初夏の、珍しく肌寒い日のことだった。
哲雄が目を覚ますと、部屋には誰もいなかった。まだ意識がしっかりと覚醒していないせいだろうか、人の気配を家の中に感じられない。
頭の芯はぼんやりしたままだが、ベッドから起き出して部屋を出る。まず洗面所で顔を洗い、さっぱりしてから台所へ行った。
やはり誰もいない。
台所から続きになっている部屋も覗いてみたが、そこにもいない。ベランダにもいない。
外出したのだろう。コンビニか、スーパーか。おそらくそのあたりだ。
自分を納得させると、ケトルで湯を沸かす。インスタントの粉とカップをふたつ用意すると、ひとつに粉を入れた。もうひとつは、彼が帰ってきたらすぐに飲めるようにするためだ。
カップは哲雄が蓉司のマンションに同居するようになった当初、ふたりで選んだものだ。揃いのものではないが、哲雄は黒っぽい地に夕焼けのような色が入った素焼きの大振りなカップ、蓉司は白っぽい地にやはり夕焼け色が入ったカップだ。
期せずしてふたりとも夕焼け色が入ったカップを選んだのは、カップを見た時に思い出したのかもしれない。高校二年の文化祭、旧校舎の屋上、ふたりで見た夕焼けを。
自分で自分のカップを購入するのは味気無いと、互いのカップをそれぞれで買い、プレゼントしあった。だからこのカップは大事なものだ。
じきに勢いの良い音が響き、湯が沸いたことを教えてくれる。
本当は挽いた豆のほうが香りも味も良いのだが、手間がいるしたくさん飲むと高くつく。それに近所にある喫茶店のコーヒーを気に入っていたので、自分たちでいれて飲むにはこれで充分だ。
湯を注ぎ、スプーンでカップの中を掻き回す。
蓉司はまだ帰ってこない。
いつから出たのかわからないが、少し時間が掛かってはいないか。もしかしたら今日はバイトの日だったか――いや、それはない。昨晩、今日は休みだと聞いたばかりだ。
こんなに蓉司のことばかりを考えている自分はどこかおかしいだろうか。いや、同居している相手のことを思うのはそんなにおかしいことではない。無関心でいるよりずっと良い。
――どこ行ったんだ……。
知らず、溜息が漏れる。実家で暮らしている時ですらこんな焦燥を感じたことはない。
どうしてこんなに焦れているのか。
「……こんなに、弱かったか……?」
蓉司が自分のいないところでどこかに行ってしまうと気になる。弱さといえばそうなのだろう。ずっと一緒にいたいと思っている相手だから、だけなのか。
まさか蓉司が自分を置いてどこかに消えたことがあったわけでもあるまいに。
「…………」
幸い、今日は哲雄も予定がない。待っていれば必ず帰ってくるはずだ。哲雄と蓉司の家はここなのだから。
テーブルに置いた両手が、祈るように組まれていたことに哲雄自身は気付かなかった。