24/寝不足解消法

 本を読んでいる江神さんが、煙草の煙を吐き出しながら顔を上げる。そして僕を見てふと笑った。瞳の優しさに、どきりと鼓動が跳ねる。
「アリス。せめて手で隠しや?」
「……すいません」
 なんのことはない、大欠伸の現場を見られただけだ。僕はばつが悪くなり、頭を掻いた。
 いい加減見馴れても良さそうだと自分でも思うのだが、意識してドキドキしないで済むならとっくにそうしていた。むしろ何時でもドキドキしていたいと思ってさえいる。口に出して言えば笑われるだろうし、呆れられるだろうから言わないけれど。
「退屈やったか?」
「とんでもない。単なる寝不足です」
「寝不足?」
「最近暑いでしょう。寝付きが悪うて……」
 七月に入るまでは涼しかった。本当に夏になるのか、カレンダーを見てしまうくらいに。だが気候は七月に入った途端、ようやく夏だということに気付いたようで、蒸し暑い日が続いていた。
 日中だけならともかくも、昨日は夜の間もずーっと暑いままだった。暑さのせいで何度か目を覚まし、汗をかいているから着替える。おかげで寝不足というわけだ。朝鏡を見た時にはクマまで発見してしまい、到底爽やかに一日を過ごせるとは思えなかった。
「クーラーは?」
「先週末に故障して、修理中です」
「なるほど。昨日は風も吹かなかったとくれば、熱帯夜に負けてしもうたわけか、アリス」
「そういうことです」
「今日も暑いらしいな……」
「ほんまですか……」
 聞いただけでげんなりする。江神さんの下宿の部屋は、勿論クーラーが据え付けられているはずもなく、いつぞや大家さんから譲ってもらった年代物の扇風機が一台あるだけだ。
「どうする?」
 微笑みが眩しい。これは僕に「泊まって行くのか行かないのか?」を暗に尋ねる時の言い方だ。どうする、と言われても、しっかり泊まるつもりでお泊りセットを持って来たのに、そのまま帰るのは惜しい。
 江神さんは、後輩に暑い思いをさせたくないだけなのかもしれない。気遣いは嬉しいが、恋する若者としては、好きな人の家に泊まれるなら、そのほうがもっと嬉しいのだ。
「泊めて下さい」
「ん。それなら、暑い夜の過ごし方を教えよか」
「暑い夜の過ごし方?」
「正確にはやり過ごし方かな」
「?」
 首を捻ると、江神さんはもっともらしい表情で江神流(?)熱帯夜のやり過ごしを教えてくれたのだった。
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