Ravish Rain

side:B(12)

 夜中に戻っても、鍵が開いているかどうかわからないのだった。車に乗り込んだ後に気付いたが、黙って車が発進されるのを待った。車中では終始無言だったが、沈黙が重いということはなかった。
 滑らかにカーブを曲がり、次第に民家の明かりが遠のく。車窓をぼんやり眺め、前にこの風景を見たのはいつだったかと思いを馳せる。昼に見るのと夜に見るのとでは、随分風景が違うように感じられた。隣にいる男が違うせいだろうか。
 この男は比較的己に近い人種だ。ある意味最も気が抜けない。
「機嫌が良いな」
 指摘されるとは思わなかった。隣を振り返ると、男は油断ならない笑みを浮かべている。
「……そうか?」
「ああ。お前がそんなあからさまに機嫌が良い様を見るのは久し振りだ」
 まるで何もかもが思い通りに入っているかのような表情。
 男の言葉が揶揄だとわかったが、機嫌が良いのは事実だったので咎めはしなかった。
「帰る場所があるのも、たまには良いなと思っただけだ」
 そこが居心地の良い場所であるなら、言うことはない。
「だから今は他の奴と寝る気にはならない。それだけだ」
「……操立てか?」
 問わずにいたことへの答えを俄かに与えられ、男は鋭い目を眇めた。シャンクスは喉を鳴らして笑う。「違ェよ」と笑む目はやはり猫に似ていた。正確には、猫科の野生動物に。
「あいつとするのが一番気持ちイイ。だから他は要らねェんだ」
 停車したのに気付き、ドアを開けかけた手で、男の頬をそろりと撫でた。
「あんたも悪くなかったけどね」
 じゃあまた、と素早く撫でた所へ口付け、車から降りる。
 振り返りもせず家へと向かう背に苦笑し、鋭い目を和らげ、口付けられた頬へ触れた。そうして赤毛に囚われた男の不幸――あるいは幸福――を思い、心中だけで嘆息し、静かに車を発進させたのだった。


 部屋に灯りが点いていたことに軽く驚いた。戻るかどうかわからないと言っておいたのに、朝まで待つつもりだったのだろうか。呼び鈴を鳴らすと、ほとんど待たずにドアが開かれた。
「おかえり」
「ただいま……ずっと起きてたのか?」
「そろそろ寝ようと思ってた」
 家の中は外に比べれば格段に暖かい。暖炉をチラリと見遣れば、薪はまだ半ばほど残っていた。ずっとリビングにいたのか、煙草の匂いが篭っている。
「不健康だなァ。何箱開けたんだよ」
 コートを脱ぎ、小窓を開ける。外の清涼な風が、澱んだように溜まった煙草の煙を攫っていった。ついでのように外を窺ったが、車は既にいなくなっていた。
 不意に、背から抱きすくめられる。肩口に顔を埋めてくるベックマンの頭を、逆手で撫でた。彼から随分酒の匂いがすることに、この時気付いた。
「飲みすぎだろう、いくらなんでも」
 ソファの周りには、ワインとウイスキーの瓶が幾つか転がっている。一人で飲むには過ぎた量だ。返事を寄越さないベックマンの頭を、更に撫でた。いつもとまるで逆だなと思いながら、笑いを噛み殺す。
「Bも眠ってるみたいだし。寝よう?」
 起きててくれてありがとう、と顎のあたりに口付ける。酒で濁った目は何かを問いたがっているように見えたが、気付かないフリをした。
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