可愛いなどと言われて嬉しいものか。
ゲオルグを可愛いと言ったカイルのほうがよほど可愛い顔で笑っていたが、口中で呟くに留めたのは、言えばきっと形ばかりに機嫌を損ねるからだ。そうしてしまうにはあまりに惜しい。カイルの笑顔はゲオルグの好きなもののひとつだからだ。
鎖骨に口付けを寄越したカイルの後ろ頭を、掌で包むように撫でる。形の良い後頭部は掌にすっぽり収まり、シーツに流れて散らばった長い金髪は、色を奪う月明かりの中で見ても絹のように美しい。武骨な指を細い髪に絡め、ゆっくり梳いた。
数刻前の、湿りを帯びた熱の名残はどこにもない。湖を渡った夜気が女の手のように肌を撫でる。素肌を晒したままの肩や腕は、そういえば冷えたかもしれない。そっとカイルの肩や背を撫でれば、肌が少しばかり温まる。気持ち良さそうな吐息がゲオルグの胸を滑った。
「……お返しですよー」
笑みを含んだ声で囁き、首に回していた手を滑らせてゲオルグの頭を撫でてくれた。骨張った手は指が長く、普段はゲオルグよりよほど器用だ。
短いゲオルグの髪を摘んだり引っ張ったり、忙しい動きをしている。まるで子供のようで、笑いを禁じえない。
「何笑ってるんですかー」
ゲオルグを見上げて口を尖らせるところなどは子供そのもの。子供より性質は悪いが、愛しさはそれ以上だ。
顔を覗き込んでくるので腕を緩めてやり、晴れた空のように蒼い眼を見返す。今は月明かりを背にしているせいか、夜空の色をしていた。
「子供っぽいことをしているな、と……」
「うわ、ひどいですよー」
それでも自覚はあるのか、言葉の割に怒っているようには見受けられない。ゲオルグは吐息で笑い、長い髪を梳く。
「好奇心旺盛なところが、だ」
そういえばファレナに来た最初の頃、カイルはゲオルグに対して好奇心を隠そうとしなかった。現在の状態も、それが高じた結果だと言えなくもない。
だとすれば、カイルの好奇心と好奇心を起こさせた己に感謝すべきか。自分自身に感謝とは、おかしな話だが。
そんなことを思いながら、艶やかな髪や滑らかな背を撫でた。カイルが気持ち良さそうに体の力を抜いたのがわかる。
「……眠るのが惜しい気がしてきちゃいましたよ」
眠いですけど、と付け足しながら子供のような口振りでわずかに口を尖らせる。歳より幼い仕草に口許が綻びそうになるのを堪えた。
「少しは眠らないとな」
「わかってますよー。でも、ゲオルグ殿とゆっくりできる時間って少ないじゃないですかー」
カイルが手を伸ばし、ゲオルグの頭に触れる。短い髪に触れて摘み、こめかみから後頭部へと指先で辿る。頭を撫でた指先は首を滑り、肩から胸を撫でる。他意は感じられず、まるで体のつくりを確かめているような触れ方だ。
「……まあな」
「寝てる時だけじゃなくて、普段も、もーちょっと一緒にいられたらなーって思ってますよ」
蒼い瞳が笑みを滲ませる。「そんな、」
「困った顔しなくてもいいでしょう」
咄嗟に返す言葉が浮かばなかったゲオルグのほうへ体を伸ばすと、小さく音を立てて頬に吸い付く。
「ゲオルグ殿のお役目とか。オレのやらなきゃいけないこととか。わかってますよ? でもほら、たまには一緒に夕日を眺めたりとか、その夕日がどれだけ綺麗かとか、一番星が見えたとか……他愛のない話もしたいなあって。戦争が終わったら出来ますかねー……?」
「……そうだな」
戦争が終われば、ゆっくりはしていられないだろう。だが、少しの間なら。一日か二日なら、許されるのではないか。――許して欲しい。
そうしてゲオルグは、来た時と同様、身軽にファレナを去る自分を思い描くと、カイルの体を抱き寄せた。
「ゲオルグ殿……?」
「……眠るぞ」
「ええ」
おやすみなさい、と胸元でくぐもった声。吐息が肌を擽る。
カイルは何も問わない。それゆえにゲオルグも何か核心めいたことは言ったことがなかった。
甘えているだけだとわかっているから、こんな時はカイルの眼が見られない。
溜息代わりに深く呼吸をし、カイルの吐息が寝息になるまで頭を撫で続け、ゲオルグも目を閉じた。