言葉は嫌いじゃない。
むしろ好き、かもしれない。
気持ちは言葉でしか伝えられない。
気持ちだけじゃない。
思考したこと、感情、色々なことの説明。
およそ言葉や文字を使わなければ伝えられない事というのは、一体どれほど在る事か。
新聞に書かれているような事実の一面を伝える時とか。
仲間たちへの指示とか。
この大海原の中、俺達は一体どこにいるのか、とか。
今日の予定、とか。
――――あんたのことをどう思っているのか、とか。
簡単だろう?
事実をありのまま伝えればいいんだから。
ボキャブラリーが貧困なら、言葉が見つからないかもしれないが…
…言えないってことはないはずだ。
そのために言葉という意思の伝達手段があるんだからな。
「好き」っていうのも、そうだな。
雰囲気でわかる時もあるが……
本当のところは、言わなきゃわからない。
言わなければ伝わらない。
今日の体調とか。
次の港をどこにするのかだとか。
航路のズレとか。
敵船を一掃した時の爽快感とか。
――――あんたを好きだということ、とか。
言い尽くしても言い足りないってのは、確かにある。
何百回・何千回・何万回・何億回、あんたに好きだと言っても足りねえ。
言葉は完全じゃない。
わかっている。
でもそれでかまわない。
完全なものなど存在しないから。
完全じゃないからこそ、色々なもので補うから。
「好き」という気持ちを言葉で伝えきれないなら、体で。
好きだ。
言葉を尽くしても足らないほど。
言い尽くせないから、言葉ってのはいいんだ。
伝えきってしまわないから。
わかるだろう?
だから、抱きしめよう。
キスをしよう。
それでもきっと足りないから、セックスしよう。
体のあらゆる部分や感覚をも使って。
体温も使って伝えるから。
…かならず伝わるはずだから。
肌と肌を触れ合わせて、なんでこんなに色々伝えられるんだろうな?
…わかるだろう?
この気持ちは言い尽くせないから。
だから。
セックスしよう。