心と思考と2

 その日、カイルは非番だった。
 前日飲み過ぎたのが祟ったのか、昼前までベッドと仲良くし、朝食兼昼食をとったのは完全に昼が回ってからだった。
 飲み過ぎたのは完全に己だけのせいだ、とは言い難い。
(絶っっ対、あいつのせいだ……!)
 脳裏に浮かんだ少年に、拳を握る。恨みというには生温い。憎しみというより、嫌悪に近いか。だが、どうしてその少年にそんな感情を抱くのかと、問われても返答に窮する。だから胸の内で悶々とするしかないのだが、それにも限度があり、結局酒に走ってしまう。
 悪循環だとわかっていても、どうすることもできないでいた。和平条約のおかげで戦の影は遠ざかったというのに、カイルの心中は穏やかとは程遠い。
 それもこれもすべてあいつのせいだと思うと、黒髪というだけで無関係な人間をすら疎ましいと思ってしまいそうな自分がいた。それもまた疎ましい。
 
 呼び鈴が鳴ったのは、昼食兼朝食をとった後だった。
 非番の日に部屋まで訪れるような友人は、あまり多くはない。かといって女性はといえば、彼女らと会うのは専ら外のため、カイルのねぐらを知っているのかどうかすら疑わしい。
「荷物を届けにきました」
 ドアの外の人物は言う。なるほど、それなら休日に訪れるのもわかる。
 しかし一体誰が、と思いながらドアを開けた。立っていたのはカイルと同じくらいの背丈の男。怯んだのは、男が黒髪だったからだ。
「荷物は……」
 およそ配達員らしくない、まるで旅人のような格好に違和感と既視感を覚える。配達員がそれに気付くはずもない。
「こちらです。重いので中までお入れしますよ」
 遠慮する間もあればこそ、いささか強引に、ひと抱えもある箱を室内に運び入れてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「油断しすぎだな。……前にも言ったが」
「は?」
 怪訝な顔で男を顧みた。
 あれ以来、部屋を訪れる者の顔や身分の確認は怠っていなかったのだが、戦いの音が遠ざかったからか、完全に油断しきっていた。
 そして唐突に気付く。
 この男の眼が、思い出したくもないあの少年と同じ、黄金だということに。
「あんた……、っ!」
 腕を掴まれ、床へ引き倒される。床に背中を打つ衝撃に息を詰めた時には、両膝と肘をがっちりと押さえ付けられていた。
「覚えてくれていたようだな」
「……ッ」
 できるなら忘れ去りたかった。それなのに、何故。
 何故というならそもそも、あの少年とこの男は同一人物なのか。
「こちらの姿が本当の俺だ。あの時は仕事の都合上、姿を偽る必要があったからな……」
 カイルの疑問を読んだような言葉に、眉間を寄せる。魔法、幻術か何かの類だろうか。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 問題は、カイルを蹂躙し自尊心や尊厳を傷付けた、殺しても殺し足りない男が何故ここに、ファレナにいるのかということだ。わざわざ殺されに来たはずはなく、何か別の目的があるに決まっている。
 それが何か、ということを考えると――以前のことが頭をよぎる。それだけは絶対に御免だ。
 拘束を解こうと全力で暴れるが、乗り上げられた膝、押さえ付けられている腕はぴくりとも動かない。重力以上に力の差を歴然と感じては、男としての自尊心を傷付けられた。
 きつく睨み上げた青い視線と、どこか不遜な金の視線が絡んだまま膠着する。その状態でどれほどいたのかわからないが、無言の緊張を破ったのは男のほうだ。
「知っているか。反発されるとかえってそうしたくなるものだぞ」
「だから、何だと?」
 従順になれとでも言うのか。冗談ではない。
 男は目を猫のように細めて笑う。
「活きがいいのは結構なことだが……」
 少しはおまえも楽しんだほうがいいと言うと、短い口笛を吹いた。何事かと思っていると、カイルの頬をぬめらかなものが這う。ぎょっとしてそちらを見れば、粘液に塗れた蔦のような生物がいる。出所を探れば、この男が持って入った箱の中だ。
 わざわざこんなものを持ってきたというのか。
 再び男が口笛を吹けば、蔦――いや触手はそれに応じるようにその身をくねらせた。カイルの腕を拘束するのは、男の手から触手へと移っている。
 己の血の気が引く音を聞いた気がした。
「色々と都合があって充分食事を与えられていなかったからな……」
 がっつくなよと笑みを含んだ言葉に、触手は嬉しそうに身を動かした、ように見えた。
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