I pray, you stay

1

 港での補給と、束の間の休息を終え、また海に帰ってから三日。
 夕食にはコック達が新たに港から仕入れてレシピに加えたらしい料理が、海賊たちの目と舌と鼻を楽しませようとしていた。何しろ新鮮な食材が使えるのはほんのわずかの間だ。それがわかっているから、料理長はなるべく野菜を多く使い、暖かい食事を作るように心がけている。
「おっせぇぞ、副。メシが冷めちまうじゃねーか」
「すまん。ちょっとな」
 気になることがあったと言いながら他の仲間たちより遅れて自分の左側に着席する副船長ことベン・ベックマンを無言で見つめる。視線を受けて赤髪が何か言うより早く、ベンは言い訳を継いだ。
「あんたが気にするほどのことじゃないさ。俺で充分処理できる」
「そうか? ならいいけどな……結果報告は忘れるなよ」
「勿論」
 若い船員が運んできたスープを、ベンが受け取る。具が多いスープは、航海において必要な栄養を多く含み、かつ食べやすい。そのため数日に一度は必ず野菜スープが出されるのが、この海賊団の夕食の常だった。ただし、航海している期間が長くなればなるほど野菜は形を潜め、長期保存に適した豆や干し肉ばかりのスープが取って代わることになる。そのためこの幸せが続くのもほんのわずかの間だけだ。それでもこの船の船員たちは、一度もなま物を腐らせることがないまま、彼らの胃にすべて収めてしまう。コックたちにとっても実に腕の振るい甲斐のある男たちだった。
 料理は習いとして船長から給仕される。その習いに従い給仕係の船員がスープをシャンクスの前に置こうとしたが、彼の前にはすでに色々な皿がゴチャゴチャとおかれていたのでベンが受け取ってやる。そのままシャンクスに渡そうとして、手を止めた。隣ですぐに渡されるものと思い、酒を口に運びながら手をベンのほうへ差し出していたシャンクスは首を傾げる。
「なんだよ、先に食いてェのか?」
 珍しいなおまえが。
 そんな軽口にも応じず、自分の前に置かれたスープと並べた。シャンクスは空腹もあって早くスープを飲みたくはあったが、己の副官が意味もなくそんな行動をとるわけがないと知っているので、とりあえず見守ることにした。
 ベンは自分のスープ皿に顔を近付けて匂いを嗅ぎ、スプーンでかき混ぜ、一掬いしてはまた匂いを嗅いだ。
「なァ、早くそれ飲みたいんだけど? 何してんの?」
「…………」
 シャンクスの言葉も耳に届かなかったように、今度はシャンクスから受け取ったスープを一掬い、また匂いを確かめるように嗅いで、口に含み飲み下した――かと思うとすぐに、飲み下さなかった幾らかを床に吐き出した。
「うっわ料理が勿体ねえ! 何やってんだ副!」
 船の上で限られた食物を無駄にすることを、船員達は決してしない。航海中に嵐や凪など、どんなハプニングが起こるかわからない以上、食物を無駄にして己らの命を縮めるような真似をするはずがないのだ。当然、副船長もわかっていることである。
 にも関わらずの出来事に、シャンクスは一瞬の怒りを覚えたが、ベンの次の剣幕に呆気に取られ、怒る所ではなくなった。
「おい、誰か厨房の人間を全員今すぐここへ呼んでこい! すぐにだ!」
 シャンクスの非難の声すら無視して発された鋭い命令の声は、ざわついている場にもよく響く。食堂にいた者たちはにわかにベンに注目した。どうした、と誰かが問うより早く、
「給仕の人間も残らず連れてこい。あとの者は席を離れるな! 誰かが……一服盛りやがった」
「毒か!」
「ああ」
 冷静なベンの表情とは対照的に騒然となる食堂。にわかに毒とは信じがたかったが、彼らは自船の副船長が危険な冗談を言う男ではないと承知している。どのような方法で毒が盛られていると知ったのかは横に置き、こうなるともう食事どころではない。すぐに数人の者が厨房に飛んで行き、数人は見張り台へと向かった。
「他にスープを飲んだ者は?」
 数人が手を上げた。顔は一様に青い。当然だ。自分のスープにも毒物が入っているのかもしれないのだから。
 ベンは皿に残っている彼らのスープの匂いと味を確かめると、
「……問題ない。どうやら、お頭のスープにだけ……」
 積み木の城が崩れるように体が傾いで――膝が崩れた。
「副船長!」
「副ッ!」
 あわてて近くにいた者がベンを助け起こす。すぐにシャンクスも、船員を掻き分けて副船長の傍に来た。
「バカ副! テメェ毒入ってるのわかってて飲んだのか!」
「匂いだけじゃ確信が持てなかったからな…飲んで、舌で確かめるのが一番早い」
「だからって、飲んだら死ぬだろうが!」
「死ぬってわかってて飲んだら、それこそバカだろうが。勝手に俺を殺さないでくれ。……だが、思ったより強い毒だったみてェ、だ……」
「副ッ」
 ふッとベンの目が閉じられるのと、船医が駆けつけたのはほぼ同時だった。
「遅ェぞ!」
 噛みつく勢いでシャンクスが言うと、五十を幾許か過ぎた船医は大きな目をぎょろりとさせた。
「悪かったな。こっちだって準備ってモンがあらァな。……気ィ失ったのは? 今か? ならいい」
 そして大きな目で一同をぐるっと見渡して、
「オラ、テメェらさっさと副船長を医務室へ運べってんだ! ボーっとしてる場合か! 犯人だってまだ船に乗ってるんだろうが! ここは海の上だぜ。逃げ場はねぇ。さっさととッ捕まえろ! お頭、あんたが陣頭指揮とらねェでどうするよ!」
 船医からの激しい喝で、全員がはっと我に返った。悠長に呆けている場合ではない。そう、今すべきことはひとつ。
 シャンクスはぐるりと全員を見渡し、厳しい表情で命じた。
「テメェら! 三人一組で船内総ざらいだ! 怪しい奴・怪しいモノを探せ!
 ルゥはA班を指揮してコック・給仕連中の事情聴取! ジェイ・ヴァルディ・ガネーシャの三人はその補佐! ヤソップはB・C・D班を使って各船員の報告をまとめてオレに伝えろ。ヤソップの補佐はウィレムとイグルドだ。
 見張り台のほうにも聞いてこいよ!」
 怒気を含んだ命令に、船員が一斉に動いた。敵が何人だろうと、恐れるものはいない。自分たちの頭が狙われ、副船長が倒れたという事実は――船員らの闘志に火をつけた。
 
 
 
 食事をとるのも忘れた船員達の探索は、深夜にまで及んだ。
 船長室にいるシャンクスにヤソップが、時間も時間なので数人の者に捜索を続けさせているが、とりあえず今日の捜索は打ち切った、と報告にきた。
 シャンクスはベンが倒れてからしばらくは医務室にいたが、今しがた自室に戻ってきたのだった。今はちょうど日誌を書いていたらしい。
「……そうか。それで、犯人は?」
「見張りの話とおれたちの時間経過を照合してみると、犯人はお頭と副船長にスープ出した後、すぐに海に飛び込んだみてェだな。自殺行為としか思えねェが、見張りのジョーイがその頃に不審な水音を聞いたと言っていたから」
 窓の外を見つめたままこちらを省みない船長を、ヤソップは咎めるようなことはしなかった。 「……仲間を疑うのは気分がよくねェな。他の奴らも充分に労ってやってくれよ。嫌な仕事、押し付けちまった」
 溜息をついたらしい気配の後、シャンクスがようやくヤソップを顧みた。
「ゲイルは? 見つかったのか?」
「ああ。船倉の狭苦しいところに猿轡をかまされて押し込まれてた。発見が遅かったら死んでただろうな」
 腹を刺されていたのだとヤソップは淡々と告げた。そして犯人はどうやら彼になりすまして行動をしていたらしい、とも。
「今は絶対安静だってドクが言うから詳しいことはわからねェが、喋れるくらい快復したら訊いてみる」
「ああ。それまではベンのことは伏せるようにしておいてくれ」
 命を取り留めたとはいえ、自分になりすました何者かが船長の命を狙ったとあっては怪我の快復にも障るだろう。シャンクスの判断に頷くと、ヤソップは居住まいを正した。「あのよ……」
「やっぱ、一度陸の医者に見せたほうがいいんじゃねェか?」
「ドクトルがそう言ったのか?」
「いや、血や治療はウチの設備でも何とかなるらしい。ゲイルのほうは、さ。そうじゃなくて……」
 言いにくそうにしているのは副船長のことだと察してくれただろうか。しかしシャンクスは首を振った。
「……いや、航路は変えなくていい。このまま次の港まで行く」
「お頭、」
 咎めようとしたヤソップの言葉を遮る。
「ゲイルの容態が悪化したら考えるが……それまではその必要はねェ。たぶんドクトルもそう言うだろう」
「……副船長は?」
「アイツは……ドクトルの話だと、毒が効かない体質らしいから。死ぬことはないってさ。四・五日たてば起きるだろうって。昔アイツと同じ体質のヤツを診たことあるらしいから……」
 組んだ手がかすかに震えているのを見逃さなかった。船内で一二を争う狙撃手は小さく溜息をついて、

「ドクトルの言葉を信じるしかねェか……。……わかった。連中にも伝える」
 船長室から出て行こうとドアに手をかけたところで振り向く。
「お頭」
「……なんだ?」
「副船長についてなくていいのか?」
「オレがついてたってどうにかなるもんじゃねぇからな……」
 ヤソップでなければ、その言葉に含まれる自嘲の色がわからなかったかもしれない。
 ……心配していないわけがないのだ。この人が、副船長を。
 『副船長』というよりむしろ、ベン・ベックマンその人自体を、と言ったほうがいいか。
 そのことには触れず、鼻の頭をぽりぽりと掻いて、
「……ちゃんと寝ろよ。寝不足は精神を不安にさせるって言うからな」
「ああ。……気ィつかわせちまってるな。スマン」
「気にするなよ。謝るなんてあんたらしくねーぜ。それに皆が思ってることしか言ってねーぞ、おれは。皆あんたが狙われたことでプライドを刺激されてるみてェだし」
「プライド?」
「戦闘でならともかくも、こんなトコであんたや副船長を殺されてたまるか! ってな。おれも全面的に同意だ」
 にかっと笑うヤソップに、ぎこちない微笑を返してくれる。
「……さんきゅー……」
「気にすんなって。じゃーな。おやすみ、お頭」
「ああ、おやすみ」
 願わくば、この人に穏やかな休息を。
 ヤソップは彼らしくない祈りの言葉を思い浮かべながら、甲板へと戻った。
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