祈りの声/2

 王子やゲオルグがニルバ島から帰還したのは、旅立った日から数えて五日後のことである。
 ルクレティアにスカルド・イーガンとの会見の首尾を伝えると、一時解散となった。ゲオルグもその場を後にしかけたが、ルクレティアが意味ありげな視線を寄越すことに気付き、さりげなくその場に留まった。
「帰った早々、人使いの荒いことだな」
 せめて今日一日くらいはゆっくりできるかと思ったが、と肩を竦めると、ルクレティアも同様に肩を竦めてくれた。
「本当に……私としても、今日一日は休ませて差し上げたいのですが」
「前置きは良い。それで? 俺に何をさせたいんだ」
「実は、あなた方がニルバ島に出かけられてから、カイル殿に頼み事をしたんですけれど」
「カイルに?」
 一瞬どきりとしたが、鉄の意志でもって動揺は表に出さなかった。今頃、王子たちを賑やかしく迎えているのかと思ったが――そういえば姿を見なかった。
「王子たちが戻られたら、ドラート攻めのことを提案するつもりでしたし、そのための仕込みも進めてきました。首尾は順調なのですが、気がかりを一応確かめておこうと思いまして」
「アーメスか、それとも――?」
「後者です」
「放っておいてもいいんじゃないか」
「窮鼠猫を噛むと申しますでしょう?」
「……念の入ったことだ」
「失敗は許されませんから」
 ルクレティアが微笑する。軍師の笑みほど怖いものはない。北の大陸でもそれを目の当たりにしているゲオルグは、ひっそりと溜息を吐いた。
 つまりバロウズ家が再び良からぬことを企てていないかどうか、カイルに確認に行かせたのだ。本来ならばゲオルグか、探偵たちが任される仕事であったに違いないが、たまたま両者が不在だったため、カイルに白羽の矢が立ったのだろう。
「良くない報せでも?」
「いいえ・第一報は特に動きなし、数日探るというものだったのですが」
「が?」
「第二報以降が届いていません」
「つまり――カイルの身に何かあった、と」
「そう考えるのが自然です。ただし、バロウズ家・ゴドウィン家とも、この件に関して何か動きがある様子はありません」
 最初の報せはカイルがレインウォールに着いた夜、次の報せはその二日後―― 一昨日にあるはずだった。
 普段の言動から仕事もいい加減だと思われがちなカイルだが、実際は与えられた仕事以上のことをこなしてみせる男である。ルクレティアもそのあたりを知っていてカイルに任せたのだが、どうやら想定外の事態が起こっているようだ。
 ゲオルグは思案げに手を顎へ持って行き、数度撫でた。どうやら、なかなか厄介な問題を押しつけられようとしている。
「皆まで説明する必要はありませんよね?」
「……カイルの現状確認と問題事項、レインウォールの動向調査、ということで良いのか」
「その他の問題はゲオルグ殿の裁量にお任せしますね」
 満足げに笑ったルクレティアとは対照的に、ゲオルグは思い溜息を隠しながら軍議の間を後にした。
 ドラート攻略の面子には、ゲオルグも入っている。つまりそれまでの間に任務をこなして帰ってこいというわけだ。カイルがどのような状況に置かれているとも知れないのに。
「……人使いが荒いというレベルじゃないな」
 あれは一種の鬼だ。心の中で断じると、まず風呂へと足を向けた。遅くとも夕刻までには城を出立できるようにしなければならない。そのための準備の手順を考えながら階段を下りる。
 それにしても――カイルの身に何があったのか。
 数日前、旅立ちの前に見た寝顔を思い出しながら、拳を握った。
 
 
 
 夜更けにレインウォールに着くと、ゲオルグは早速カイルが率いた数人の者たちと落ち合った。
 彼らが言うには、カイルは何らかの事件に巻き込まれ、連れ去られたのだという。全員の話を総合して判明したところ、賊に襲われかけていた馬車を助けようとしたらしい。結果として馬車に乗っていた人間は助かり、代わりに負傷したカイルを連れて行ってしまった。
 常識的に考えれば、負傷した人間の治療のためだろう。
 だがそれで十日近く連絡が取れないのは、確かに彼らが主張するようにおかしい。カイルはそういったことで仲間に心配をかけるような浅薄な男ではないことをゲオルグは知っている。見た目の軽さとは裏腹に、思慮深く機転が回るところもある。だからルクレティアにも偵察を任されたのだ。
 理由もなく連絡を絶つのは、誰の目にもおかしい。まさかバロウズに引き渡されたかとの危惧は、偵察隊の何人かな報告により否定されている。だがすぐに安心する気にはなれない。
 レインウォールはバロウズ家のお膝元であり、ここに居を構える貴族とあれば、まず彼らの息がかかっていると思わなければならない。そしてそのバロウズ自身は、かつての権勢の華やかさは薄れ、すでにゴドウィンに膝を折ったも同然の有様。
 バロウズにはカイルの顔は知られている。そればかりか、貴族院に出ていたような貴族には知られているはずだ。加えて、今は様々な貴族が己の身の振り方を考えている。仮にゴドウィンに与すると決めた者たちの手の中にカイルが運ばれた場合――
(……判断するのは早いな)
 思考を打ち切る。何かを判断するにせよ、情報が足りない。特に連れて行かれたカイルが今どうなっているのか、それすらよくわかっていない。
 カイルを連れ去った貴族に関する情報を引き続き集めることにして命令を下すと、ゲオルグは小さく息を吐いた。
 ひどい重傷を負っていなければ良い。それだけを案じた。
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