寒いと言ってはシャンクスがベッドへ潜りこんでくるようになって、一月が過ぎようとしていた。ベックマンは最近では不眠症に陥りつつあった。眠れないのは何の所為なのか、本人が一番わかっている。暫く不眠の自覚はなかったのだが、同僚に「顔色が悪いぞ」と指摘され、ようやく眠りの悪さに気が付いた。
更に十日が過ぎると流石に見かねたのか、上司に呼び出された。仕事の上での失敗は、今の所思い当らない。
「休暇でも取ったらどうだ」
机を挟んで対畤したのは、目つきの鋭い上官。
睨まれると竦みあがってしまうともっぱら評判だが、ベックマンに臆する所はない。姿勢を正したまま、真っ直ぐ視線を受け止める。
「不要です」
「何故?」
「休暇が必要な程、疲れていません」
「……隈を作っている者のする発言ではないな」
背凭たれに身体を沈めると「実は」と言いながら、脚を組み変えた。
「お前の同僚から苦情がきている。顔色の悪い男が同じ部屋で働いていると息が詰まるのだそうだ」
「……精神が鍛えられていないだけでしょう。その程度で仕事が出来ないと訴えるのは、己の無能を棚に上げているだけに過ぎません」
「お前の発言にも一理ある」
だが、と鷹の目は口元だけで笑った。それは問題の根本解決ではないと断言する。
「お前の顔色が良くなればいいだけの話だろう」
「それは……」
たしかにそうだが、それが出来ていれば不眠症になどならないのだ。
「猫がどれほど可愛いのかは知らぬし、どれほどの跳ね返りなのかも知らぬが、」
ぎくりと身を強張らせ、気取られぬよう上官の表情を窺った。
「他に影響が出るようでは困るぞ、ベン・ベックマン」
だから来週は休めと重ねて命じられては、ベックマンには頷くことしかできなかった。
帰宅し、来週が休みになったことを告げると、シャンクスは目を瞬き、数秒沈黙した。ようやく発した言葉は失礼極まりない。
「……何か失敗してクビになったのか?」
「そんなわけあるか」
上官の命令で取らされたのだと言い訳すると、あからさまな笑顔で「なーんだ」とのたまってくれる。
誰の所為だと思ってやがる。小さな呟きは、耳聡く聴きつかれたらしい。何だよと顔を覗きこまれた。
「いや、何でもない」
「命令で取らされた休暇が、誰の所為だって?」
「…………」
上着を脱ぎかけた手が止まる。にわかに動揺した。「ベック」と、今では呼ぶ者のいない愛称を呼ばわれ、いっそう身体が強張る。
「最近、眠れてないだろう?」
シャンクスが距離を詰め、手を差しのべる。伸ばされた指はネクタイに絡んだ。鷲の刻印がなされたタイピンを外し、床に落とす。堅い音を立てて落ちた頃には、指はネクタイを殊更ゆるりと解いた。
赤い睫毛が揺れているのは、瞬きをしている所為だろうか。
不意にシャンクスが顔を上げた。ベックマンは瞬きも忘れ、彼の微笑に釘付けになる。
そこには子供のように猫と戯れる青年の姿はない。例えるならば夜の町、男に秋波を投げかける女のそれに近い。
「眠れるようにしてやろうか」
あんただけ眠れないのも不公平だし。
どこか毒のある微笑が間近に迫っても、身動きひとつとれなかった。
視線が絡んだまま、唇が触れ合う。今度は刹那に離れる悪戯な口付けではなかった。いや――これも悪戯なのかもしれない。
シャンクスの舌が口内へ侵入してくる。誘うように動き回るそれに、己の舌を絡める。角度を変えては深くなる口付けは、秒を追うごとに互いから余裕を奪う。
いつの間にか二人の体は密着し、どちらからともなくベッドへ倒れるようにもつれこんだ。帽子が床へ落ちる。それでも口付けは止めない。
シャンクスの指が、ベックマンの制服を乱してゆく。手袋をはめたままのベックマンの指が、シャンクスのシャツを剥いでゆく。
素肌を弄りあい、耳を、首筋を吸った。肌は存外滑らかで、褐色に焼けている。
上半身を撫で、筋肉の浮いた胸を食む。皮膚の薄い胸の先を舌と指で嬲り、左に歯を立てると、ベックマンの髪を掴むシャンクスの指が引き攣った。殺せなかった声が漏れ、欲を更に増させる。
腹筋の線を舐められ、歯は薄らと跡を残してゆく。
片手はシャンクスの下半身を撫でた。ズボンの上からの刺激がもどかしいのかそれすらも敏感に感じてしまうのか、シャンクスは腰を捩り、息を詰める。
「あ……、待て……!」
前立てに指をかけた手を押し留められた。今更止められるとは思わず、ベックマンは怪訝の視線を落とした。
無言の問いに、シャンクスははにかむ。
「ここで止めろとは言わねェよ。……オイルないと、辛いから……」
オリーブオイルでいいから持ってきてくれと頬を撫でられ、そこまで思い至らなかったことに気付く。いいのか、と訊いたのは、動揺からだったかもしれない。
シャンクスは苦笑した。それこそ今更だと、ベックマンの頬を撫でる。
「いいから……持ってこいよ」
待ってるから、と頬に口付けられた。