このまま目が覚めないとも思っていないが、いつ来るかわからないその時をただ待ち続けているのも辛いものだということが、この二日の間に身に染みていた。
 日常、たまにベンから「堪え性がない子供のようだ」と言われたことは何度もある。自分ではそんなはずはないと思っていたし否定してきた。思いがけぬ台風で進路が大幅にズレ、目的の港につくまで最終的に三日間を雨水だけでしのがなければならなかった時にも不平は言わなかったし、酒場でどんな馬鹿に絡まれても店を壊すような喧嘩をしたことは一度もない。
 だが今ならベンが言った言葉を理解できる。彼の目覚めを待つ自分には表面的な冷静さはあっても、内面の新の落ち着きはない。早く目覚めればいい。それだけを思っている。
 ヤソップが頭の後ろに手を組みながら言う。
「そうそう、ここに来る前にドクトルのとこ寄ってきたんだが、毒物の特定が出来たって言ってたぜ」
「なんだって?」
「化学系の毒だと。なんでも数滴で数百人を殺せるようなヤバイ代物だったらしい。名前は……たしか、”ベルドゥール”とか言ったか? 舐めると舌に胡椒噛んだみてぇな刺激があって、わりと即効性なんだとさ」
「LSDと数種類の化学薬品の合成物質。個体・気体は幻覚作用が強い。液体が猛毒。ドクトルが言ってたよ」
「いつものことながら、ウチのドクトルの薬品・毒に関する知識はすげェよな」
 嘆息混じりのヤソップの言葉に、シャンクスは首肯して応じた。
「よくもまあそんな厄介な毒を使ってくれたもんだな、敵さんもよォ……」
 出くわしたら必ず殺す、と穏やかならぬ感情をはらんだ低い声で言うと、ベッドサイドの椅子に投げ槍に腰掛ける。
「まったくだ。この手の毒物にゃ、ワクチンなんてねぇらしいからなあ」
 もっとも、即効性の毒物ならワクチンなどあったところで間に合うかどうかわからないのだが。
「……コイツの身体機能に任せるしかない、ってか……」
 呟いて、意識が戻らない副船長に視線を落とした。
 
 
 ――人の、声がする。
 ……男の声。
 ……三人、いるみたいだな。
 誰だ?
 誰がいる?
 ……目蓋が重くて開けられねェ。
 毒がどうのこうの、って話してるな…。
「よくもまあそんな厄介な毒を使ってくれたもんだな、敵さんもよォ……出くわしたら必ず殺す」
 穏やかでないセリフが先程より間近で聞こえた。近くに来たのだろう。……聞き覚えのある声だ。
「まったくだ。この手の毒物にはワクチンなんてねけらしいからなあ」
「……コイツの身体機能に任せるしかない、ってか……」
 溜息混じりのその声にはやはり、聞き覚えがあった。誰なのか知っている……ような気がする。
 誰だった? この男は。
 何故こんなに弱気な声なんだ? らしくないぜ。
 らしくない? 何故俺はそんなことを知っている?
 ……誰だった? このヒトは。
「…………あんた、誰だ……?」
 重い目蓋を無理矢理こじ開ける。
 
 
 ヤソップが肩をすくめて、ワザと明るく言う。
「ま、副船長はタフだからな。目ェ覚ましたらきっとスグ動く……って、どうしたお頭?」
 椅子から立ちあがって飛びつくようにベンの顔を覗きこんだ。食い入るように眠る男の顔を見つめている。
「……今、コイツ……なんかしゃべったような……」
「見間違いじゃねーのか?」
 言いながら、ヤソップとルゥも慌てて枕もとを囲む。
 しばらく見守っていると、目蓋がぴくぴくと震え――うっすらと、開いた。
「副ッ」
「副船長!」
 ゆるゆると時間をかけて開かれたモスコブルーの瞳は、初め焦点がぼやけていたが、数度瞬きしてようやく確かな光彩を宿した。
 ルゥが急いで部屋を出て行った。恐らくドクトルを呼ぶつもりなのだろう。
 ベンが何か言うより早く、
「よかった……おまえなあ、心配したんだぞ?!」
「お頭、寝起きの人間の枕もとで騒ぐんじゃねェって。副船長、気分はどうだ?」
「……スッキリしねェな……」
 かすれ気味の声。どうやら言語中枢はイカれてないらしい、と安心する。
「ずっと寝っぱなしだったもんなァ。ま、水でも飲めや」
 言われて水の入ったグラスを受け取って初めて、ベンは自分がひどく喉が乾いていることに気付いた。一気に飲み干すとほっと息をついて、所在なさげにグラスを掌で弄ぶ。
「なあ、もう大丈夫か? どっか痛いトコねェか?」
 放っておくと自分に飛びつきかねない赤髪に、戸惑い気味の視線を返す。瞳の深海色は確かに見覚えがある輝き。――でも、思い出せない。
「……聞きたいことがあるんだが……」
「なんだ? なんでも聞いてくれ!」
 覗きこんでくる赤髪の瞳を見つめ返す。海を想起させる色の目に呑まれそうだと思った。
 頭の中にかかった靄を晴らしたくて頭を振ったが、晴れなかった。もう一度、視線を赤髪に合わせる。
「……あんたは、誰だった? そっちのあんたも。……どうしても、思い出せねェんだ……」
 数瞬の間の後、怪訝な顔で赤髪がツッコミを入れる。かなりの不機嫌を交えて。
「おまえ……なに寝トボケてんだ?」
「そうそう。冗談キッツイぜ、副船長」
 笑われて小突かれながら、ベンは本当に困った顔をした。
「……冗談で済ませたいのは、やまやまなんだがな……」
 滅多に見せない彼の本当に困惑した表情に、今度はシャンクスとヤソップが顔を見合わせた。思い返せば居間までに副船長が寝起きに――負傷などの後の寝起きだ――状況を考えぬ冗談を飛ばしたことは一度もない。
「……ホントにホントなのか? そんなマジな顔でからかってんじゃねぇだろうな?」
「マジか、副船長?」
「マジだ」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
 シャンクスとヤソップは失語した。ベンも、発すべき言葉を持たなかったため口をつぐんでいる。
 
 奇妙な沈黙はルゥがドクトルを連れてくるまで続いた。
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