Ravish Rain

side:B(09)

 快楽に溺れる日々というのはこういうことか。しみじみとベックマンは実感していた。休暇二日目、ベックマンとシャンクスはどこにも出かけず、家の中だけで過ごしていたからだ。
 あの夜からたかだか二晩しか経っていないにもかかわらず、今が何日の何時かすらわからなくなりそうだった。傍らで眠るシャンクスの髪を一房掬って親指の腹で撫でる。いい加減、ベッドでばかり時間を過ごすわけにはいかないだろう。
 溜った洗濯物と家の掃除を済ましたら食事を作ってシャンクスを叩き起こそう、と決める。生産的なことを一つでもこなしておかなければ、休日の意義が損なわれる。
 行動を決めてしまえば、仕事が早いのがベックマンだった。音のうるさい洗濯機を回している間にリビングとダイニングに掃除機をかけ、床をざっと拭いてしまう。空腹を訴えて足元に絡む猫へ食事を与えると、廊下の掃除も手早く済ます。洗い終わった洗濯物を脱水させて今度はそそぎ洗いにかけると、昼食の下ごしらえにかかる。再び洗濯物を脱水させると、外に干した。
 寝室へシャンクスの様子を窺いに行けば、やはり彼は眠っていた。あまりに幸せそうに眠っているので多少気は引けたが、いつまでも眠っているのは身体に悪いと気を改めた。
「シャンクス。起きろ」
 もう昼だと肩を揺するが、目が覚めた気配は一向にない。猫より寝汚いのではないかと苦笑しながらシーツを剥いだ。光に晒される裸体に、わずかに目を眇めた。
「起きろ」
「……さむ……」
 横を向いたまま身体を胎児のように丸める。
「シャンクス。昼飯まで食べない気か?」
「……ん――……飯……食う……」
 目はしっかり閉じたまま、不明瞭にもごもごと返事をする。食事に反応するのは獣のようだ。
「なら起きろ。Bに全部食べられたいか?」
「やだ……眠い……」
 矛盾した戯言を漏らしながら、それでも目を擦り、一応起きる気概を見せ始めた。腕を掴み、引き起こしてやる。むにゃむにゃと意味のない言葉を発しながら、ようやく目を瞬いた。
「おはよう?」
「ん……おぁよ……」
 くしゃくしゃに寝癖のついた髪を解すように梳いてやる。そうしてベックマンはクロセットから取り出した着替えとバスローブをシャンクスに渡してやった。
「シャワー浴びてすっきりしてこい」
「ん……」
 緩慢な動きで起き上がると、渡された着替えを抱えてスリッパに足を突っ込んだ。そのまま出て行こうとするのをベックマンが慌てて止める。
「なに?」
「せめてローブを羽織れ」
「シャワー浴びるのに?」
 着たら脱ぐのが面倒だと言外に言っている。
「家の中だから、いいじゃねェか」
「いいから、着ろ」
「……?」
「昼間っから襲われたくなかったらさっさと着ろ」
 シャンクスは真顔で言い切ったベックマンの顔をぽかんと数秒見つめると、その後で爆笑した。その場に座り込んで笑い続ける。
 見下ろすベックマンは苦い顔をしていたが、笑いながらもローブを羽織ってくれたのにはほっとした。
「昨日……あんだけ散々ヤッといて、言う台詞じゃないよなァ」
 目の端に浮かぶ涙を拭い、肩を震わせながらバスルームへと消えていった。どうやら、目はすっかり覚めたらしい。


 人が読書をしている最中に膝の上に乗り上げてくるあたり、まったく猫と変わりない。何も生産せず、いるだけだから余計だ(食費がかかる点も猫を飼っているのと同じ)。おまけに本物の猫まで足元にじゃれついてくる始末。
 午後の一時を近辺の森の散策で過ごし、「疲れた」と疲労の見えぬ笑顔の次にとった行動がこれだ。
 あっちに雪柳が、こっちに椿がと目につく物全てにひかれながら歩いていたので、三十分ほどで回れる森を一時間半はかかって散策しただろうか。シャンクスの若さを考えれば、それでも疲れるような時間ではない。
 ベックマンの貸したコートはシャンクスには大きく、指先近くまでを袖が隠していた。
「……煙草臭ェ」
 文句をつけながら笑っていた。その表情は冬の日差しを受けて輝いているようで。忘れられないだろうなと純粋にベックマンは思った。
 普通に座るか横になるかしなければ余計疲れるんじゃないかと言ったが、シャンクスは聞かなかった。ベックマンの疲労について考えるつもりは一切ないらしい。
 邪魔には違いないが、大人しく抱きついたままなので放っておくことにする。本は読みにくいが、読めないということもない。まして肌寒い季節、接触していれば暖かい。難点は重いということだろうか。
 昼過ぎまで寝こけておいて、よくもまあ更に昼寝などできるものだ。若者としては不健全極まりない――が、昨日・一昨日を思えば何も言えなくなる。もしかしたらそちらの疲れもあるのかもしれない。
 膝の上で熟睡出来ることに感心しながら項のあたりを撫でる。気の抜けた声を発したが、起きたわけではないらしい。
 窓から差し込む陽光が、ずいぶん弱くなった。そろそろ日暮れだろうか。干した洗濯物を取り込まねばなるまい。その前にまず――人の膝の上で寝こけてしまった赤毛の猫をどかさなければ。
 このままソファで寝かせるか、ベッドまで抱えて行くかを数秒逡巡し、大きな猫の体を抱き上げた。
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