引き絞った弓弦が、切れてしまいそうだ。――とは、いささか詩的過ぎる表現か。
宇野は、目の前の坂井の憔悴した顔をさりげなく見た。抱え込むように湯飲みを両手で持ち、猫背でぼんやりしている。
坂井の頭を悩ませる事態は、そう多くはない。
大半は川中と、彼を取り巻く環境のこと。藤木のこと。その次に、彼が面倒を見ているという舎弟たちのこと。
宇野は川中のことは嫌いだったが、川中の周囲にいる坂井や藤木のことは嫌いではない。だから事務所をたまに訪れる坂井を気が向けばもてなすこともある。今日など珍しく、コーヒーではなく緑茶をいれてやったのだ。
それなのにそんな顔をしている理由がわからない。
「おい。いつまでも俺が暇だと思うなよ」
パイプを取り出し、葉を詰める。ぴくりと坂井の肩が揺れたのを見逃さなかった。
「しみったれた顔をしているが、何かあったのか? 言っておくが、川中に関することなら聞く耳は持たんぞ」
先回りして釘を刺したが、どうやらこれはハズレだ。坂井の表情は動かない。
「……依頼人でも、おまえみたいな面倒なやつはいないぞ。口がきけなくなったか?」
「依頼に来たわけじゃありませんよ」
「喋れるじゃないか。殺し屋ほどお喋りになれとは言わんが、さっさと用件を言え」
途端、明らかな反応があった。坂井の顔に動揺が走り、音を立てて抱え込んだままの湯飲みをテーブルへ置く。
宇野は内心で首を傾げた。
どうやら坂井の様子がおかしい原因は、叶とのことにあるというのはわかった。だが何があったにせよ、叶という男を思い浮かべるに、誰かを、特に友や仲間めいた人間をこんな風にさせてしまうような男ではない。少なくとも宇野はそんなところを見たことはなかった。
「そりゃ……宇野さんは特別ですし」
おや、と目を軽く見開いた。
今の言葉の響きに、聞き慣れぬものがあったのは気のせいか。いや、聞き違いや思い過ごしではない。表情もどこか違う、見慣れないものだ。
さてこれは――なんだろうか。
「俺はあいつを特別扱いしたことなんかない」
「叶さんが特別扱いしているんですよ、宇野さんを」
他人からそう言われても、宇野のほうにはピンとこない。何をどう特別に扱われているのか、皆目見当がつかないのだ。
だが、まあこれは。
宇野は眉間に皺を寄せた。
「……そういう相談は、医者にしたほうがいいんじゃないのか」
「まだ何も言ってませんよ」
「だいたいわかった。だから言ってるんだ。おまえが俺に相談しようとしてることは弁護士に聞くことじゃない」
「俺は宇野さんに相談に来たんです。弁護士に相談しに来たんじゃない」
賢しらしい。
ふと宇野が笑ったのを嘲笑と受け取ったのか、不機嫌そうに黙りこむ。宇野は小さく、大儀そうに肩を竦めた。
「だったら早く相談とやらを聞かせてもらいたいもんだ。さっきも言ったが、これでも暇じゃないんでね」
「……わかってますよ」
そうは言いながらも、宇野は坂井から話を聞くために更に五分ほど待たされたのだった。