46/割れない鏡

46.割れない鏡  凛とした姿を見るのは好ましいと思う。たとえそれが後姿であってもだ。
 玉室は居室ではない。かといって執務室でもない。真の意味では有事にしか使われない。その方が良いに決まっているが、そうであり続けるならカガセオの存在理由が根本から失われてしまう。
 大僧正が玉室にやって来る意味は、だからひとつしかないはずだが、彼は割と頻繁にここを訪れている気がする。何をしているのかといえば、読経していることが多い。
 読経なら本堂でも私室でも構わないだろうに。
 ゆらりと蝋燭の炎が揺れる。窓のない部屋にもかかわらず、身を震わせるように揺れたそれにも気付かず――あるいは気にも留めず、一心不乱に読経を行っているようだ。
 声をかけるのも憚られる。
(何に向かっている――逃げているのでしょうか)
 背中は何も語らない。
 ふと、読経の声が弱まった。そろそろ終わるのだ。頃合いを見計らうと、声をかける。
「真世」
「…………カガセオ。また出てきたのか」
 振り返った視線は険しい。だがカガセオは意に介さない。
「この部屋ですから。何かあったのですか」
「特に何も」
 即答を、真に受けてよいものか。
 多くはない人間観察の結果を思い返しながら、カガセオは微笑を崩さない。
「そうですか。最近頻繁にここへ篭られているようなので、何かあるのかと思いました」
「…………」
 眼を開いてはいないが、カガセオはじっと真世を見つめる。珍しく、気まずそうに顔を逸らされた。
(……おや)
 何か、後ろめたいことでもあるのだろうか。数歩近付いてみるが、こちらに視線を寄越す気配はない。
 らしくない。
 何かあったと言っているようなものではないか。
「真世。……邪魔でしたら、私も下がります」
「邪魔ではない。……いていい」
 ようやく、こちらを見てくれた。どこか息苦しげだと感じる。何によるものか、まったくわからないけれど。
「……わかりました」
 邪魔ではないのなら、いていいと言うのなら、いることにしよう。
 玉室は座る場所がないのが残念だけれど。
「……何をしている」
 呆れた、というより困惑した表情でカガセオを見上げる。何をしているのかと問われて、素直に答えるのであれば、
「真世の頭を撫でています」
「……何故」
「理由など用意しておりません」
「…………」
 黙って大人しく撫でられてしまっているのは、どう捉えればいいだろう。都合がいいように解釈してしまって良いのか。
 真世が息を吐く。決して重いものではなかった。
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